そしゃくのふぇいず

そうか、ぼくは冷たいのだろうと思った。
あまり他人を信用していないのだろう。そもそも他人のことがさっぱりと言っていいほどわからないのだから、信用というものがよくわからないのだろう。
だから全ての話は自分の個人的な気もちの説明でしかない気がしてくるし
誰かに少しでも理解してもらうために何かを話す というのは一生懸命やれても
誰かに相談して意見をもらう とか 誰かを説得して意見を変えてもらう というのは
ものすごく億劫なのだ。
というか
不可能だとさえ思っている。
いつだってドアが閉じられていて、それをこじ開ける気はぼくには全くなかったのだ。
 
それが必要だと思わないしやりたいと思わなかったからだ。
 
でも君が直接関わってくれるなら話はべつだったのだから、
ぼくはただ めんどーくさがっているだけだったのかもしれない。
 
ありがとう。
 
だれかの一人のよると
だれかの一人のよるを
つなぐ力が音楽にはある、
それを信じ続けていられるから
また重いとびらをこじあけて
ぼくらはつぎのステージに立つんだと思う、
それを信じ続けていられるのは
きみが、きみだけは、
ぼくという人間をたいせつにしてくれたから!
 
おなじ夜を食べるあなたへ。
 
 
持続可能ということについて考えているんだ、
自分の居場所について考えているんだ、
ぼくはいつでも自分の立場っからだ、
なぜって人のことが、わからんのだ、
 
けれど必要なことだ、はなせばわかる、
ぼくはたぶんその答えをもう知っている。
 
 
ところで文化の入り口、とゆうものについて考えています。
 
音楽を聴いているとき、どうやって心のどあーあけてます?
体の状態はいつもとどう違うスイッチがはいっとりますか?
 
ぼくは、ライブをお客として見るということは、それすなわち、バンドとのセッションだと思っとるんです。
お客がなきゃライブは成り立ちません。
お客一人のためだけにバンドがライブしてもいいなあという考えに、
ここ数日でたどりついたものなんですが、
そういうことなんです。
 
あなたのためだけにライブをします!
というとき、
人は その人がどういう人で、どういう曲がすきで、どういうシチュエーションを好むかをとても考えると思います。
 
そうあっていい むしろ、人を楽しませること、というのは
それが原点であってほしいと僕は望みさえしました。
 
ですからその原点は、お客さんとのセッションです。
というかぼくは自分がお客であるときに バンドとセッションしようと試みているので
そうなるんですが
 
まあセッションというのはぼくの場合
好きなようにやれるように心をもっていく、でもなるべく相手のリズムもかんじとれるようにがんばる、
というかんじで
まーどうしてもリズムがあわなかったり 気がむかなかったら
演奏をやめちゃってもそれはそれでセッションだとおもうんですよ。
 
ステージ上のバンドと、お客としての自分のセッションにもそういうところはあります。
 
自分がバンドにあわせれなくなるときもあるし
バンドが自分にあわせてくれないときもあります。
それはそれで  自然です。
 
 
ネガポジへいった。
体調がすこぶる悪かったのでお腹もすいていたし晩飯カレーを食べてから、途中で下痢のため下車しながら向かったらおそすぎた。テヘペロ
 
あんな、スパイスてな、一種類だけでもけっこう貴重品やとおもうねん、それを、何種類も調合してうまれる、カレーとゆう存在は、最高に贅沢な食べ物やとおもうねん、
すぱいすほじゅうかんりょーしたなー
チャイがええ季節ですねゆ。
ラムチャイのラムはお酒、ラムキーマのラムはお肉、考えたことなかったけど関係性はあーるのかな
 
0時ごろ家に帰る。
すぐにギターがひきたくなった。というと語弊があるのはうーん。
 
 
ただ目の前できみが歌ってくれるだけで、ぼくはいいんだよ、
ただ目の前で誰かに対して自分のちからで歌えるだけで、ぼくはいいんだ、
ねー、それ以上のことって、あるのか、
目の前の、だれか一人のためにバンドマンがあっても、いいんじゃないのか。
 
 

そう21世紀今日現在、この東京じゃ
さほど俺の出番望んじゃないようだが
構わねー俺はまだ生きている、
そーさ俺は、そうまだ生きている!

ハロー人生!!
俺這いつくばって、
この脳髄の隅々に知恵を詰め込め、
ハロー人生!!
この身体ひとつ、
弱々しい俺の魂におれは火をともすぜ

 
俺はなんなんだ一体何者なんだ、
そうさ、俺はそう、一体何者なんだ?
 
 
やぱあ移動の時間は好きだ。
たくさん音楽が聴けるし
聴かなくてもたくさんゆっくり考えることができる、
移動しながらの音楽はものすごく格別な体験だと思う、
ほかにもいろんな場所で いろんな音楽のききかたがある。
 
そうさ、俺は、
まだ生きている、

夜が/ぼくに/なにを

誰もが誰より美しくありたいと思っている、のだろーか、
街に馴染めないぼくを、だめな奴だとしかっておくれ
 

(熊取町HP)
http://www.town.kumatori.lg.jp/kakuka/kikaku/seisakukikaku/kurashi/ouenkifu/1412138664734.html

なかなか作れないこのフッターのだるさである
 
 
約4年、一般企業てきな場所での仕事をしていて、思うのは、
長文を読めるやつというのはかなり少ないなということ。
 
これは自分が長文を読めますとかまわりが長文が読めないことを貶めているとかでは全くなく、
むしろ逆で ちょっと自分が恥ずかしい、ぐらいのことなのだけれど。
本来ビジネスで使う文章というものは短く・簡潔に伝えなければならないと思われるからねー
でも自分はそれがくそ苦手なのだ
なげーのだ、、
 
 
ということを色々理解してもらおうと長々と書いたが
長いので省略
 
 

さよならなんて、
しなくていいんだ、
さよならなんて、

 
と、くちずさんで気がついた。
 
ここ二年間で、沢山のバンドと出会った、
たくさんの音楽と出会った。
たくさんのライブに行った。
たくさんのライブ好きに出会った。
 
おはようって、ええですね。
 
時間は確実に、着実に、ながれているのだ。
そう、一年前はできなかったコーディングが、よゆうでできるようになってる。自由になっとる
もっと知らない、あーなんだそんなことだったんだ。っていう技術があるんだろうなー。
ぼくにはあんまりコーディングもデザインも先輩がいないから、ゆーっくりだなー
 
 
家かえってもう我慢できなくってギター
こんなに楽しいことがありますかと思いました。
ご飯を準備するのを後回しにしてしまい、そのせいで
ご飯をチンする→その間にギターをもってしまう、しばらく弾いてしまう→ご飯さめる→ご飯をチンする→ってなってる。
3回めの正直、おなかがすいた、
おなかがすいているけれど食べるまでいけないー
 
 
たのしいことがあった。
愉快なことばかりではないが
僕はそれがとてもうれしい。
いや大体愉快だったけど。
 
 
だからさよならなんて、
しなくていいんだ、
さよならなんて、

あきだったあきちゃった

201411251158_IMG_8019
うわー!きれえー
雨すげーいい!
 
201411251228_DSC04460 201411251230_DSC04465 201411251229_DSC04462201411251229_DSC04463 201411251230_DSC04466
 
大気とゆうものについて考えています。

almost of point of no return,
 
Burn baby burn,
 
Look into my tired eyes, see someone make me recognize.

 
原点へもどりたいと考えています。
ぼくは、まあ長いととらえるか短いととらえるかはわかりませんが、この二年ほど、
タワーレコードやツタヤ、その他CDを取り扱っている好きなお店へほとんど足を運んでいません。
別にそうしたくなかったわけではなくて そうもしたかったけれど
おもにいる場所、使うお金、使う時間が違っていたんだろうなーって今は振り返るとおもいます。
バンドをやって、バンドをみにいって、そこで欲しいCDを買って。
そしてそれが、僕の活動限界でした。資金という意味でも時間という意味でも。
それ以上の余裕がありませんでした、
 
CDを売っているお店へ遊びにいき、気になるジャケットだけでCDを衝動買いしてみたり、名前だけ知ってるアーティストの音源をかたっぱしから視聴して借りまくる、とゆうことに、時間とお金を使えませんでした。
それだけの余裕がなかったから。
 
これは自分のバンド活動のためのお金と時間が大きな比重を持って行ったために起きたこと、という部分を除いたとしても完全に使い方の自由なのでもちろん自分が望んで選んだことなのですが、
 
まあ近日、色々かんがえました。
 
いい音楽にであいたい、
ぼくの知らない世界にであいたい、
その原点を、バンドマンとして、ライブハウスの客として過ごしてきた二年間をかえりみて、
もう一度自分のリソース、キャパシティを見直して、なににお金と時間を使うか、どういった社会モデルや企業や個人のありかたに一票を投じるかを、
僕ていどの身分から 身の丈から   考え直したいと思いました。
 
ぼくの収入は一般的なこの年齢の方々が稼ぐ平均よりかなり低いんじゃあないかなと思っていますが、
でも、ライブハウスへ行ってほしいなとぼくら音楽をやる側が(おそらく)考える、音楽好きの若者たちの収入よりかは、少しは多いか、あるいは同程度ではないかなと考えます。
実家ぐらしではないのでその点自由になるお金というのは少ないかもしれませんが、まあ正社員として働けているので、アルバイトや派遣で働く若者よりかは収入としては多いのではないかと想定しています。
 
この話が何を意味しているかといいますと、
ぼく程度に音楽が好きで、ライブハウスが好きで、新しいアーティストをどんどん聴きたくて応援したくて、ライブハウスへいける時間があって、
かつその中で出会ったアーティストのライブ、ライブハウスで出会った友達のバンドマンのライブ、ライブハウスのスタッフと話して得たこういうアーティストがいいんだよっていう情報、それらをそれなりに追いかけ、実際にお金を払って、通い続けられる人間が
どれぐらいいるんだろうなあって
 
考えたわけなんです。
 
そしてぼくにはもう、ライブハウスへ通いつづけることは、贅沢な遊びですのでできないなあと思いました。
 
ぼくはバンドマンですので、
ライブをやりたいです。
ライブをやるには、お客さんがいないといけません。
ライブハウスでライブをやるには、お金が必要です。
 
ぼくはリスナーですので、
無料でもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
レンタルでもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
 
ぼくにはわからなくなりました、、
 
ぼくはバンドマンです、
自分が「高い」と思ってしまうものに対して、
・・・だれかを、気軽に誘うことが、もうできません。
たとえ自分がチャージを全ておごってあげたとしても、
果たして聴いたことのないアーティストを「一度見てみる」ために足を運ぶ人は、多いでしょうか?
そしてそのように聴いてもらうことっていうのは、その人にとって、果たして いい体験でしょうか?
 
また、自分が納得して支払えないお金を、
誰かに支払えといえるでしょうか。
 
いいたくないです、
 
ぼくにはわからなくなりました、
 
大気とゆうものについて考えています、
エアーです、
呼吸をさせてくれるやつです、あと全ての変化の源としてのエアー、
全生物酸化型えーあー
 

なにをうしなったのだろー
なにももたずにうまれてきたのに
おとはなくひがしずむ

なさげライブ予定 <2014/11/25更新>

そいえば来月、2014/12/30、お友達にっSUNのお誘いいただいて、
なさげ(わたし弾き語り)でごはんのすごくおいしそうなお店で忘年会ライブやります!いっ、いいのかな、、
なんにせよ自分のうたを好きというてくれる人に声をかけてもらえるの、すーごく、すーごくうれしいね。というか最高のことじゃなかろうか。
「聴いてみたい」とか「メンツ足りないし出てみない?」っていう感じもいいと思うんだけど、本来、基本はやっぱ、ライブを見て好きだからとか、曲を聴いて好きだから呼びたい、っていう気持ちだといいな、って、おもうんです、
あああ企画がやりたい、お金がない、、
 
なんし嬉しいです。
生きとる、ゆうかんじします!
がるばんぞー(ひよこ豆)
 
こんごとも どうぞよろしゅう。

追加にっき

きじたしたやーつ
 
2014/11/10 沖縄最終日からの帰還
2014/11/11 おんでまんど・ふぁすと・かるちゅあー
2014/11/12 エンドレスサマーのおわり
2014/11/13 gesewa
2014/11/14 ソーコアファクトリーでサノヒトミ(viridian)
2014/11/15 ブラボージャックパーティー 2014
2014/11/16 MEETS七甲目
2014/11/17 うたわれよう、わしゃはやす

はろーじんせ

よる、エレファントカシマシむっちゃきいてギラギラしながら帰宅した。ハロー人生。
化ケモノ青年の意味が、すこしだけ自分のなかで解けたきがした、
 
201411241921_IMG_7997 201411241921_IMG_7998
ぼくの好きんなるひとは大抵こゆうものすばらしーユーモアのもちぬしだなあと思った。
 
201411241956_IMG_7975
大学時代、コピーやるときずっと書いてた自己流耳コピどらむスコアーでてきました。
スコアー書かずにやろうとし始めたのは卒業間際ぐらいだったと思う
 
201411241957_IMG_7979 201411241957_IMG_7981
あと一回生んときにたんたんがギター初心者練習曲としてスコアー書いてくれたやつ原紙もでてきた
 
theCHICKENmastersのと一部だけ残してあとはすてた、なぜこんなものを残しただろうねともいまは思うけど、見返しててたのしかった。
「こここうかな?」みたいな疑問までメモしてあって、
そうだな、
ぼくは、ぼくのことでさえ、覚えちゃいられないんだ、ということを知った。
まあ知ってたから残してるんだけれど、そうだなあ、
 
明日、ぼくはぼくなのだろうか?
本当にそれは、ぼくだろうか?
それを証明できることはできない気がしているから、
少しの神経のつながり ぎりぎり途切れただけで、ある/ないが切り替わるこんな不完全な肉体。あしたと今日はちがう。ぼくらあ儚いね。
ことしもなつが、おわる、
 
ベアーズにあすみが二人いるらしー、おおーすでにそこでドッペルしているのに、いそいそ
ん、いつも、ありがとね。

かぞくこうせい

チチ!ハハ!オレ!オトウト!!
 
週末まとめ。
チチのくらす 新潟県妙高山 へ、ハハとすごしてきました。
弟も一緒の予定だったのだけど、連絡のゆきちがいでお仕事だそーで ゆけませんでした。どっひゃー
でもあとで会えました。
 
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チチはりっぱに畑をたがやしはじめの1ねんせいをやっておりました。
 
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チチはたけー!家のすぐとなり。
 
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りっぱなおねぎなね。たっぷり大根もあったよ。
 
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夢のばしょにはからずも来てしまいました。ふと窓の外を見るという直感、この旅で発揮されまくってました。センキュー
 
201411231254_IMG_7952 201411231914_IMG_7948 201411231254_IMG_7951
おそばたべて温泉いってアイスたべて豚汁たべておー
 
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チチが おいしいあめを買ってくれました。半沢直樹で出てきたらしく上戸彩上戸彩とうるさかったのできっと上戸彩が出演していたのだな、と理解する。お料理にもつかえるおいしいあめでした!わーい!
 
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わかりやすさ、だいじなことです。
 
最終日は午前中に山を出て、山を出る前に忘れ物とかしてたらその隙に集まってくる近所のひとたちに次々囲まれ 野菜をしこたまもらい、
すげーと思いました。すげーと。
父はなかようやっているようです。よかよかー
 
日暮れごろ、三重県の実家へすこしだけ帰り、お休みのおとうととごうりゅー。
おっひさー
 
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家でしばらく、自分の記録をぶっ片付けました。
ダンボールに詰まっている、いつかまた振り返るときがきたら開けよう、と思ってとっておいたものたちを、
3箱ばかりあけてきました。
だいたい捨てました。
記録として残したいものは写真に撮ることにした。
 
ぼくの人生と、ぼくの好きなひとがたくさんそこに詰まってました。
物はただでさえ自然と増えてしまうので、生活をたたんでゆこうと思います。きちんと自分のなかで消化して、ぜんぶ、ひきずってゆきます。
 
どうやってこんなに音楽を好きになっていったかも、すこし思い出せたりもしました。
ずいぶんとまあ遠くへきたような気もしなくもないな、
うん、
かえろっか。
 
そんな回帰のきもち
 
大阪へ、かえります。

きじたし

たー。
なかなかおいつきませんが
たー
 
2014/11/08 おきなわ二日目 残波ジャム!
2014/11/09 おきなわ三日目 残波JAM最終日

音楽とのきょり 2にちめ

わたし、音楽との距離をかえよーとおもいます。ここ数日とゆうかここ二ヶ月ほどずっと自分のなかで違和感がありました、リスナーとしての自分、音楽好き、ライブ好きとしての自分の、音楽は生活のあしもとにあってほしいとゆう考えのもと、何をどう信じて選択していくかを決めたいと思いました。
 
音楽は最終的に、くちずさまれるものであってほしいです。誰でも演者になれるし、だれでも仲間になれるし、誰でも敷居なく聞ける自由なものであってほしい。ぼくはこの壁をこわしたい、でも誰にそうあってほしいというわけじゃないです、自分が、そういう距離で音楽とともにありたいと思いました、
 
何を支持し何を信じどう世界をつくっていくかは、個人ひとりひとりの行動だとおもいます、ぼくは自分が望む理想を自分の行動で実現、表現しよーと思い、選んでゆこーと、思いました。
 
考えてるあいだ、とても苦しーかったし、何回も、ハテさっぱりわかんなくなりました。
なぜライブハウスへ行くのか?
ぼくは、ただライブがみたいだけなんです。
人に会えるのもうれしいです。
ぼくはライブハウスでよるをつくるのがすきです。
それにはとてもお金がかかりました。
でもぼくにはお金がないでした。
でも音楽ってお金がなきゃできないことなのか?お金がなきゃ触れられないものなのか?と言われると
絶対にぼくの中では、「そうあってはなりません」でした。
 
音楽は生活のなかにあってほしいものでした。
どんな貧乏なひとでも、どんなライブハウスから遠いひとでも、
音だけでたのしめるものであってほしいものでした。
 
じゃあ僕のやっているライブ活動というのは、なんなのか??
僕は何がやりたいのか??
根本的にどうありたいのか??
 
わかんなくなりました。
 
音で稼いでる人たちと、ぼくの間、そして更に純粋な、ただいい音楽にであいたいだけの、お客さん との間に、いつも壁がある気がしました。
それはとても難しいことだと思いました。
 
音を鳴らしているあいだ、音のなかにいられるあいだ、ぼくはそれだけでよかった、晴れた日に大好きな曲をくちずさむ、本当はそれだけでよかった、
余計な、知識や社会やコミュニティや思想やルールや利益、それがからんでくるたびに全部投げ出したくなってた。ほんとしんどかった。
 
純粋に音楽だけがほしいのに、うただけがほしいのにと思いました。
 
自然に自分がやっていけるほうへ、ちからを注げたらいいなー思います。
願わくばその生活のあしもとへ。
どこでだって、誰のまえでだって、ただ自分で、いたいです。
 
音楽が好きです。そのために、ぼくは選択します。
 
 
ぼくはこれから、ライブハウスへライブを見に行くとゆうことはほとんどなくなると思います。単純にライブというものがものすごく高価で贅沢な遊びだということに自分では思ったからです。まーようするに金がそこまで贅沢できるほど、ない。
 
ですので一ヶ月に1くらいにとりあえず絞るか悩むくらいだったら行かないかでいこうと思ってます。月1のぜいたくだね!
 
TSUTAYAやタワーレコードとかで視聴しまくったり 無料の野外サーキットイベントとかで出かけてみたり そいう感じで音楽をさがしていいCDを買ってという形で、アーティストに貢献したいと思います。した。
まーどう変わるかわかりませんが。
 
ライブをやる ということも贅沢な機会でいいのではないかなと思います。やりたきゃやりたいやつがやればいいし僕もたくさんやりたいほうだけど。お金やノルマのことはもー、考えたくないなと思っています。
努力は必要。だけど、そういうのに無理にプレッシャーかけられるぐらいなら、お金ためてから、ハコ代ぐらいいくらでも支払う気持ちで自由にライブをやりたい、企画もそう。そうやっていったらー、といつも思ってきました。
だって選ぶのはお客さんだから。
 
その日の天気で、音楽を聴く聴かないがかわるように、聴きたい内容もかわるように、
ライブ行く行かないも、お客さんの最後まで自由であってほしい、それが理想だとぼくは思っています。
 
ライブハウスは、ライブをやりたい、と思ってるやつに場所を提供してくれるすばらしい場所です。
それがなければ、無名なぼくが、ライブなんてできやしないんだから。
場所やスタッフや機材を贅沢に使う贅沢な場でいいのではないかな、と思います。
 
ライブのために、音楽活動をしていいんじゃないか、と思いました。
むしろ音楽活動の集大成として、ライブがゴールであってほしいなと僕は思いました。
 
 
おとはふだん贅沢品ではなく、ぼくはもっと、生活のそばへもってきておきたい。深夜の枚方TSUTAYAでえんえん視聴していたあの頃のスッゲーワクワクするきもちをたいせつにしたい。ききまくって、ききまくって、そんなかから借りたいCD5枚だけ探すあのきもち。
 
言葉とか足りてないだろうけど ライブはただただやりたいです。やりたいしやっていくと思います。
でもライブをやるということは、場所や人員を動かしてまで、夜をつくるということだと思います。ぼくにはそのへんがどうもむつかしい。とてもつかれてしまう、ライブがやりたいから、やりたい、
 
とゆうわけで ぬるっと 今ある土壌で考えるのはやめました、つもり、
すこし頭を1から シフトさせれたらいいな思います。
ぼくはどこにも属さない、属して立場上なにも言えなくなるぐらいなら属してたまるもんか、
 
(お金もらってやってたらまた別なんだろーけどね! だからぼくあ、音楽や絵を職業にはできないと思った・・・・)
 
 
これからは基本的に、CD音源聴く → どうしても見たいと思ったときに、ライブ情報を調べて行く  ぐらいの絞り方をしていきたいと個人的にはおもうとりますが、ライブみるのはすきだし ライブのお知らせもらうのも元々うれしいので 私に見て欲しい!ゆう人はまたこれからもさそってくださーいな。
 
こんごともどーぞよろしく。

音楽とのきょり 1にちめ

かんがえすぎて涙ぼろぼろ鼻水ズビズバで寝れないかったです。
こんなんだから、にきびなおらんです。。いたいゆー
 
でも考えはけっこう決まったとおもう。真剣に自分の求める生活と向き合うために、できることをやりたいです。
明日起きてもこの考えのままであれば、それでいーとおもう。た。それを毎日つづければいいーとおもう。た。です。
 
ねむいけどなんか全然ねむれないまま日の出そう。いや、まだまだだった。
もー考えおわったつもりなのに、いろいろかんがえてしまって、かなしいくって、くやしいくって、さびしいくって、
ぐるぐるして 寝ようとしてもねむれなかった、
 
 
ライブをやるということがとてもとてもとても遠いきがして、
とてもとてもとても高級な気がしてしまって、
 
ぼくはライブを見るためには500円で買わざるをえなかった、まっさらのままのバヤリースペットボトル450mlを見つめ、やっぱり欲しくないもんにお金を支払うのはいやだなぁ、と文句をたれてしまったのでした。
文句をたれるなら直接いいなよと、ごじつ人から言われました。
僕はそれはそうだなあと思いました。その点について、ごめんなさい。
 
貧乏がわるいのか、
喉かわいてないんす、
喉かわいてないのにドリンクを支払う しかもおよそ500円の価値があると思えないものに というのは、いやだと思ってしまったのです、
そんなハードルも乗り越えたときに、ぼくはライブハウスへゆくのでしょうか。
ぼくは爆音でライブみるのすきだよ。
 
人はそれはチャージ代の一部だから、というのだ。
じゃあなぜドリンク代金、とわざわざ分けてかくのだ?というと、
チャージを上げてしまうと人が来なくなる、らしい。
チャージを上げてしまうとバンドマンのノルマ負担が増える、らしい。
どちらもぼくにはよくわからない、けどそう言われてしまうとしょうがない。
 
お店を続けるのにワンドリンクオーダー制は必須だから。
それはもちろんわかる   わかるけれど、、
 
そんな細かい表記上のことをこちゃこちゃ言うな、というのだ。
多くのひとが、それが相場なんだから、ドリンクがおまけで付いてくると考えればいいだけじゃないか?というのだった。
じゃあチケットいくら、で、ドリンク付き というふうにドリンクおまけ的な表記にすれば全て解決する気がした。
その代金がライブハウスへ入場するのに必要な代金なら、それでもともと判断されればいいじゃないかと思うのになぜわざわざ、ドリンク代金表記をと分けるんだろー??
 
ぼくにはそのへん一般心理はわからないがなんだかいやである、ずっといやだったのである。。
飲み物に高いお金を払うという思想がないがゆえに、ライブハウスのそういうシステムがずっと違和感なのである。。
 
それにしたってライブって、とても高級なものなのだ・・・
と、僕はこの考えをすすめるなかで、ついに気づいてしまったのでした。