山あれど価値をみいだすはすくなき

サイバシ(心斎橋)いてました
 
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おお、、
 
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歩く道決めてへんけど一回通ったところに何回も来てしまう感じは、定番
 
お店で流れていた曲が、すげーいいなと思って、
流れてる曲や歌のフレーズを、スマートホンから聴き取らせるだけで何の曲か教えてくれるらしい Shazam というアプリを初めて使って
その曲は Jack WhiteのLazaretto という曲だということがわかった。
すげえな。
これは本当にうれしい。お店の人が曲名を教えてくれる場合はそのほうがよいのだが、たいていの店員さんは店で何が流れているかなど把握してないさ!
 
むかしスーパーマーケットでSyrup16gのベストをえんえん流してるときばかりは
興奮して これを流してる人とお話がしたいのだ、とレジ店員にねばったこともあった。(忙しいらしく会えなかった)
ちょっと状況ちがうけど。
 
僕はテクノロジーとサービスに感謝した。
 
 
行ってみたいと思ってた場所が大体不発でげんなりしてたあと、食べたチーズケーキが当たりでうれしい、あじこっくり、
カレーもやってるそうで僕は次にここに来るときがひとつ楽しみになった。
 
アウトドアのお店でへんなかばんを見つけて店員さんに説明を頼んだところ、これは山登りのリュックの左右にジョイントして使うものなりとのこと、
なっとくこっくり、
 
場所がさっぱりわからなくて一回素通りしたタイガーコペンハーゲンがもう入って一列目から最高すぎてにこにこっくり、
 
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サンホール前で、コロボックルズの映像が流れていてうはあー!って画面にかじりついたらば、びるしゃななオンスクリーンでにこにこっくり、
下山とEKVoがどーん!でてきて、なんともいわれずうれしか。。
汁ソニすごかたやろなあ。。
 
 
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お腹すいたけどこーんなにお店があふれてるのに食べたいものないなあ。なんでだろー
地図上で見て、興味のあるお店って山ほど出てくるよね。
ここ最近、まあ自分の範囲というものを広げようと思い、(というのも、誰かに教えてあげられる守備範囲的なことをぼくは何か持てば、どうなのだろう、と思いまして)
興味あるポイントを地図上や、あるいは雑誌やネットの噂で探し、やーまほど見つけて、世の中にある店の数の膨大さに恐怖しているところでもあるのですが(私の興味の狭さから探したとしても、数えきれないほどの店やサービスが実際見つかりピックアップされるのです、これは、すごいことです。凄まじくあふれているのです)、
まあそれをメモし、ひとつひとつ実際に巡ってみたりしているんだけれど、
 
行ってみたいなと思った未知のポイント 10あるうち 行ってみて、実際入ってみることが1、あればいいほうである。。
そうでした、べつだん ぼくあグルメにも散財にも興味はないのだし、お金持ちでもないのでした。。
いや語弊があるかなあ、、うーん、
入る気になれない。
 
一人で店に入るのが怖いとかそういう話では全くなく、
別に、ご飯やらを食べる、や、時間を使う、にあたっての、「一回」のその経験を選ぶことに対して、もったいぶったり渋っているわけでもなく、
そこへ入ってお金を払うほどの価値を、僕は実際、みいだせないのです。。
 
だのに、僕はなぜこんなにライブハウスへ行っていないのだろうか、最近。
僕はそれがおそろしくもあり、
ただ、もっと別のために時間を使っている今の状況が、悪くもないとも思うのでした。
 
まあうん、難しく考えすぎであろう、そういうタイミングなのだろう。
無理をしない、心がいうままに自然にうごく、
これは、私の音楽に対する距離感でとても、大切なことです。
 
自分も含め、
全ての世界のひとびとの心が
そのくらい自分に対しても寛容で、自由であれたなら
誰かと同じである必要にせまられる苦しみ、
ストレスも もう少しは軽くなるのだろうか?
それとも、逆だろうか。
自分らしさを見つけることに焦り、苦しむだろうか?
むしろそれが今の世のひとびとのストレスたるだろうか?
 
違い、
それは僕にとっては喜ばしいことである。
人が自分と違うということは、
僕の知らない世界をきみは見れているということで、
それはとてもとても、すごいんだ。
そして見ている世界が違うのに、一緒に出会えてそれを話している、ということが、
すごいんだよ。
 
僕は、違う、ということに対してストレスを感じることがなかった。
僕にとって他人は他人、自分は自分、人は人、カモメはカモメなのだった。
わからないやつにはわからないし、
誰かのためにわざわざ自分を曲げることはとても下らないと思っていた。
 
けれど僕は最近、その違いのために悩むことも、ある。
それは自分にとって、自然なことではないけれど、
皆の気持ちも 最近なんとなく想像できる自分がいるからだ。
僕の世界にはもう、確かなる「他人」がいるのだった。
 
それは僕に関わったあなたが、くれたことなのだった。
確かに私を大切にしてくれるあなたが、分けてくれたものなのだった。
 
 
悩みは、他人がいるから、生まれるのだという。
そうだね。納得だ。
 
 
僕はだれもが他人と違うべきだと思っているわけではない。
誰かと違っていることがなにより素晴らしいと思っているわけではない。
なぜって、本当は、誰かに、わかってほしいのだ。
心から、わかってほしいのだ。
 
しかし思うに、きっと誰もが、心のなかでそう願っているのではなかろおか。
 
 
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おうちへかえろう
 
 
いろいろ準備段階、ものすごく気持ちははやっているけれど、今は落ち着いて力をつけねばなとおもう、
 
 
わくわくすること。わくわくすること。
 
 
 
・・・

2013/01/31 生活たるや
みきおがhiyokoの宣伝をYouTube作ってくれた!すげえ!
 
私はhiyokoのメールアドレスとかを作ってみたり。動かしだしている。
 
緊張と興奮。大敵。
 
びびび!ってくる人に天満橋で遭遇。
 
とりあえず今日は、ご飯食べて、お風呂入って、ピンクフラッグ・エクササイズして、ねる!
いつも通りですね。
このいつも通りを、つづけたいなと思う。
大事なことだ。
 
そしてこれがもし難しくなるようであれば、
あるいは、
と思っている。
 
それは、ナシなのだ。
 
 
にがつがくる

ことば

そう、数日前深夜に電話をくれた友達の言葉なのだけれど、
 
 お前、変わったな。よくなった。
 きっと、いい人に出会ったんやな。
 
そう言ってくれた。
 
これ以上の、ぼくへの理解は、ないと思った。
本当にありがとう。
 
 
 
・・・

2013/01/30 うごきだす まわりだす
hiyokoが再始動をはじめる。
この1月からの動き具合はかなりすごいと思う。
いのちが終わるのではないかしらと思うがまだ終わってもらっては困るかもしれない。どうだろ。
 
みきおがhiyokoのFacebookページを作ってくれた。
とても嬉しいことだ。
 
やろう。やりたい。
それしかないし、それだけでいい。
気持ちひとつ、それだけでいい。
 
仕事がめちゃ忙しい。。
スーパーよりたいしお腹すいて帰る
でも、弱音なんかはきたくない。
たとえその後からでも、ギターの練習だってやりたいし、バンドのことを考えたい。
それがなければ、生きてるといえないと知ってしまったのだ。
 
だからやめない。
絶対やめない。

考えるだけはやめない

とても悲しい夢を見て起きた
夢の中では、自分がその光景を見ている立場で、起きてることのあまりの不条理さに目を覆って悲しくて大声で泣いてたけど、起きたら涙は流れていなかった。

おおきな、知能が高く人間と会話のできるシロクマが、絞首刑、といわれてすぐさま公開処刑で殺される夢だった。

詳しいあらすじとかはない、
そのクマは小さな頃から男の子に飼われて男の子と一緒に大きくなってたみたい、
わからないけれど、クマは周りや社会的に「悪い」とされ、裁判にかけられて、判決は死刑だったのだった。
まわりの大人たちが、動物を殺すときのただただ無機質な容赦のなさだったのがよく見えてた。
まあ動物だし。悪いやつだしあたりまえだろう。
そんな感じ
大きくなった男の子も、そのシロクマが悪いと聞かされ、そう思って、かれの敵の立場についてしまったみたいだった。
シロクマには味方がいなくなった。

おおきなシロクマはとても苦しんで死んでいった
私はそれを直視できなかった
私はただの物語の傍観者であった
最後にシロクマはメッセージをひとことふたこと残していた、男の子へ宛てたものだった。
それは男の子と過ごした昔のことと、シロクマの好物(具体的に何かだったのだけれどわすれた)がたべたい、ということだった。

なんだか暫くして思ったことだけど、印象としては多分、
映画「グリーンマイル」の感じ、だろうかな。
冤罪は、だれかにとっては罪である必要があるだとか。

夢から現実へ肉体が戻ってくる瞬間がとてもはっきり、わかった。
ぎゅうーと押しつぶされそうだった心臓の圧力が、ふ、と一気に和らいで、もどってきた。

起きてからもしばらく苦しかった。胸のあたりに何か詰まっている感覚
絞首刑になったクマの最初の表情、とても人間とおなじ、驚きの表情、そこから私は目をふさいだのだけど、それが忘れられなくて、でも忘れてはいけないのだ、と思った。

誰かに対して、違う生物だからといって、違う性別だからといって、違う思想だからといって、違う宗教だからといって、違う生まれだからといって、
不当に残虐に、それを当然として扱うことは、
レイシズムであるし、戦争だと思う。

ぼくが表情も変えずに殺す虫や、肉や魚、もしかして植物にも本当は意識があるのだとすればそれら全て、あるいは大地、大気、
そして経済大国で住むことによって無意識に世界のどこかで虐げているのであろうおんなじ人間に、
ぼくは同じように仕返しとして、よってたかって絞首刑を受けてもしかたがないのだろうなと思う。

それでもお前に、お前が、どうしてもお前が、
生きる価値はあるのか??

ずっとそんなことばかり考えてきた。
まだマシに伝わる言葉にできているなと思ったのはごく最近数ヶ月のことです。
でも根本的に僕の思想というのはこういうことでした。
自分の思想はずっと、大して変わってないと、自分では思っています。
変わったとすれば、ひとへの触れ方、態度と振る舞い、言葉の選び方や思いやりの行使の仕方、どうもそういったことかと思われます。
 
 
 
・・・

2014/01/29 テンションがあがっている
ギターもうまくなりたいな。曲を形にしたい。
それもそうやけど、なにより、ぼくはバンドがやれるみたいや!うああ!
そんなん、スタートラインでしかないけど、自分にとっては、うああー!おえおー!おえー!ぎゃぷー!
 
一回おちつこう。
仕事すませよう。
パイセンにも、同期にも、ヘルプしてもらいすぎやー
 
ああ、
自分がいつも聴きにいく 大好きな歌うたいの人に おせじやとしても ちょいと褒めてもらえたときの気持ちなんて。
スキップしかないでしょう。
 
お腹いっぱいご飯食べたら
そうよね
この眠気よね。