ごーごーごっこっこ

ライブを終えて

一日放置してた仕事が詰まりすぎてて終わらないので友達の飲み会どころかよるぽじも不可能だったーくそー
まあ放置してなくても かもしれない が、まあ仕方ない。
ともかく何かは捨てなきゃ、何かはできない。そういうものだと思ってやってきて、選んできているし。

ただ。

私のドラムを男前だとキラキラしてたと言う人がいた、好きだと言うてくれた人がいた。

まあドラムは別に褒めてもらわなくていい。音楽をほめてもらえたらいい、
エンペラーの音楽がすきでエンペラーをよく知る人がエンペラーをいいと言ってくれた。
それでよかったし、出演した全バンドさいこーによかった。平日、スタート早いライブだったのにお客さんいっぱいですごかった。
昨日のnanoはとてもいい夜だった。

ただ、メンバーは、お疲れ、としかゆわなかった。
どうだったんかなあ?てきいても
どーだったんでしょうね、としか言わなかった。

そしてメールで、今回でメンバーが抜けるとだけ、連絡だけきた。
エンペラーから、きた。

へえ。そーなんだー、って思った

いいも悪いも共有したかった、
メンバーだから
なんだか、そんなこと思うこと自体が馬鹿みたいなのかなと思ったら
なんだか、やってきたこと全部が馬鹿みたいにも思えたけど
でもそれは一瞬のことで、

やっぱり私はねえステージ楽しかったんだよ。
ステージはステージだとおもう、
そんで、この夜はこの夜なんだとおもう、

お客さんの顔をもっとみろよ、

私は片足つっこんで文句いうてるだけやろおか。

バンドは人間やとおもいます。
音楽も、人間やとおもってます。

メンバーへ、話し合いできるように連絡した。

私なりにこのバンドへ時間をさいたし、
苦しいとか  悲しいとか 腹たつとか 阿呆らしいとか とも戦った、
まあ、つもりだけか、
つもりだけかな。

別に褒めてもらうためとか認められるためにやってたわけじゃない、
やりたくてやってるし、自己責任だと思ってるし、バンドやるためには当たり前と思ってやってきた。

ただ、今、なんでなんだろね、すごい浮かんでくるのねー
「何のために?」って、

何のために、

あんないい夜があって、
お客さんいっぱいで、わらってて、
そこで自分も演奏ができて、
そりゃあベストじゃなかったかもせえへんけど三人でやるライブは初めてで、練習もなんでか二回しか入れへんくて入ってへんくて、
その一回目のライブで、たった一回のライブで、

浅はかだ

私はライブがすきだ
音楽しらんけどそれでもここにいたい
褒められなくてもここにいたい
だから証明できることがある

くやしい
なぜだろう
バンドってなんなんだろう
チームじゃないんか、
やっぱり取り替えのきくただのパーツなんだろおか、

ライブをやって
お客さんもきてくれて
いい夜だったのに
出なきゃよかったって思ってしまうなんて、うそだ、
うそだのに、、
滑稽だ 罪だ 無意味だ 阿呆らしい
私が、馬鹿だ、

さんがつはつかねずみ

最近つくりかけの自分の歌  が、今日はあたまをこだまするようにずっと回転している。

二年ほど前から、そうね、京都から今の家に引っ越してから、
暮らしを畳むことを考えつづけてきました。
まあものは実際増えてるんだろうけど。
漫画も雑貨も買わなくなったけど
身につける衣類とかは買うし
人にもらったもの、もらった手紙、行ったライブのチケット、思い出の品、楽器。
そういうものは少しずつ部屋に増えているけれど。

身辺整理、とゆう言葉がしっくりくると思う。
身の回りを、片付けて畳んでいかなくてはと思っている。
例えば思いでの品にしろ、箱にまとめるなりして自分の中で、落とす。
使いかけの、でも使っていないもの等は、使うか、
その見込がなさそうであれば、捨てるという形で消化する。
残された人が困らないように
どうしてもみっともない、恥ずかしいようなものは
どうせ残ると思うけれど。

数日前の日記に
文句を言うのをやめたら言うことがなくなったと書いたけれど
同時に、一般的に「良い」とされることも特に書く気にならなくなったりもする。
いいことや幸せなことや誰かの目を喜ばせるフラットなものだけを、選んで書くのは、
やっぱり自分には、嘘くさいし不自然に思える。

喜びも悲しみも憎しみも怒りも
私にとってはベクトルのある、生きてる実感そのものであるので、
どれかを無理になかったことにするというのは、やっぱり、変ですね。

とはいえ私も、思ってることを全て出している人間かといったら全くもって違うし
嫌われるのいやだから言わないでいることも多いし
相手の様子うかがうというか 顔色見て態度も改めるようになったと思う。

大学卒業したあたりに、友達から、空気読めるようになったね、って言われたくらいにはまあ。

それまでは、空気読む、の意味がわかんなかったんですよね。
人間と人間のコミュニケーションにおいて、嫌だって思ったら、いえばいいじゃないすか。それができずに黙る、っていうのは、それもそいつが選んだ選択肢なんだから、自己責任でしょ。
そんな感じでねえ
ある種、何も怖くなく、強かったってことなんですが

自分が自分らしくあることをずっと探し続けてきた。自分というものがわからなかった。まずそこでした。
この性分なもので他人は理解できないものだし理解してくれないものだって思ってたし。今も思うけど。

でも今は、
私の人生のなかに、明らかに「他人」というものが入っているのを
ひしひしと感じている。
それは両親も含め、
人を愛するということ、それを変えずに続けるということ、
それが、とても、私にとっては、自他共に、不可能に近く困難に思えることを知った、しかもそれが自分を生かしており、自分に必要不可欠な要素であることを知ってしまった。というのもあります。

私は人間がわからない。
これは一貫してずっとそうなのですが、
でも人間を愛している、のも本当なんですよね。
不完全で、不衛生で、泥臭く、
嘘臭く、意地を張って、思ってもないことを言ったり、
見栄を張ったり、欲張って、他人をこけおとしたり、
平気で殺しあったり、利用したり、
どーしようもない。

それでも知っておいて頂きたいことは、
私が信じているのは、性善説なんです。

ね。
「話が逸れた」っていう発想自体が、資本主義、合理主義の産物だと、
私はね、思いますよ。

ライブ 二条nano

そう骨に歌を僕らの骨にはいつだって歌を、
そう骨に歌を僕らの骨に響く強い歌を。

昨日はやっぱり最高にいい夜だったと思うけど終わったあとのメンバーの空気感はよくわからなかったけど私には最高でした。だめだったのかな?楽しくなかったですか?

そりゃ他のどのバンドにも実力は負けてる気はしたけど、いっつも見に来てくれてるゆーかちゃんは、今日いちはエンペラーだったと言ってくれた、
見てくれた人は今夜をとても楽しんでくれたみたいで私も心から楽しんだ。
それが一番だとおもったし、最も誇らしいことだと思う。

ライブの途中、色んなものがみえたし感じた、たくさんnanoにいるお客さんの顔、すげー楽しそうなめだか君の顔、ちょっと暴れにいってる尾島くんのすがた、ひどく汗かいてる自分の感じとか。
全てテンションがあがったし
うかれた
うかれてうかれて、舞い上がった

そのなかで確かに、情熱をもったあつい冷静を。最大限の集中を、バンドとしていい音を鳴らせるようにと願う思考を、あがっていく感情とまじわらせて
脳みそと肉体をゆらす

毎回のライブでたしかに色んなものをつかんでると思った、
私はね。

お疲れ様、
あと、ありがとお。

日々はぼくのために無く

一月、二月、三月のもともと書いてた日記を一部あげました
ぱらぱらと日付はとんでるので

なんとゆうか
まあ
いいです、うん、