ああ、うん、いつ来るのかと思って まってたよ。
だから部屋は無音にしておくんだよ。
きみを待ってたよ。
みみのなかをうたはながれた
「言葉だけしんじてさ、
安心してるのかい?
嘘ぶくきみも好きさ、
でも すぐにわかる」
おかえり、
言いたいことも言えることも
大して何にもないんだろう か?
ゆるされる、ことは
生きること、たりや
僕にはわからない、
けれど君が、ひつようさ、
空気温が体温にちかづく
新幹線の改札でなぎちゃんを見送ったあと、
ぼーっと、あー何すんだっけ、と、なんだかよくわからんくなって
おいしそうなチーズケーキ眺めて、でもホールしかないなーたかいなーとか思いつつフラっとしかけたとき、
ギターケース背負った少年が、目の前を通り過ぎた。
あー、いかなくちゃ、
なんだかそう思った、
自分の心や体が必要としている栄養素を、
本来、野生のたましいはナントナクでわかるものであるかなと思う、
僕はメリットやデメリットや時間の都合や合理的な理屈だけで
今日のことも、遠すぎる未来についても、
決めすぎることもないなと
いや、誰もがそうかとは思うが
決めすぎたくないなと、思ったりするのだった。
その時点で、今日、決めたことを、ぜんぶやめた。
そしてこの後についても、決めるのを、やめた。
そいで歩き出した。
自然治癒に任せるような感覚で
自分の生命力をためさなばならないときが私には何度もあって、
まあ言い口はなめらかで冷静であるが
全くもってフェータルな問題として直面している。
わたしにはおのれがわからぬ。
それを探して生きているところがある。
しかし実はそこにはおのれだけでなく、他人というものが非常に重要に絡まってくるものであることを最近知った私は、
その道のりがあまりに途方もなく、どうしようもなく思えてしまい、動けなくなる。ぜんぶわからなくなる。そんなとき、
おまえは生きたいのか?
わたしは自分で、自分に、それを証明しなければならない、
いつかのみちを、
ぐるぐると あるきだす、
ながしたアルバムはなんとうなく
東京ビバーク/スネオヘアー
ふるい場所をぬけ
ナントナクでみちを選ぶ
まがる
くねる
すると新しい場所へでる
とても素敵な場所だった
新幹線がみえる 停車して何かをしているあかりの消えた電車もみえる 河があってトランペットをぷあぷあふいてる人がいる、
ピアニカやギターや太鼓がほしいなと思った
アルバムがおわったので次にする
なんとなく 下山DECO
河に降り 堤防をのぼり 堤防をくだった
少し危ない場所、というのはなんとのうでわかる
前の私はたぶん怖いなんて思わなかったが、今は避けたいと思えた。
広い通りへ、
またふるい場所へたどり着く、
あ、昨日も通った同じところだ、
結局そういうふうに何かの磁場がはたらいていることにうすうす気づきながら、
べつに避けようともしていないが避けられないでいる自分に、少し笑ってしまう、
陽が落ちた。
ひとまわしだけ聴いてスルーしてた「あぶら無知の涙」がひじょうに、きた。
何かが以前とちがうんだってやつだ
竹田街道でどうするか迷った
けれど、たたみかけるように脳みそを走る「癇癪する大脳たち」になにか体をつよく、押された、気がして
もう少し行こう、と思うた。
ただこの時点で自分の行き先の選択肢については実はもう少しで限界がきているということはすでに自分で判断がついていて、
ここいらで終わりにするか、それとも、なんて、考える、ようで考えるのをやめた。
十条大宮、「蒼白のとおく」。
何かの記憶がかすめるのだけど
何なのか思い出せない。
たぶんここへ来たことがあるのだろう。
人が生きる場所は、
どこか、距離がとても離れている場所でも、瓜二つのようにそっくりな空気感や景色がたくさん生まれているもので、
さっき通ったみちも、このみちも、まるで、昨年度さまよった大阪の、郊外の街の風景にそっくりだった。
繰り返される出来事は
私の意思ではどうしようもないから、
それでもおまえは生きたいのか?
私はそれを自分の身体で証明してゆかねばならない。
オレンジの帰りみち
夏がひとり、ブランコこいでる
ぽつりと、いつかの景色がうかんだ。
真っ直ぐ通りを下ってみたものの、まったくもっていいことがなく、
いつのことか覚えてなかったけど前にも来た道でものすごくがっかりした。
普通に下山が二周目していたのに気づくけれど、今のところ別の曲に変える気がおこらない。
たどる道に異様にいやな予感、
どこへもいかれん、これ以上とおくは、ない。
いやな感じだ。
残念、残念、残念だ。
わかっていたけれど、結局は、これ以上見たことのない何かを発掘していったとしても、見つけたものは、どこか、前にも見つけたものと類似していて、見たことがある、のだ。
帰ることにした。
わかったことはある、
ぼくは死ぬのが怖い。
ここでいう、死ぬというのは、心臓が止まったり脳みそが機能しなくなるという意味ではけしてない。
本屋で雑誌を買った。
次に誰かにたずねられた時に、答えをいくつか用意しようと思ったからだ。
わかったことはある、
ぼくは今のところ、生きていると思う。
ここでいう、生きるというのは、心臓が動いていて脳みそが正常に機能しているという意味ではけしてない。
どうぞうむじんぞう
東京からなぎちゃんが遊びにきてくれた。
hiyokoのアー写とか 動画とか撮ってくれたり、とゆう繋がりで
CDをお友達にひろめてくれたり(てれくさい。。)
今も仲良くしてくれるむすめさん
関わりはじめの入り口がそこであるというだけで
なんだか一緒にいて自然体でいられるような雰囲気の友だちと思う。
家にお客さんがくるのは久しぶりでとてもうれしい。
実際どうかわからぬが、人が来られる程度にはたぶん片付けた。。
それは自分のためにもとても良いので とても感謝、
おんしゃ〜
CDを聴いてくれたというお友達さんにも会えて飲めたし美味しいめしを一緒に食べれた。
うれしかった。
私なんぞを紹介して繋げてくだすってほんと、あーとお。
というのが昨日で
昼にのんびり起きて三十三間堂へいった。
像はすごかった。千以上あるらしい。そしてそれぞれが三十三の変化をするらしいのでほとけの数としては三十三倍だそうだ。
違ってたらごめん、調べてや
私は像のうち、お香を食べて蜃気楼を出すというやつがいっちゃん好感が持ててぜひとも友達になりたいと思った