ずいぶん前から思ってたことなんだけど、言葉にできるようになったのは多分三ヶ月くらい前からぐらいなんだけど、
「なんでもお仕事」人種が増えすぎているように、思う。
形式、効率、立場を上に持っていくこと。相手を言い負かすこと。
仕事には大事かもしれない。最終的に自分側にも利益が出なきゃいけない、からね。
けど、個人のときはまったく別物だと思うのねー
合理的じゃない、感情だって個性だって人間性だって、必要なものだし大事なものだし、というか「ある」ものだから。
どうも頭がかたすぎる奴が増えすぎている感じがしてしまう、
それは今自分の周りに、働く人間 ばかりになっているからというのも関係あるんだろうなあ。
みんな、働くと 染まらざるをえない。
もちろん自分だって。まさか完全だなんて思ってないさ。
正しいとも思ってない
でも私がそう感じてそう思うこと、ぐらいは許してよね。
つづけますよ、
人と会話することというのが、「何か決まった形式で欲しい答えを聞き出すもの、望む方向へ誘導するもの」
という認識のやつがそのまま個人どうしの会話にもそのルールを持ち込むので、大変困るときがあるのだ。
こっちは仕事のつもりがない。着地点をわざわざ探す必要もないし、無理に会話を時間内に終わらせる必要もない。
「それを話すことって、なんかなんの?結論でないっしょ?」
とか
「え、どう返してほしいわけ?」
とか、言われてしまうとき、
私の答えはこうだ、
何になると思って言ってないし、どう返せばいいかは自分で好きにしてよ、決まってないし決めてないよ。
個人と個人の会話というものがそういうものなのであれば私はもう、何も言えなくなってしまう。
色々言いたいことはある
けれど「相手のことを思う」と
言わないほうがいいとなるので
私は何も言えなくなってしまう
まあちょっと色々あり
そんなわけで私は
言ったことの細かい補足をしたかったけど
するのを やめてしまうように
なりました
まあ、それがその時の相手の感じる「思いやり」であろう、という判断から、だけども。
仕事なら、まあ時間内に終わらせなければならない目的があるだろーから
そういうベクトルや速度のある会話も必要やろうと思う。
けど、仕事じゃないから、別に私はあなたがたをどうこうしたいわけじゃないし形式に縛られた望む答えを求めてるわけではない。
私が、言葉遊びをしてくれる人がすごい好きなのはそういうところだろうなと思う。
なんかやっと最近こういうりくつでつながったけど
よーするに、くだらないことを一緒に、一生、したいのだ。
何のためとかこういうメリットがあるからとかじゃなくて、
したいから!って言って、したいのだ。
そして一生それを続けることが、私の使命であり、運命であり、夢だ
と信じているのだと思う。
意味のあることに対する反抗であるつもりもなく(まあ一部あるかもしれんが)、
無意味なことも、いいと思うのだ。
自然界には、無意味や理不尽ばっかでしょう、
誰もに適用できるルールなんてどこにもない、
あなたの言う当たり前は、
あっちの世界では、マイノリティかもよ。
知らない世界に一人。
ひとり。ひとり。ひとり。
夜遅くまで、歩いた。
いろいろなことを 想像しようとした。
でもどれもリアルには想像できなかった。
きみの隣にいる自分を
うまく思い描けない
ああ、みちはとおきな、
つづく
・・・
2012年10月30日
起き上がれない。あんまり悲しい夢を見て。
ばかげている
仕事おわりに、引越し先の見学いっこ行った。
そう、引越しをします。今年じゅうには。
もともと、間取り図とか色々見るのが趣味みたいな時期があったので 自分の気に入る条件での家探しは 慣れてるほうやと思います。交渉とかはだめっぽいけど。
・・・
で、そのまま別の土地に一人で、とりあえず、行ってみることにした。
歩かないととわからないのでねえ。
電車にゆられて、
冷えきらない、窓の外。
オレンジ色の街灯り。
知らない世界に一人。
ひとり。ひとり。ひとり。
夜遅くまで、歩いた。
いろいろなことを 想像しようとした。
でもどれもリアルには想像できなかった。
きみの隣にいる自分を
うまく思い描けない