積と抜

毛むっちゃぬけるつらい
一週間前に掃除機かけたのに そして別にそんなに一日のうち、長時間を自宅で過ごしている一週間ではなかったはずなのに、室内に落ちている毛の量よ。
 
マヨネーズきれたので買いにゆかねばならない。
 
そんなに強烈でないはずなのに 強烈すぎて、
どっかのおっさんのクシャミがきこえ〜て〜♪
とゆうのをずっと脳内で繰り返している。もう一週間ぐらいになるだろおか。
かなりやばい
 
 
昼から、いろいろ考えたのち、ごはんを食べた。そしたらやっぱり落ち着いた。腹が減っているのはよくない。
おナスを切ったり 菜っぱをちぎってもりつけたり 食器を洗ったりしているうちに、書いたことで自分のなかに腑に落ちる部分があった。
 
そう、極論でなくてもよい。
石器時代にもどれと言ってるわけではないのです。
どこまで引けば、どのようなやり方やルール、コントロールが具体的に必要なのか、みなわからないだけなのだ。
そしてそれを知ることを許されない競争社会が存在している気がする。
さらに、それを国がひっぱっていてはまずいと思う。
 
でも、
やれることをやろう。
考えることは愛する掟、
信じることはもっと、
 
たとえ徒労に終わりそうでも、考えることを、放棄してはならない。
今すぐでなくてもいい。
 
理想があるのなら、描いて、追い続けるのだ。
できることを、やるんだよ。
その理想を追いかけつづけるのが、あなたの仕事なよ。
 
誰かにしたことは、良いことも悪いことも、必ずかえってくるから。
それだけは、ぼくは、ぼくの経てきた全てから、死ぬまで大切にしていたい、真理である。
 
 
夕方から夜にかけ、なんとなく、夏目漱石の「こころ」を久しぶりに読んだ。
私にとって、人生の芯の部分にずーっとある、書籍のひとつである。
読んで、こんなに長かったのか、と思った。
そして自分のすっかり忘れていた話の部分などがたくさんあることに驚いた。
やはり私はこの、時代めいた言葉の言い回しや語彙がとても好きだ。
現代文とか小論文とかの文章を読むのが好きでねえ、
 
この話を読むのは人生で何度目かになるが、
やっぱり 読むそのときどきで 感じることは違い、わかることも増えていっているように思う。
私が大切にしている他の本、作品など いくつかあるけれども、
全く同じお話のはずなのに、時間の経過で、全然違ったことを感じたり、わかるのが、好きだ。面白いと思う。
 
だから私の人生において、たくさんの作品を頑張ってコンプリートする、ということは もうあまり必要ないと思った。
実は、もう、じゅうぶん足りているのではなかろおか。
そういうことを、私はいま既に、様々な方面で感じている。
 
だから、そうだなあ。
やりたいこと、あとは「バンドをし続けたい」ということくらいかなあ、
そうすれば、僕の夢は全部叶っているのだから、実はもう何も必要ないのではなかろおか。
この人生で叶えたいことは全部叶っているのではなかろおか。
 
十全であった。
たいへん幸福であった。
まだまだできることはあるけれど、どうしても必要なのかと問われると、
わからないねえ。
 
ところで活字書籍というのは 映画とかよりもずっと 一度読みおわった後にその世界から抜け出すことが難しいと思う。
私はいつもなかなか現実のほうへ戻ってこれずに、ぼーっとしている。
話のなかのことが、自分のことだったのか、全く関係ないことなのか、境目がわからなくなるのだ。
 
でも、それでいいと思う。
理由はない。
 
目の前に、襖に一直線に飛び散った、Kの真っ黒な血液を
私は、見たと思う。
 
そしてそれは私の血潮でもあり、
私の殺した、誰かの血潮であるとも思う。
 
私が心の奥で掲げているのはいつだって性善説ではあるのだけれど、
その上で、ひとは、自分さえよければどんどん鈍感になっていく生き物だと思う。
潤沢に財産のあるやつは、貧乏人のきもちがさっぱりわからずに その気分を害することを平気で言うでしょう?
自分もそういう人間だと思う。デリカシーや思いやりはないほうだと思う。
 
ただ、そういう待遇を、自分が受けたことから、学べさえすれば、
同じことで誰かを傷つけていることに、気づけるのだと思う。
それの、一切、わからない奴もいる。
でもそれで仕方ないなとも思う。
ただ、私が好かんと、そう思っていればよい。 
わかってもらうなんて、もう、期待していないから。
そんなに傲慢にはもう、いられないだろうから。
 
三年前ぐらいに、初めて、「嫌い」という感情をみとめてしまえれたらとても腑に落ちたのだ。
それまでは、とても、わからなくて、苦しかったよ。
それからの僕はずいぶん「ふつう」に近づけたんではないかな?
もっとよく人間が、わかるようになったんではないかな?
 
今はどうだろー、
ねえ、この数年はどうだった?
何を積み、何を抜き出してきた?
 
 
 
・・・

2013/01/07 サンデーはサムデー
少女よ、そんな顔で睨みなさるな。すこし前の私を見ているよーだよ
 
ふしぎな感覚だ、感情だ。
景観だ、関係だ。
それが先までつづいていく。
どうにでもなるだろうし、思い通りにはならないさ。
 
手をつないで、触れれば
色んなことがわかるよ。
 
あなたと私の接点が、これからも続いてゆきますように。
つないだところが、願わくば、やさしい温度でいられますように。

それでも腹は減る

起きてからずっとギターをひいてた
お腹が空いたけど何かを食べたいと思うけど
食べたく ないと思った、
食べることは 選ぶことである、
知ってた、
ぼくは知ってたけど、眼をそむけつづけていることだった。
 
いな、食べなくたって パソコンをこうして使うことが、
アイフォンを使っているということが、
お店で服を買うということが、
スタジオに入って練習するということが、
 
・・・うん、色々たぶん考えすぎているけれど。
腹は減る。ぼくはたぶん、鶏肉を食べるだろう。
ぼくは大量消費の社会に一票を投じ続けているだろう。
 
石器時代へ戻れといっているわけではないのです。
マーケットを再びコントロールする必要があるといっているのです。
 
・・・うん。
 
ホセ=ムヒカ、あなたに、会いたい、
あなたの言葉を知りたい。あなたの国を見てみたい。
そこはどんなところだ?
 
僕はもともと外国に興味はない。
英語を読み解くことが好きで、学ぶために外大へ入ったけど全くもって留学したいと思えなかったぐらいには、べつだん興味がない。日本が好きだというよりかは、まだまだ日本を知らないからまずは日本を知りたいしそれは一生かけて終わる気がしないと思ってる。外に何かを求める気がおきないだけで。
でも昨今、どうも、この国に住みつづけることで、この国を選んでいる自分、というものに疑問を持ちはじめた。
わかってる。逃げることでは、変えることはできない。わかってる。
 
でも「選択」、
暮らすことは、それ自体が選択である。
 
買い物をするということは、どういう社会に一票を投じるか、ということである。
 
わかりますか。
誰も100均でものを買いにゆかなければ、100均は、この世から、なくなるんです。(もちろん100均の商品が悪いっていう意味では決してないですよ)
誰も、生きた熊の肝臓から拷問で採取されつづけている「胆汁」からつくられる二日酔いの薬を、
買わなければ、それは生産されることは、なくなるんです。
 
誰かが求めるから、そこに生まれ、
誰かが提供するから、そのためにマーケットが回る。
そしてより安く、より利益を生んで提供するために、大量生産化はおこなわれる。
そしてそれらが実質「人々によって選ばれ」「生き残り」今のこの社会に浸透しつくしている。
「手段」は問われていないのです。だれも気になんかしない。そうしてマーケットは回りつづけてきた。
 
でも、「手段」を、いよいよ問わなければならない。
その時代がきている。ぼくらの世界に、限界がきている。
われわれ消費者は、自分が手に取った商品が、一体世界中のなにを犠牲にして、
だれを殺して、なにを殺して、この場に届いて、
そしてそれら過程の罪を全て生み出していることが「自分」にあるということを、
自分で、考えなければならない時代になってきているんだと思う。
 
ぼくはウルグアイへ行ってみたい。
わかってる。本当はムヒカ氏が悪者であっても全然かまわない、
ぼくあ知りたい。なにかを、自分の眼で、たしかに、見つけたい。見つけたと、そう思いたい。
だって、わからないのだ。
 
わからないまま、いくのもいいけど、
わからないまま、おわる、
それもおれの、選択なのだから。
 
 
なあ、地獄はあると思うかい?
 
科学が発展して、死んだらおわり、そんなものはないのだろうと私も思ったりする、だろうけれど、
死んだら終わりだからって、
いのちがあと少しだからって、
他のいのちを無下に扱ってもいいのかい。
ほかの動物たちは、そんなふうにしてきたかい・・・
 
地獄はあると思うかい、
悪魔というものが存在するとしたら、それはわれわれ人類のことではないのか、
 
 
人間の「倫理観」からいうなれば、わたしは、
腹が減るということは、罪だと思う。
人間が増え、生きるということはそれ自体で罪だと思う。
よそのいきものを退けてまで、場所をとる。
 
おまえがいなければ、どれだけの生き物が死なずにすんだと思う?
 
たいへん迷惑なはなしなのだ。
僕がずっと、自分が死ねばいいと、思ってきたのはそういう理屈なのだ。
誰かのために、自分がゆずれば、間接的に誰かは、生きるだろう。当たり前のことだと思う。
「そうしてまで生きていたいのかお前は?」
ずっと自分に問いかけてきたし、それは自分にとって、普通のことだと思ってる。
 
でも僕は、生きてきた。それが全てだ。何を言い訳しようとそれで全部チャラだ。
死にたくないのだ。
そして自分にとって、生きるということは、心臓が動き、
呼吸ができ、自分で自分の体が動かせるというだけでは、
だめなのだ。
 
これが僕の欲望だ。人間の欲望だ。贅沢だ。
 
それは食肉として生まれ、虐待を受けて平然と殺される動物たちからすれば、
ふざけんな、なんて傲慢だ。なんてわがままだ。
 
 
わかってる、それでもぼくはやめないだろう。
おまえたちを虐げ続けることを、やめられないだろう。
ただ最低限、それを意識して、考え、それでも、生きていたいと言いつづけなければならない。
僕が生きることで 何かを、誰かを殺し、拷問しつづけているということを、
忘れてはならないと思うし、
それでも俺は生きる、わるいか、だって人間様だからな。って
言いつづけなければならない。
 
なあ、ちゃんと世界中のいきものたちを、おのれと「対等に」扱い、
考えられる「良心」が、もしもわれわれにあったならば、
とっくに皆、自殺していると思うよ。
 
地獄はあると思うかい、
 
僕はそれを信じたいと思う。
 
 
 
・・・

2013/01/06 チチハハ新居に来る
父と母を、まとめて チチハハ いうんが好きです。響きよし。
でも本人たちには言うてないのです。
まとめるとおこる。たぶん。
 
お父さんとお母さんが新居の様子見に来てくれました。
今年は新年、久しぶりに1日から3日まで帰省してたので、
久しぶりではない。
 
追加のお布団とか持ってきてもらったー!
これでお客さんが泊まれます、なんとか場所あければ。
おもてなし下手くそなんでわからんけど、お宿くらいにはできます。
かむ!客!!ギヴミー友だち!!2013!!
 
おとーさんは、ベランダに出て、
「神田川みたいでええなー!」を連発しました。
そうでした、父は南こうせつ(かぐや姫)が好きでした。
私はそれを知った中学校ぐらいに アルバム買って聴いてみて
神田川はええ曲やなあと思いました。あと 妹の嫁入りの歌。なんだっけか…
 
お母さんは山ほどの食材と、バリエーション豊かなお鍋のつゆ達を持ってきた。
どんだけ食わせる気やねん!
ちょっと絶対食べきれないと思われるものは返したけれど、
使いきれるか心配。さっそく鍋にしようー
 
鉄ちゃんが喜ぶ最寄り駅と、鉄ちゃんが喜ぶ部屋に住んでます。
カム!鉄ちゃん!!ギヴミーマニアック友だち!!2013