文句いうのやめたら言うことなくなったので残りのあんまし意味のないこと並べる
自然にからだがゆれて、自然に口がわらっとう、そんな瞬間だけ、誰にも認めてもらえんでも、おれは生きてる、って思えたよ。
何もかもくだらないわって思う
くだらないわって
なんや一日中、直らないねぐせとの戦いでした。
というか直らない何かとの戦いでした
すとんとゆかんすなあ、、
もうなんかすっげー疲れて泣きそうにもなったけど別にどうでもいいので泣かずにすみました
ところで、正しいことを正しいってゆってある程度適当に何でもできちゃう人に、
間違ったねたみ、そねみを何度も繰り返してうまくもゆかないような奴のことはわかんないでしょ。
それがあなただとは言ってないし
それが私だとは言ってなくて
たとえば、ね。
ねぎラーメン食べて帰る
今日の糧に感謝しま
すたんだーどをぶったぎる
右目が妙にわるい
いつもは左目がわるいのだけれど。
日付はかわるが今日のつづき。
誰かの暮らし、誰かの暮らし、誰かの暮らし。
とてもなつかしい
坂をのぼった。もう家はない。
暮らす人らの、からまった頭ん中。
君に出会ったよ。
うたをうたったよ。
結構やるだけのことはやったし、
いろんなことも体験できたし、
存在を、認めてくれる人もできた。
私はもう、おおむね満足だな。
なんしかこれまで不平…不公平だっておもうこと、不満…不満足なこと。もあったし
反骨で、自分のようなやつがいたっていいはずだっていう勝手な確信とその証明のために、死にそうながらもやってこれたっていうのはそういうところなんだろうと思う。
満足するほど生きてなかった、から
不平ももらしながら、生きるんだろうね
なんかすっきりしてるのだ、
こんなに、生きたと思えたのは
初めてだ。
生きた。
東大路通りを歩いて、かつての「いつもの」道を来て、七条通りへさしかかったとき、
確信した。
したいことがなくなってしまった。
やったし、叶ったのだ。
終わったのだ。
だから、ここ最近、何もいいと思えないのかなあって思った。
じゅうぶん、やり終えたのだ。
別に万人に理解されたいと思わない、のは結構みんなそうじゃないかなと思うんやけども、
私の場合は本当に、経験済みだからはっきりわかってるのは、理解者がたった一人いればいい。
それも案外みんなそーすかね。
だったらすこし、安心するかも。
まあ、いいや。
ともかく、まあ唯一反骨でなんとかやってたつなぎの糸が、まあ私の中では、報われたのだ。
それでいい。満足した。
私にしてはよくやった。
じゅうぶんやった。
そう思えたから、
欲しいものは、もう、ないのだ。