久々に、私のことを知らない人と、無理に私のことを掘り探ろうとするような会話をがんばって しました、そのあともうけっこう経過しているけどやっぱなんだか尾をひいてます。
私は自分のことをたずねられるのは好きで 答えるのも好きですが、
大抵のこういう不自然な問答、「実質私に興味があるわけでもないのにむりにそれをさせられている」場合、
相手は私をなにかのティピカルな型にぎゅぎゅっとはめたがる。ことがとても多い。
そこに私はいません。
「テレビ番組は何が好きなの?」
あんま見ないですねー
「えっバンドやってるんだーかっこいいー。このいま流れてる曲、これの、PVいいよねー。」
ああこれ、知らないです、なんてやつですか?あなたはこれお好きですか?
「えっ、知らないの??TVでめっちゃ流れてるじゃーん、すごい有名人がいっぱいでてるPVのやつだよーみんな知ってるよー」
へえ、私は知らなかったですね、あとみんな知ってるかとかはどうでもいいんですけど、あなたはこれが好きなんですか?
「普段はじゃあ家では音楽きいたりしてるの?」
いえ家ではあんま音楽流したりしないすね。
「えっ、じゃあ無音なの??」
はい、生活音がすきです。
用意した「型」にはまらないだけで、段々相手に疲れがみえてくる、私も疲れる。なんでそういう、わかりやすい何かにはめたがるのだろうか。
私も相手に質問をかえした。
あなたは何が趣味なんですか?
「うーん、何もないなあ、しいて言えば仕事が趣味かなー」
じゃあそれが最高ですねえ、
「うーん何か欲しいんだけどね、そういうアート的な才能がないからねー」
そーなんですか。やりたいことがないならそれでまたええと思いますよ。多くは選べないですから。
会話は終わる、終わるけどこれでいい。
ベストだと思う。
ぼくはテレビや芸能人にほとんど興味がない。でもそれは普通のことだということをわかってほしい。
あなたがバンドやライブハウスにさして興味がある必要がないのと同じことで、私もそういったものに興味がないというだけのことなのだ。
「あなたは興味があるかもしれないけれど」「それを誰しもそうだと決めつけて」「押し付けないで欲しい」
僕もあなたに自分の世界を理解してもらうことを強要なんてしない。
けれど、わかってもらえると嬉しいのだけれど、
これはもう、
言葉の額面どおりほど悲観的な言葉じゃないのだ。
たまにきつい。
たまにきついし何もないと思って何もできなくなって動けなくなる。
呼吸が止まりそうになるけれど、
それでもまだ、僕にはやらねばならんことがある。
やれることがある。
やれることを、やりましょう。
これは卑下でもやはり悲観的でもなんでもなく、
ただ畜生のいのち一つ、
手にとれる範囲はそれほどないことを、僕はもう、じゅうぶん知っているのだ。
・・・
2013/02/14 わっくわくバレンタイン
す・・す・・
すなおになりたい
なんとのう、頑張る女の子みて そー思った。
気持ちは気持ち、なのだな。
そのへんが私にはいつも うまくバランスとれへんのだ。
かわいらしくいじけられへんくってのう。
かわいげがないのだな。
別に女としての意味だけじゃなく、ね。
とゆうわけで!
なるべく力ぬくよーにして バンドのスタジオはいってきました。
それでも ものすごく肩肘はってしまう瞬間だらけでしたが
なるべく自然体でいこうと つとめた。
でもつとめすぎると逆に緊張するので
つとめないよう つとめました。
なーん
たのしいです。
たのしいです。。
もちろん全く完成できてないし全く足りていない自分のちからですが
その不安よりも もどかしさよりも
わくわくが勝ってるから。