水を得た魚、というのは不思議な表現だ、と思う。
魚は本来、水の中で生きるものだからだ。
水を得た、ということは、その魚は、「それまで水のなかにいなかった」魚なのだ。
「本来生きるべき場所」に、いられていなかった、魚なのだ。
だもんで私のステージに対し「水を得た魚のようだ」と言った人の例えはまさに的確なのだろう。
音楽をやっていない自分は、何をやっているのかてんでわからなくなる。
音楽だけで生活は組み立てられていないものの、
それが無いと、ぜんぶ、いらなくなる、
そのくらいには、
「やる」ということはもはや、
魚であるぼくにとっての、水なのだ。
・・・
2012年11月19日
だいぶ体調が悪化してきている。
リポビタンDがきかない。
風邪薬でもたせる。
体がむしばまれている、という表現がしっくりくる感じ。
このままどんどん蝕まれて 小さくなって
きえてしまえばいい
馬鹿馬鹿しいやろ?
前を向いて生きることが正しいとみんな信じていて、
他人もそう思うことが幸せで、正しいのだと
思ってるやろ?
前向き、と、過去をごみくずみたいに扱うのはちゃうやろ。
そおな。
じゃあ、後ろ向き、と、過去を大事にする、っていうのもちゃうんやろうな。
私が。何か間違っちゃいるのだろうか。