対とる

私を大切にしてくれてると思う人たち、と、テキスト上で会話。

私の何が好きなんでしょーかね、
私はそんな魅力的な、誰かと比較してメリットのある人間ではないのは存じてますので。
これは謙虚なつもりも卑屈なつもりもなく、べつに私は自分を完璧だとも思ってなく人気者だとも思ってないのでただ自分らしくそれなりに誇りを持って生きてるんですが経験上あまりうまくいかなくそう感じるので言ってます。

何も知らないのは別に仕方ないのでいいけどたぶん知ってしまえばどうせがっかりするだけなのになあ。
何も知らんから好きなだけでしょう、と
いじける自分も  よくわかっていて

そのうえで
ぼくはぼくのたましいを誰かに合わせて無理に加工することは、やっぱり、しないと思う、
好きな人のために変わりたいとは思う。でもそういうのとは違うと思う。

つまり私からすると、みんな楽をしたいだけのように、見える、
あなたがたの好き、というのは  あまりに短気で無責任すぎるように  思ってしまう。
重たすぎると誰かは言うかもしれないが、べつに軽くてもいい、ただ真摯に素直に向き合ってくれればいいのだけど自分のケツもふかない無責任なやつが多すぎる。

味方以外が敵のつもりはさらさらないんだけど、というかむしろ、ぼくにはあなたがたがそういうふうに、見えてしまうぐらいで。
それが怖いし怖いから警戒している、

私のたましいのあり方を好いてくれる人に出会えたら  それでいいんだけど
でも難しいとも思うし別にそれが目的ではないんでどうでもいい。

自分にとって価値があることが他人にとっても価値があるとは、まさか思ってないから。

自分にとって大事なことを
軽く適当に傷つけられて、逃げられたら
怒るでしょう、
でも相手にとってそれはべつに大事じゃないから、自分が悪いと思わないんだよね、
それだけのこと、

ぼくのこれは他責か?

・・・

2012年11月10日
・・・
いっぱいいっぱいなのに、
けっこうしんどいことって胸の中にのこるなあ。
いっぱいいっぱいだから、かなあ。
余裕ないのに、真ん中に出てこられてもなあ。
 
まあ、そうか。
そんな上手にできてはいないものねえ。

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