あーとうとう

今日は高校の授業初日にエクストリームカラオケでいぬさんとフィーバーするがドタバタで遅刻しかけるっていう夢見ました
 
起きたときの気持ち
「…わたし、もう就職してる!だからこれ、夢や!!」
 
あ、はい、現実でも起きた時間ぎりぎりであやうく遅刻しかけました
でも未遂なのでよかったです
 
 
「もうどーでもいいよ」と君が笑うから
もーどーでもよく なくなってしまったよ。
(311(仮)/hiyoko より)
 
 
数日間そして今日もまたがり、
 
めがさめて まどをあけ、
からはじまるうた、
 
マヒトゥザピーポー「み空」が
ずっとあたまを流れてる。
ぶるうのあいさつ
 
教えて み空、永遠はナシだよ
ひきがねひいてくれ
 
 
【きょう気づいたほうそく】
ウェーブへあーのドラマー、うまい。
ぼくも!ぼくもウェーブする!ぼくもいっぱいいっぱいウェーブするー!!
 
いっこも知らんバンドらのイベントいってきました、心斎橋パンゲア ひさびさ、すっげかったあああ、いってよかったああああ
TTNGすっげかったあああ、お金ないのにCD買ったあああ、あああああうわあああああ
 
人間のかのうせいってむげんだいのーーー
誘ってくれたマーゴさんあーとお。
 
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好きな雑誌は?て聞かれると答える「BRUTUS」のビル?が心斎橋にあってびっくりしたよ。
あとは「暮らしの手帖」とか好きだよ。
 
そして家に帰って家計簿をつける。
あかん、完全にアウト。
ライブ行ってるだけでもアウトやのにライブ行ってCD買ってる。アウトアウト
学生のころはまじでライブ行ってチケット代を払ってしまったらCD買えることはなかったのでほんとにほしいバンドのCDが買えなくてもだえていたことを思うと
 
アウトではないのか
 
いやアウトなんだけど
 
あの頃より 希望のみらいへいけてると思うと
 
アウトではないのか・・・
 
 
いやアウトなんだけど。
 
 
さいきんね、もっと長い時間が経った気がしているよ。
おかしいよね。たいしたこと、何もやってないのにね。
そりゃあ、たいしたこと、を、やりたいとも思わないけれど。
そうじゃなくってさ。
 
もっとさあ、時間が経った気がしていたよ。
 
それよりも短い たった少しで
世界は変わる、代わられる、かわれる、
景色がぐるりと かわる
 
それでも大事なことを見つけたと思うなら、
つづけることさ。
きみの仕事は
その理想を追い続けることなのだ。
 
ぼくはね、少し前に書いたことなのだけど
自分のために「自分のために生きる」
自分のために「他人のために生きる」
をやると思うよ。
 
 
 
・・・

2013/02/08 ぴとり
明け方、おきた。
なんだかとてもつらい気持ちで おきた。
なんだろう。なんでだろう。
ぶり返しで くじけそうや。
 
なにが?
 
うん。
 
・・・
 
個人練いった。
 
スタジオがことごとく空いてなくて うなだれる私に、
わたしのiPhone(名前:あいぽんことんとちーの)はささやいたのだ。
「諦めないで…あたいのマップをお使い…
 あなたがずっとiOSのアップデートをしぶっている、あたいのGoogleマップを…。」
 
あいぽんことんとちーのぉぉぉ!!!
 
はい
 
二駅隣りの、京阪土居 Studio Orque(スタジオオーク) にいってきました。
 
初めて来たところ、「すいませんねぇ待つ場所ぜんぜんなくて!」と言われながら
 
自宅スタジオ構築バイブル  渡された。
 
帰れ、ってことか。
なに。ここ。あかん。つぼった。
 
スタジオの人らは「ドラムのかたかぁ、ドラムの本あったかなぁ」
「いや、ドラムの人はドラムの本、よまへんやろ」
「あ、そおか。じゃあギターコードブックとか…レコーディングマニュアルとかかなぁ…」
ぼそぼそ本すすめんのやめて!!
おかしいやろ!!
 
ともかく
 
親切丁寧にしてくださってありがとう。
またゆきます。

paradict

いっぺん因果律を無視してみたい
と、頭に浮かんだが
特に意味は無いので、なぜだろうと思った。
 
まえの職場のみんなと、女子会しにいった。嬉しき。
こうして仲良くしてくれる人がいることはとってもハッピーだ。
あ、女子というべき年齢層のことはシーで
シーな
 
なんだかんだで予定が埋まっていてちょっと息苦しさを感じたりもするが
別に無理に埋めようとした覚えはないし会いたい人に会ったり 行きたいところへ行く。自然なことで忙しいのは嬉しいことだ。
退屈よりはずっとかいい。
 
明日はエンペラーめだかのスタジオで 長めに時間をとってセッションとゆうか 遊ぶタイムをつくる!とめだか君が言うて とてもうれしく とてもたのしみだ。
帰って、お風呂でよく筋肉をもみほぐして、深呼吸とストレッチをして、あとは心ゆくまで わくわくすることとした。
最近、というか前からなのだけど なかなかだらしがないゆえに習慣づかないのだけれど 色々とささやかではあるがトレーニング中ではある、
3月4月が全然できとらんかったので5月から反省して結構なるべく頑張るようにしている。
死にかけていた2011年ごろの自分よりかはずいぶん健康的な感じがする。
どうだろうか。死にかけのほうが案外、生命力が頑張るところはありそうかもしれない。
かっこわらい
 
シーな
 
僕のことを気にかけてくれている全てのかたへ
いつも一緒にいてくれてありがとう。
 
 
 
・・・

2013/02/05 うつくしいもの
うん、下山はきれい。うつくし。
 
 
景色を変える一番すばやい方法は、やっぱり自分が動くことなんだよ。
目えついてるのは自分の顔面だからね。そこいらのテレビジョンやらディスプレイではないぞ。
 
flashムービーにプリローダーがつけれんくって、うんうんうなってる。かんたんそおなのに。。実際簡単なのではなかろーか。。なさけない!
後ろでパイセンが、まだやってたんかいな顔で鼻でわらうし。。うう。。にくたらひい、でも、面倒かけてごめんなはい。。ありがとうです。。
 
 
となり駅までお買い出し。
サーモンどんぶりを食べるのだ。お腹減りすぎてお腹痛い状態やったのに、がっついとる。お腹おちついた。
これをできれば20時ぐらいには済ませておきたいものだが。なかなか。
 
最低限のこと、全てをすませるとAM1時をとっくにまわっている。
今日のP・E おわり!
ねやな。しぬ!
 
あまどいを 伝っておちる水滴が
四つうちビートで
おれんじの街灯がひたすら続く
 
だれに馬鹿にされようと、
わたしが従い、額(ぬか)ずくのは、美しいものだけでございます。

デイパス

こないだのライブのMCを、今、思いついたぞーーーーーーーーー!!!
やったぞーーーーーーーーーーーーーーー

これで同じ状況になっても少しは話すことがあるぞーーーーーーーーー

ライブにおいてぼくが喋るタイミングなどないほうがいいがーーーー!!
あるときはあるだろーーーーーー!!!

じっけん、じっけん、またじっけんで
前人未到のステップへたどりつけるのでしょう。
ぼくは練習はきらい(にがて)だが、少しずつ何かを自分のものにすること、自分の能力もふくめ少しずつ何かをつくっていくこと、が好きなのだろうと思う
できることが増えるのは単純に生きる快感であろー
そゆうことさ。

エンペラーめだかN.S.G. Office ネクストギグ(この言い方ぎっくりする)は6月なりや。
楽しみなりや
 
 
さて、(ひとつの記事に複数の話題を書くといつも切り替えが必要で困ってしまうな、ブログの性質上そりゃあ当たり前といえば当たり前だし気にしなくていいといえば気にしなくていいとは思うのだけれど)

「お忙しいところすみません」などという言葉を、実際に「思いやり」として使っているやつが何人いるだろうか、ということを今朝は駅までの道のりで考えた、
べつに自分がそう言われて疑問に思ったタイミングがあったわけではなく
むしろ自分が、通りがかる人びとに対して話しかけるときにその言葉を使うとして、その定型句を使うことでどれだけ意味があるのだろおか逆効果ではなかろおかとすればこの言葉の本来の意味とは…
ムニャ・・・

ネムーソン

かくかくしかじか
今日はなに食べようか考えている。
5月はいよいよ家計簿を本気でつけることに集中している(とはいえまずしょっぱなから旅をしたのでかなりざっくり減っているのはあるけど)ので、なるほど、やはり月に2回ライブにいくと赤字だし、週に2回外食をすれば赤字なのである。

世のライブハウスがもうからないわけである。
ある程度以上のお金持ちでなければ、そう何回もライブハウスへ足を運ぶことがまずかなわないのである。
必然的に行くライブは限られ、自分の好きなアーティストのライブですら、毎回行くかどうかと言われると難しい状況になるのである。
限られたライブ体験であればあるほど、その一回は、いいやつを見に行きたい!ということになる。
~そしてフェスへ~

つまり私は、平日の、全く知らないアーティストだらけのライブハウスへ、好きなバンドを発掘するためになんとなくふらっと出かけるということをぜひしたいと思っていたし 音楽好きなら皆もきっとそうであろう!とずっと思ってやってきたくらいなのだけれど、、
そういう人種がさっぱり少ないのは まあほかにも色々あるだろうが そういうこともあるのだろう!
しかし、ぼくがもしお金持ちだったらば毎日でもふらっとライブハウスへいくだろうか??
うーん、、
でもライブハウスで真剣に働きたいなあとは思っていた時もあったので
やったらやったで たのしだろなー いや飽きるかなー 思ったより世の中にくそバンド多くてびびるとかあるのかなー ぐちぐちしちゃうかしらん。
 
話それた
ぼくの所得はまあ、月に2ライブハウスへいけばアウトなレベルだという話でした。
ただぼくの今の所得は年々上がっており、完全に過去最高のものなので 少ないと思わないです。
つまりは身分をわきまえ、変な買い物はひかえ、かつそれに傾倒しすぎてケチくさい つまらん人間にならぬよう 豊かに過ごしよし、ということかしらん。

とはいえがんばって引き続き、お金をためてみようと思う。たまるかなー!
しかし、あると色々、したいと思ってることに使いたいもんなあ。
イベントしたり楽器買ったりカメラ買ったり旅にでたりしたいよーーー!
バイトすべきなのかーーー!
いやでも、家で何もしない時間やゆっくり暮らしをととのえる時間は必要だとおもうしなあ。´ `

まえにも書いたことなのですが
ぼくは人生でこれほどお金が欲しいとかんがえたことがなかったのです。。
時間も、ちょっと違うけど、まあおなじです。

休日の予定を埋めたいといっている人たちの気持ちが僕には一生わからん(想像はできます)気がするし一生わからなかったらいいな、と思います。

たいへんにフィジカルな意味で、人間はそれぞれに、生まれ持ったうつわがあると思ってます、
それを鍛えるもよし、ですが、
自分の身丈にあった生活というものがあるはずです。
誰かに合わせることもときには必要ですが、背伸びばっかり、屈んでばっかりいてはつまんないししんどいですよね

ところで自分のかたちや背丈にあった生き方をするには、自分のかたちや背丈を知る必要があります。

ぼくは物心ついてからこれまでずっと、自分について知りたいと思って生きてきた、そんな気がします。

ものの真理をひとつひとつ、知って行って自分のなかで解いてゆくのが、人生における命題やと、小さいときにおもったのです。僕はそれを、これが悟りかしらん、と出来の悪い頭なりに思いました。

そして昨年ぐらいでしょうか、ぼくは、自分の命の使い方を知ったのだと思います。
これだ、このためにおれは生きてるぜ!このために生涯を捧げるぜ!
だなんてうそ臭く決めつけて突っ走るような情熱家を気取るつもりはさらさらないのですが、
僕は自分の、いのちの使い道を、知ったんだと思います。

ここからは違うフェイズになってゆくでしょう。
そおか、僕にとっては、悟ることこそが人生の命題であると信じている僕にとっては、
ここが全てのゴールであとは、おまけなのかもしれませんね。
 
 
torottoゆうチョコレート菓子がひさびさにヒットでおいしい。むちゃすき。
腹が減っているからだろーか
コンビニのおまけで まどかマギカのまじょストラップもろうた
ストラップのなかで一番ほしい魔女のやつが いっぱい残っていてよかった。

自分の、頭と間の悪さにはほとほと困ったもんだと思っていて、
もうずーっと銭湯へ行きたいと思っていて、まず、四月のなかばに手術があった、そのせいでしばらくシャワー生活と、抜糸がなかなかできなかったのとで五月に突入、五月は頭は旅にでたりしていてなかなか落ち着かず、
今日はもうなんとしても銭湯へいくぞと思っておふろセットをがっつりかばんへ入れて朝から晩まで意気込んでいたものの、そういえばライブへいけばお風呂やいってる時間はなかろうなあ、とかなんとか今更思ったりしている。
バスはひとびとをのせてゆく
おもいおもいに おもいどうりに
われわれはゆくのだ、

ところで、Googleマップで調べて出た結果によると、職場から十三クラブウォーターまではバスを乗り継げば35分ほどで着くとのことで、まあ仕事を終えて19時ごろに職場を出た。19:30ごろに着けば上出来であろうと思っていた。
しかし、最初のバスがまず10分は遅れていて来なかった。とりあえず大阪駅まで出る。こんなに遅れているなら歩いたほうがよかったなと思うがまあバスは遅れるものだ、しかたない。
次のバスに乗りつごうとして改めて調べ直し、出た結果のものに大阪駅から乗るが、まず大阪駅のまわりをぐるぐるしていて20時を過ぎてもいっこうに着かない。どころかどんどん十三から遠ざかって西へ西へ向かっていっている。
十三まで直接歩いたほうが早かったんではなかったろおかとか思ってしまうが実際に最初からそれはしないだろう。
困ったぜ。
まあいいか。これもまたよろし。

そんなこんなで
バスにゆられて着いたは見知らぬ街
酉島(とりしま)。
いい名前なね。
バスの車庫まで行ってしまったのでおりざるをえなかった、はて、私の降りたいバス停はいったいどこへいったのだろう。まあいっか。

すこし歩いたらば、海へとつづくような登り坂なみちがみえたので、吸い込まれるようにそっちへむかった。

夜のウォーキングのおっちゃんの後についてゆくように、わくわくしながらひらけた景色は、
淀川だった。
とてもひらけていて、水面が近く、なんというか「ひらたい」という言葉がしっくりくるのだけれどきれえだった。
この雰囲気は、家の近所の城北公園というところでも味わえてそっちのほうが田舎と自然の景色でよいのだが、こっちはこっちでアーバンとの混合、ギャップでもないけどそういったかんじ、
とてもうつくしかった。

ぼくは梅田から十三へわたる際の淀川の景色が大好きだ。
あんなドラマはないと思う。

それでいて、一番好きな川はと聞かれればやはり僕の心の中に浮かぶのはいつだってそう、京都の高瀬川ちゃんなのだった。
愛している

目がはなせぬほどの速さで
川がながれておいてゆく
先回りはできぬ、いつかまた
同じところへたどり着く

しばし住宅街を歩いたのち、
近くに、ちょうど友達たちに少し前教えてもらっていたスーパー銭湯てきなスポットがあったので行ってみた。
750円もしてなかなか高かったけど
塩サウナもあったし
ひろくてゆったり浸かれたのはよかった
なにせお風呂やさんにここ最近ずーっと行けてなかったのだから
しあわせでならない
ドライヤーも無料だったし
髪の毛かわかしながら、自分のほっぺの染まってつやつや加減にうれしうなった

元気になった

どーでもいいことだが
誰かが自分のどーでもいいことを
気にかけてくれたりすることはうれしい。

お腹が空いてる感覚が全然なかったのだけど、何か食べたいとは思っていた。ただ、いってみたいお店の類はだいたい22:30には閉まっているというていたらくであった。
帰りに家の近くの居酒屋へ久しぶりにいって、少しご飯を食べて帰った。

隣の席に座った常連らしい男性が、一人でいる私が珍しいのだろか、かなりこちらを意識していろいろと気を遣ってくれ、話しかけたりしてくれて嬉しかったが、私には、この出会いを面白いと思い、せっかくなのでできるだけ仲良くなって深く知り合いたいと思う気持ちを少しでも表面へ出して歓迎の意を表せるほど、男性や、酔っぱらいや、いわゆる他人というものが恐ろしい という感情、経験を、まだ乗り越えられる気持ちには到底なれなかったのだった。

お酒についてや、お連れさんについて、適当に当たり障りのない会話を少しして、一杯くらいのみなよ、おごるのに!というその人の提案を丁重にことわり、
お会計をすませて家に帰るのだった。

また!
というかれの言葉が、何より有難かった。

少しずつ、
少しずつなら、多分仲良くなれるだろう。
僕はそうしたい。
もしもこれからまた、心をそんな風にひらくことがあるとすれば、
少しずつがいい。

ぼくを、人間としてみておくれ。

もう、誰かに好かれて 嫌われるのは、
つかれたんなよ。
 
人生でそんなに多くはきっと 望めないもんだし選べないものではないかしらと思う。
まず僕には、もう命のつかいかたがあるのだし、
それで十分なのではなかろおか。
というよりかは、それ以外はきっと選べないのではないかしら。

欲張ったら、ばちがあたる。
ぜんぶうまくいかず だめになるのが怖いのだ。
そんなふうに思っているのはこれまでの経験則からなのであまり訝しがらないでいただけるとありがたい。

誰かの人生をうらやんだりしない。
ねたんだりもできればしたくない。
そんなくだらないことはしない。
ぼくはぼくの道があり、きみにはきみの道があるだろう。
もう多くは望みませんから、どうか、どうかこれだけは奪わんとってくださいな。

そんなふうに願うのだ、
けれどこれは「守り」ではない。
ぼくはぼくの命を使って、
攻めていこうと思ってる。
戦いの場所へ、どうしても出てゆかねばならないのではないかと思ってる。

与えられしいのち
与えられし運命
かなしきも、また、よろし
 
 
 
・・・

2014/02/04 うたがい合戦
人の言ってることが本当かどーか疑って、やきもきしたところで、
結局うわべから見てたって確かめようなんてないのやから、
確かめるために踏み込んだところで、
なーんだ、嘘だったのか、なーんだ、本当だったのか。
のどちらでしょう。
 
そんなん見なくても、自分でやりたいこと、わかるよ。
褒められて嬉しいっていうのは、あるけど、
誰かに褒めてもらうためにっていうのは、
似ててもちがうよ。
 
だから合理的には、だけど、
自分がどうしたいか、やりたいことのために、
時間さいて向かっちゃったほうがいいよな。
 
っていうのを
 
最近
ようやっと
 
やろうとしてるとこ。
 
感情ヌキの世界に生きてるわけじゃあないから疲れるけど。
どっちにせよ疲れるもんな。
 
自分にいいことは、
周りにも、いいです。

5がつ

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エンペラーの誕生日である。
めだか君おめでとお!
今後もよき人でいてくらさい。そいで、与えた以上によきことが、君にも沢山巡り合わせますように。
 
 
さて、たぶん一ヶ月前くらいにも一度考えてたことなんだけれど
自分のために「自分のために生きる」
自分のために「他人のために生きる」
他人のために「自分のために生きる」
他人のために「他人のために生きる」
というのはあるのかなあと
そしてどれも間違いってことはないのだと思いますがまあ私はみんな本当は自分のためにだろうとも思うので後ろのふたつは建前的なものだろうとかなんとか。
 
まあまだあまりまとまってない考えの切れ端ではあろう。
 
 
さて、もともとひげがよく生えるほうなのですが、なかなかどうしていい感じに生え揃ってきたりもしているので、せっかくだし このままのばしていったらばどうなのだろうかとか、でもそうするとスカートが似合わなくなるので はけないなあとか何とかで面倒くさいな。ではひげを生やしズボンで過ごす月とそうでない月をつくって代わりばんこにしようか、そしたら二重に楽しめるかもなあ、とかなんとか、結構リアルに考えたりもする。
 
べつに職場でクーラーがガンガンかかってるとかでは一切ないのだけれど 朝からものすごく体調が悪く、体が冷えてしょーがないので、旧ヤム邸 中之島洋館へカレーをたべにいく。
あったかいチャイもたのんで すぱいすたっぷりマサラチャイですごいしああせ。
すぱいすを口に運ぶごとに体にそれが巡ってゆくのがわかる
僕の身体は生まれてこのかた優秀なポンプが一度も止まることなく働いているからこそ保たれているだな、と思った。
 
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すてきな器にきれいに盛られたあいがけカレーを食べながらなんとなく、
お金を払ったうえでのサーヴィスだとしても 誰かが用意してくれたご飯を食べられるということは
うれしいことだなと思った。
ただ、それが沢山世の中にありすぎる というのはなんだか おおげさだなあと思うこともある。
 
所感
 
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ええなー
そのおふとんええなー
 
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春に桜並木だったところを通り
この、いま緑々している葉っぱの木たちは
もとはあのさくら色の花びらをつけているのんと同じ生き物たちなのだ、と思うと
とても嬉しく、これまで知らなかったことを知ったとき嬉しいのと同じで
ぼくには愛おしい。
 
 
5がつ
 
 
 
・・・

2013/02/02 平気なのは兵器だけ
もうへいきなの?って言われるけど、
きっと完全に平気になんて、ならないよ。
なかったことには、ならないよ。
何においてもね。
 
それでも、鳴ったんだ。
おとが、鳴ってやまなかった。
 
縮こまって、苦しみをやり過ごすのは、もお終いです。
安全なここから、戦いに、出てゆかないかんです。
僕なら、今なら、それができるやろ。
 
後悔にはもう飽きた!

おどろきのリ・アくしょん

私の好きな、西尾維新という小説家の「刀語」という作品に、たしか、
金で動くやつは金のために裏切る、
名誉で動くやつは名誉のために裏切る、
だが愛で動くやつは裏切らない。
というのがある
 
しかし改めて思いおこしたところ、愛で動くやつは、では愛のために裏切ることはないのだろおか、
とはおもうが
この言葉は信じたい ところなのが心よりの気持ちです。
 
最近しばらく考えていたことでした。
 

ひるめし/夜めし(一部)
 
4月の自分のベストアルバム「あすべすと」を全て通しで聴いたあと、エンペラーめだか「ピンクフラッグ」を聴いて、ねむろうとした。
 
なぜだか、もう一度起きあがったあと、ぼくはふるい記録に手を出した。
箱の中に入っていたのは、2011年だった。
そうか、その程度の遠くない過去だった。
ぼくにはこの3年がもはや10年ほどに感ぜられるほど、
むしろ、自分のいのちは実は以前そこで一度おわってしまっていて、
2012年あたりにまた新しく生まれたので、そこからの私がちょうど今生きてるだけのことであって、とおく関係のない離れた出来事にさえ思えるのだった。
 
絵をかいたノートが、数冊出てきた。
どの絵も、「から」であった。
何かを見つけようともがき、苦しんでいるようでもあった。何も描けないくせに何か描かなければいられなかったような、それでも何も出なかった、それでもペンを握り線をひきつづけなければ殺されてしまう、そのような何もない、絵だった。
なんにもなかった。なんにもないところに、むりやり絞り出された抜け殻、空白、空虚が、そこに、紙ほどのごく薄い厚みをかさねつづけ、山に積まれて横たわっていた。
 
不幸にも、ぼくの描きたいものは人間でしかないのに、当時ぼくの人間観とゆうものは、希望のかけらもないほど殺されていたのだった。
 
いや、それは実は今もかもしらない。
ぼくはペンを手に取り、そのキャップをはずした。
明け方4時まで絵を描いた。かきつづけてみた。
二冊の、それぞれ半分以上空白が残されていたノートの残りを全て使い切るまで、ぼくは描きつづけた。
 
わたしの絵も、わたしの音も、
わたしそのものだと思う。
それ以上にもそれ以下にもなれないのだ。
だから私はこれらを職業にはできなかったのだった。おのれの状態によって、いっさい安定した仕事、技術の発揮が行えないのだから。
そしてそれを行いたいとも、思ったことがないのだから。
 
心が平静でなければ平静でない音が出るし、
ひとを愛すれば、ばら色の絵にもなるのだ。
 
今のぼくには、どうも人間の、愛にあふれた幸福な表情がかけなかった、
 
ただ勘違いしないでいただきたいのは、ぼくは不幸というわけでは決してないのだ。
ぼくはこれが十全だと思っている。
ぼくはこれ以上を、不自然には望みはしない。
 
なんだか、「触れる」絵を描きたかった。
ぼくは誰かに頭をなでていただきたい。
ぼくはぼくのやっていることを、誰かに認めていただきたいのだろう。
たとえお金にならなくとも、たくさんの人が賞賛などしなくとも、偉い人がよしとしなくとも、
ぼくの絵を美しいと認めてくれるひとはあるだろうか。
そしてそれは、どんなひとだろおか。。
 
描く前に何をどのようにどんなコンセプトで描こう、としたことはあまりない。
自然に筆がはしり、線がなにかをかたちづくる。そこに感じたままの意味を見出すのが自分である。
描かれたもの、ただそこに生まれてゆくもの、をぼくは、今よりもっと美しくする努力をしよう。
それだけだ。
 
実際に出来上がった絵は、何かに驚く表情のものが多かったきがする。
そうだな、と思う。
驚き、感動、僕が今、自分のいのちの中で感じていることだと思います。
 
それはやはり、り・あくしょんなのです。
ぼくから人類に向けた、最大限の、求愛のかたちでした。
ぼくに関わり、愛情を持って接してくれている全てのかたへささぐ、一人で生きられない、にんげんの、
 
一人ではけして感じることのできない感情、
 
そう、予想もつかなかった、だれかとだれかの関わり合いのなかで生まれる、
 
「おどろき」の、リ・アクションなのです。
 
 
 
今日、想像もつかなかった未来に出会うでしょう。
 
生きることの果実の甘みを、あなたと同じ時代に、このテーブルで、ともに味わえることは、ぼくにとって最高の、最良の、しあわせです。
 
めでたい!本当にめでたい!
僕は本当に、そう思っているんだ。
 
 
 
・・・

2013/02/01 にがついたち
血だらけのシーツの上
裸で踊る 僕ら
本当に バカみたいだけど なんか
「生きてる」ってかんじが したんだ(Dance./ネズミハナビ より)
 
久しぶりに大阪城公園でひるめし。
今日ぐらいあったかいとね。全然へいきね。
 
・・・
 
教育塔っていいね。
教育で、塔っていうのが、いいね。
 
 
あした、少し北上します、
色々とやらないかんことや利益や余裕を考えると、家にいたほうがいい気は何度もする。
でも、なんか今、いかないかん。
おれは自分のナントナクを信じたい。
そういう直感をのがしたくない。
生きてるんだから。

山あれど価値をみいだすはすくなき

サイバシ(心斎橋)いてました
 
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おお、、
 
201405111837_IMG_4602 201405111835_IMG_4601
歩く道決めてへんけど一回通ったところに何回も来てしまう感じは、定番
 
お店で流れていた曲が、すげーいいなと思って、
流れてる曲や歌のフレーズを、スマートホンから聴き取らせるだけで何の曲か教えてくれるらしい Shazam というアプリを初めて使って
その曲は Jack WhiteのLazaretto という曲だということがわかった。
すげえな。
これは本当にうれしい。お店の人が曲名を教えてくれる場合はそのほうがよいのだが、たいていの店員さんは店で何が流れているかなど把握してないさ!
 
むかしスーパーマーケットでSyrup16gのベストをえんえん流してるときばかりは
興奮して これを流してる人とお話がしたいのだ、とレジ店員にねばったこともあった。(忙しいらしく会えなかった)
ちょっと状況ちがうけど。
 
僕はテクノロジーとサービスに感謝した。
 
 
行ってみたいと思ってた場所が大体不発でげんなりしてたあと、食べたチーズケーキが当たりでうれしい、あじこっくり、
カレーもやってるそうで僕は次にここに来るときがひとつ楽しみになった。
 
アウトドアのお店でへんなかばんを見つけて店員さんに説明を頼んだところ、これは山登りのリュックの左右にジョイントして使うものなりとのこと、
なっとくこっくり、
 
場所がさっぱりわからなくて一回素通りしたタイガーコペンハーゲンがもう入って一列目から最高すぎてにこにこっくり、
 
201405111832_IMG_4600
サンホール前で、コロボックルズの映像が流れていてうはあー!って画面にかじりついたらば、びるしゃななオンスクリーンでにこにこっくり、
下山とEKVoがどーん!でてきて、なんともいわれずうれしか。。
汁ソニすごかたやろなあ。。
 
 
201405112143_IMG_4611
お腹すいたけどこーんなにお店があふれてるのに食べたいものないなあ。なんでだろー
地図上で見て、興味のあるお店って山ほど出てくるよね。
ここ最近、まあ自分の範囲というものを広げようと思い、(というのも、誰かに教えてあげられる守備範囲的なことをぼくは何か持てば、どうなのだろう、と思いまして)
興味あるポイントを地図上や、あるいは雑誌やネットの噂で探し、やーまほど見つけて、世の中にある店の数の膨大さに恐怖しているところでもあるのですが(私の興味の狭さから探したとしても、数えきれないほどの店やサービスが実際見つかりピックアップされるのです、これは、すごいことです。凄まじくあふれているのです)、
まあそれをメモし、ひとつひとつ実際に巡ってみたりしているんだけれど、
 
行ってみたいなと思った未知のポイント 10あるうち 行ってみて、実際入ってみることが1、あればいいほうである。。
そうでした、べつだん ぼくあグルメにも散財にも興味はないのだし、お金持ちでもないのでした。。
いや語弊があるかなあ、、うーん、
入る気になれない。
 
一人で店に入るのが怖いとかそういう話では全くなく、
別に、ご飯やらを食べる、や、時間を使う、にあたっての、「一回」のその経験を選ぶことに対して、もったいぶったり渋っているわけでもなく、
そこへ入ってお金を払うほどの価値を、僕は実際、みいだせないのです。。
 
だのに、僕はなぜこんなにライブハウスへ行っていないのだろうか、最近。
僕はそれがおそろしくもあり、
ただ、もっと別のために時間を使っている今の状況が、悪くもないとも思うのでした。
 
まあうん、難しく考えすぎであろう、そういうタイミングなのだろう。
無理をしない、心がいうままに自然にうごく、
これは、私の音楽に対する距離感でとても、大切なことです。
 
自分も含め、
全ての世界のひとびとの心が
そのくらい自分に対しても寛容で、自由であれたなら
誰かと同じである必要にせまられる苦しみ、
ストレスも もう少しは軽くなるのだろうか?
それとも、逆だろうか。
自分らしさを見つけることに焦り、苦しむだろうか?
むしろそれが今の世のひとびとのストレスたるだろうか?
 
違い、
それは僕にとっては喜ばしいことである。
人が自分と違うということは、
僕の知らない世界をきみは見れているということで、
それはとてもとても、すごいんだ。
そして見ている世界が違うのに、一緒に出会えてそれを話している、ということが、
すごいんだよ。
 
僕は、違う、ということに対してストレスを感じることがなかった。
僕にとって他人は他人、自分は自分、人は人、カモメはカモメなのだった。
わからないやつにはわからないし、
誰かのためにわざわざ自分を曲げることはとても下らないと思っていた。
 
けれど僕は最近、その違いのために悩むことも、ある。
それは自分にとって、自然なことではないけれど、
皆の気持ちも 最近なんとなく想像できる自分がいるからだ。
僕の世界にはもう、確かなる「他人」がいるのだった。
 
それは僕に関わったあなたが、くれたことなのだった。
確かに私を大切にしてくれるあなたが、分けてくれたものなのだった。
 
 
悩みは、他人がいるから、生まれるのだという。
そうだね。納得だ。
 
 
僕はだれもが他人と違うべきだと思っているわけではない。
誰かと違っていることがなにより素晴らしいと思っているわけではない。
なぜって、本当は、誰かに、わかってほしいのだ。
心から、わかってほしいのだ。
 
しかし思うに、きっと誰もが、心のなかでそう願っているのではなかろおか。
 
 
201405112139_IMG_4607
おうちへかえろう
 
 
いろいろ準備段階、ものすごく気持ちははやっているけれど、今は落ち着いて力をつけねばなとおもう、
 
 
わくわくすること。わくわくすること。
 
 
 
・・・

2013/01/31 生活たるや
みきおがhiyokoの宣伝をYouTube作ってくれた!すげえ!
 
私はhiyokoのメールアドレスとかを作ってみたり。動かしだしている。
 
緊張と興奮。大敵。
 
びびび!ってくる人に天満橋で遭遇。
 
とりあえず今日は、ご飯食べて、お風呂入って、ピンクフラッグ・エクササイズして、ねる!
いつも通りですね。
このいつも通りを、つづけたいなと思う。
大事なことだ。
 
そしてこれがもし難しくなるようであれば、
あるいは、
と思っている。
 
それは、ナシなのだ。
 
 
にがつがくる

ことば

そう、数日前深夜に電話をくれた友達の言葉なのだけれど、
 
 お前、変わったな。よくなった。
 きっと、いい人に出会ったんやな。
 
そう言ってくれた。
 
これ以上の、ぼくへの理解は、ないと思った。
本当にありがとう。
 
 
 
・・・

2013/01/30 うごきだす まわりだす
hiyokoが再始動をはじめる。
この1月からの動き具合はかなりすごいと思う。
いのちが終わるのではないかしらと思うがまだ終わってもらっては困るかもしれない。どうだろ。
 
みきおがhiyokoのFacebookページを作ってくれた。
とても嬉しいことだ。
 
やろう。やりたい。
それしかないし、それだけでいい。
気持ちひとつ、それだけでいい。
 
仕事がめちゃ忙しい。。
スーパーよりたいしお腹すいて帰る
でも、弱音なんかはきたくない。
たとえその後からでも、ギターの練習だってやりたいし、バンドのことを考えたい。
それがなければ、生きてるといえないと知ってしまったのだ。
 
だからやめない。
絶対やめない。

考えるだけはやめない

とても悲しい夢を見て起きた
夢の中では、自分がその光景を見ている立場で、起きてることのあまりの不条理さに目を覆って悲しくて大声で泣いてたけど、起きたら涙は流れていなかった。

おおきな、知能が高く人間と会話のできるシロクマが、絞首刑、といわれてすぐさま公開処刑で殺される夢だった。

詳しいあらすじとかはない、
そのクマは小さな頃から男の子に飼われて男の子と一緒に大きくなってたみたい、
わからないけれど、クマは周りや社会的に「悪い」とされ、裁判にかけられて、判決は死刑だったのだった。
まわりの大人たちが、動物を殺すときのただただ無機質な容赦のなさだったのがよく見えてた。
まあ動物だし。悪いやつだしあたりまえだろう。
そんな感じ
大きくなった男の子も、そのシロクマが悪いと聞かされ、そう思って、かれの敵の立場についてしまったみたいだった。
シロクマには味方がいなくなった。

おおきなシロクマはとても苦しんで死んでいった
私はそれを直視できなかった
私はただの物語の傍観者であった
最後にシロクマはメッセージをひとことふたこと残していた、男の子へ宛てたものだった。
それは男の子と過ごした昔のことと、シロクマの好物(具体的に何かだったのだけれどわすれた)がたべたい、ということだった。

なんだか暫くして思ったことだけど、印象としては多分、
映画「グリーンマイル」の感じ、だろうかな。
冤罪は、だれかにとっては罪である必要があるだとか。

夢から現実へ肉体が戻ってくる瞬間がとてもはっきり、わかった。
ぎゅうーと押しつぶされそうだった心臓の圧力が、ふ、と一気に和らいで、もどってきた。

起きてからもしばらく苦しかった。胸のあたりに何か詰まっている感覚
絞首刑になったクマの最初の表情、とても人間とおなじ、驚きの表情、そこから私は目をふさいだのだけど、それが忘れられなくて、でも忘れてはいけないのだ、と思った。

誰かに対して、違う生物だからといって、違う性別だからといって、違う思想だからといって、違う宗教だからといって、違う生まれだからといって、
不当に残虐に、それを当然として扱うことは、
レイシズムであるし、戦争だと思う。

ぼくが表情も変えずに殺す虫や、肉や魚、もしかして植物にも本当は意識があるのだとすればそれら全て、あるいは大地、大気、
そして経済大国で住むことによって無意識に世界のどこかで虐げているのであろうおんなじ人間に、
ぼくは同じように仕返しとして、よってたかって絞首刑を受けてもしかたがないのだろうなと思う。

それでもお前に、お前が、どうしてもお前が、
生きる価値はあるのか??

ずっとそんなことばかり考えてきた。
まだマシに伝わる言葉にできているなと思ったのはごく最近数ヶ月のことです。
でも根本的に僕の思想というのはこういうことでした。
自分の思想はずっと、大して変わってないと、自分では思っています。
変わったとすれば、ひとへの触れ方、態度と振る舞い、言葉の選び方や思いやりの行使の仕方、どうもそういったことかと思われます。
 
 
 
・・・

2014/01/29 テンションがあがっている
ギターもうまくなりたいな。曲を形にしたい。
それもそうやけど、なにより、ぼくはバンドがやれるみたいや!うああ!
そんなん、スタートラインでしかないけど、自分にとっては、うああー!おえおー!おえー!ぎゃぷー!
 
一回おちつこう。
仕事すませよう。
パイセンにも、同期にも、ヘルプしてもらいすぎやー
 
ああ、
自分がいつも聴きにいく 大好きな歌うたいの人に おせじやとしても ちょいと褒めてもらえたときの気持ちなんて。
スキップしかないでしょう。
 
お腹いっぱいご飯食べたら
そうよね
この眠気よね。

全てがさらわれるのはそのために

多くは望んでない
って色んな人がいうけれど
生きてるだけで多いんだよ、
気付いているかい、
 
ALL OR OAR,
 
ながされないよう漕ぎなされや。
それでも全てがさらわれるのはそのために。
 
 
 
・・・

2013/01/26 ぼくの道
みえない しらない さわれない。
誰も教えちゃくれないし、本にものってない。
掘るしかないのか。
どこにあるんだ、ぼくの道。

かなしみのないまち

友達からでんわ
どしたの?ときいたら 別にどーもしてないんだって。
とてもうれしかった。
いろんな話をした
 
前に口論もなんどかしたことある友達で
私のことを、おまえメンヘラやもんな!っていう
そういうくくりとかすごい嫌いなのだけど、なぜだかその人に言われるのはそんなにむかつかない
 
牧野酒道場 のはなしをした
大学のこと、
私は ずっとあの場所にいたかったんだよっていった
 
友達は むりだよ、と いつもの調子で少しおちゃらけて 皮肉っぽく 笑った、
息がきれちゃうもん。新しいこと、新しいこと、新しいこと…、
そうやってさあ、やっていかなきゃさあ、息継ぎできなくなっちゃうもんね。
って、とうとうと喋った。
 
私はこぼれてくる涙がとめられなかったんだ、
 
私のようにあの場所を大切に、思ってくれているように思えて、本当にうれしかった。
いまの場所から、あのころ、を、友達はみつめてしゃべっているようだった。
 
私にとって、あれは生きる場所だった。あれが、居たい、場所だった。
でも、それは当たり前ではないものだった。
どんなに守ろうと守ろうとしたところで、自分ひとりの望みだけではどうにもなるものではなかった。
 
私が最近考えてることと、同じようにシンクロすることを友達がどんどん話したので、わたしは、なんだか、ああ、おないどし、なのだなあ。って思った。
 
そういうことすら とても難しいと思った。
 
うれしいな。
 
 
エンペラーめだかでしょ?知ってるよ?
お前はバンドやれてよかったんやな、
お前は、歌うといいよ。もっともっと、歌ったらいいよ。
 
私はその言葉を信じたいと思った。
 
ぼくはいま死んでもいいんだ。
いま生きているから。
心臓が動くだけでも、呼吸ができるだけでも、だめなのだ。
ぼくが生きるのは、君のような、わたしを大切にしてくれる人間がいてくれるからだよ。
 
 
 
・・・

2013/01/25 残すほどでもない
あ、桃色のゲロ。
 
咳がほんまにきつく記憶があまりない。
こんなんで生きててもしゃあないわって、死ぬ間際に病院でいってたおばーちゃんの言葉を思い出した。 その通り、健康で、希望もって、やりたいことやってわろてる間が人間やわ。
 
つらいことというのはリンクして続いたりもする
 
まだやれるのか、
まだ耐えられるのか、
 
でも、新しいみちを試そうとおもう。
ぼくにはもう、それをやらずにはゆかれないと思う。
 
これが最後のちからでもいい。
やらずに、生きたとはいえないと思った。
 
うごくよ。