僕にできること

最近ずっと、考えてた。
この人の暮らす国はどんなところだろう、この人のつくる国は一体どんなところだろうかって。
 
そして今日は強烈に、このスピーチを思い出してた。
 

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

 
 
無知は罪なりや。なあ、あなたのiPhoneにも使われているレアメタル、どうやってそこに来たか知ってるか。

たずねたらばよかった

悲しいことがあったわけじゃない
 
わからないけどずっと帰ってから泣いている、
どうしてもこういうところがある、
きっかけは原発のことだけれど、
自分が泣くことでもないとも思ってるしわかってる、
 
いつも、世界のことだった。
社会のことだった。
 
 
正直、わからないのだ、、
全然わからない、、
 
・・・ぼくは、
怖いのだ、
さびしいのだ、
 
他人のことも、
この国のほとんどを占めている「いわゆるせけん」のことも、
 
だってさ、目の前の すきな人のことすら、
ぼくにはわからないのだもなあ。。
 
 
最近、FacebookとかTwitterに自分の言葉を書くことをやめた。
そしたらほとんど何にも書きたくなくなった。
でも言いたいことがないわけじゃないし、
本当は誰にでも理解してほしいと思ってる。
 
本当なよ。
だからこうして日記のほうにしている。
読んでくれる人には 私の言葉を受け取ってくれる人には
伝われば嬉しいと思う。
 
反対意見がうかんだなら ぶつかってほしい。
それも面倒なら 放っておいてくれて結構よ。
陰でねちねち思うも言うもあなたの自由よ。
何も言わないも、あなたの選択肢よ。
 
 
私の言葉が誰にでも喜ばれるものでないことは知ってるし、
喜ばれるために書いてない。
 
そりゃあ、
書いたら誰かが気にして傷つくようなことを書いたりも しているだろうから そういうときは私も悪い。
ただ、悪いって思ったときに、叱ってくれるやつもいないのだなあ、この社会。
みんな自分の言葉に責任もつのが怖い。
言い返されるのが怖い。
何も起きないのがいちばんいい。
でも 不満は たまっていく。
ああ、それは選んでないかい? 自分のせいじゃないのかい?
 
でもねある日、友達が叱ってくれた。
私はその友達の言うこともなんとなくわかるし その友達のことが大好きだから、
私はその言葉を 自分で 信じることをえらんだ。
 
たとえ自分が思って 言いたくなったことでも
そういうことは言わないほうがいいなっと思ったのだった。
 
だからSNSにあまり書くことをしなくなった。
 
自分の意見を誰かに言う、そのかたちを変えるべきだと
なんとなく気付かされた。 
 
本当は SNSでも自分のやりたい自己表現はできる
ありゃあ、ただのツールだから。
でも、どうも、私と言語が違うのだった。あれを使っては、ちゃんと伝わらないことが多いらしい。
それに気付かされた。
 
 
ここまできて、あえて説明しなければならないと思ったので書くと、
(本来、こんなことすら説明しなければならないのか?と私は思ってきてたんだけど、それはどうやら私だけの「ふつう」とゆうやつのようだから)
私は、自分の思った通りだけに 他人を屈服させてまで 生きたいわけではない、です。
 
そりゃあ誰だって自分の思い通りに、望み通りに生きたいと思ってるとはおもう。
でも、一人では生きられない。
私はそれを近年、真の意味で、知ったんだと思う。
 
ただ、「他人にあわせる」ことも、「自分の選択肢」だということを、
理解してるやつが少なすぎる、
これは私の生き方のせいだろうかなあ、・・・皮肉なのだけれど、ね。
 
誤解だよ、
 
 
・・・ねー、
愛するひともいて
家族もいて
戦争がなくて
友達もいて、平和で
 
それ以上にもっともっとって思ってるの?
 
便利便利便利便利便利がほしいの?
もっともっともっともっとがほしいの?
 
ねー、どこまでいくの。
何がいるの。
 
なくさなきゃわからないのかな。
私も、そうだもんな。
何かを得たあとは、想像力が欠けてゆくものか。
楽しいことが当たり前になったあとには、もっと強い、刺激がほしいかい。
 
 
さっき鶏肉の話書いたのを自分で読み返してて思った。
こないだタロカフェでのほんのすこしの滞在時間、喋った、フランスのひと、名前はピエール。ちょっぴり私にとっては「変わった」ひとだったけど。
かれはどうしてヴィーガン、なのだろうか。
きけばよかったな。
 
 
 
・・・

2013/01/05 静的ハッピイ
・・・
 
ボウリング行って、カラオケ行って、
朝帰りで帰宅した。そして眠った。
 
まさか、と思っていたのだけど
まさか。
 
深く考えてしまうときは 考えてしまうときだから、
多分どうもできないのだろうけど、
あまり深く考えると 私は立ち止まってしまうから。
わからないこと、
わからないままで。
 
りくつなんか、理由なんか、わからないけれど、
私が うれしい。と思うきもちは、たしかだから。
それだけが、たしかなことだな。
 
それでも立ち止まらず、
ぼくは 生かなければならないことは、
たしかだから。
 
 
 
曖昧なものは曖昧なままで。
大切なものは、やっぱそのままで。
 
(さらり/スネオヘアー より)

せかいのプルトニウム

自分のしてきたこと 自分の言ってきたことが全て
自分に責任のあることだと思う。
そして、
自分のしてこなかったこと 自分の言ってこなかったことも全て
自分に責任のあることだと思う。
 
最近どっかで見た広告のもんくでいうと
鬼の子供にとっては 桃太郎ほど悪いやつはいない
のだ。
 
例えばコンビニでサンドイッチを買う
その中に鶏肉が使われているとする
鶏肉は様々な物流コストを通しコンビニに届いてなお安く販売されるために、たくさーんの鶏たちを、どこかの工場で、身動きも取れない狭いところに 大量にかこいこんで、害のないようくちばしを落とされ、病気にならないよう薬をうたれ、鶏肉として生産されるためだけに、ある種の完全不自由の虐待を一生、受けながら、短いいのちを おえていたとする。
 
鶏たち にとっては
僕は残虐極まりない、欲望のために平気で他を侵略できる、犯罪者や。
 
ただ、おまえに罪悪感があるか?
ないわな。
見てないし 触れてないことだからか。
言葉の喋れない、口もきけない おれらより頭のわりい動物のことだからか。
 
もし鶏たちが集団で私を襲って殺そうとしたとしよう、
私は、「どうして急に!どうして私がこんな目に!何もしてないのに!」
そう言うかしら。
 
そう言える?
 
 
お仕事かえりみち、
関電あるので、その前で、ものすごい勢いで原発再稼働はんたい!てデモやってた。国民投票できまるんです、ってチラシを配ってた。
ほ、ほんとう?本気で再稼働がどうとかいってるの…?
国民投票でそれが決まるとこにいるの…?
どーして、、

前も何度か書いてるんだけど 言葉にも出してるけど
私の意見に誰かが、明確で、私の納得できる回答をくれたことがない。
みんな言う。「政治に関して首をつっこむ意見を言うのは怖すぎる」
 
ああ、そういうことか?
もうそんな社会になってしまってたか?
この国は、自分の意見を、正しいと思う意見を口に出すことすら許されない独裁社会になったか?
思想の自由はなしか?
政治に個人の参加はなしか?
権力か?
武力か?
長いものがこわいか?
社会的に抹殺されたらおしまいか。
 
自分の意見を言って自分の責任になるのが怖いんだろ?
「自分の意見を言わなかった」責任も、おまえと、へたすればお前の子供が、とるんだよ。
大事なことは言わなきゃわかんないんだよ。
相手が汲み取ってくれなかったから、だなんてそんな言い訳は、
愚かだとは、思わないかい。
 
 
やるなら、やれよ、
おれは誰かの意見をきいて それに納得して従うことはあっても
自分の気持ちだけは誰にも踏みにじれないと知ってる、つもり。
誰かの目を気にして おのれの美しいと思ったことを否定させられるくらいなら
おれが生きてても、しょうがないでしょう。
 
 
だから自分の考えを書くね。
反対でもいいのだ。私は大して政治を知らない。
大して原子力の原理も知らない。
大して世界の動きだとか、こむづかしい話は 知る気もないのだ。
目の前のホームレス見殺しにするくらいには偽善者だ。
ただ、聞こえてくる話があまりに平和でない。
 
原発が再稼働するだとか、
米軍基地が京都にくるだとか、
戦争がどうとか、
 
なぜだ?
なぜかわかるように説明しとくれ。
ありえないことばかりなんだ。
 
おれはメディアや権力の言う「あたりまえ」はどうでもいい、
押し付けのイメージや 安全そう・安心そう・まあだいじょぶでしょう感
誰かの利益のためにつくられているそんな広告物は、信用できない
 
「テレビでやってたから安心!」
「有名店だからおいしいに違いない!」
「え、これみんなやってるよ?」
 
何かを参考にするのは素晴らしいがあなたにあなたの選択肢はないのかしらん?
 
FacebookでもTwitterでも、このブログ本文でも、いい。
読んでいるあなた、いるならば、思うところがあるのならば、
私になにか、教えて。
私は、あなたの、だれでもない、あなたの、個人の意見が聞きたい。
あなたのり・アクションに期待しています。
 
これは上から目線のつもりもなければ
自分が完全に正義と思ってるつもりも、ない。
それを主張したいがための発言のつもりも、一切ない。
それはわかってほしい。言葉ヅラからいつも誤解されがちなことなのでかきました
 
 
私の意見を書きますね。
 
戦争に行って死にたいやつはいるか?
原発で働きたい、放射能を浴びて病気になって死にたいやつはいるのか?
 
そういう話じゃないのだろか?
だから、それを誘発するおそれのある話が あがってくるっていうのは
そもそもありえないことではないですか?
私は、へんだなあーって思ってるよ。
あなたはどうですか?
ふつう?
 
放射能はこわい。
そのことについてはチェルノブイリや広島や長崎の原爆を調べてください。すぐにわかる。
ろくに具体的に説明なんてできひんし、歴史とかさっぱり興味なくて知らない私ですら、それぐらいは、わかるよ。
 
私の考えではね、
エネルギー事情が問題であれ、明らかに人類の手に負えてない装置を再び動かそうっていうのは、根本的に、無理なこと、だとおもう。
これまでの原発ありきのエネルギー供給がそもそも無理のあったことなんじゃないかなあって思うのが普通じゃないかしら。
 
はっきりとものを知らない上での考えだとは思うけども、
 
プルトニウムって、原発から出るすさまじい量の汚染物って、まだ再利用できない、処理できないってきいたよ。
原発事故が起きて、その収束もついてないんだよね、まだ事故現場は完全に安全な土地じゃないんだよね。。
だのに、次に事故が起きない保証はないと思う。あぶなすぎる。手におえてないと思う。
 
それでもみんな、便利な暮らしや産業をえらぶのかしらん。
私は、そもそも、選択肢にのぼること自体がへんだと思うんだなあ。
 
原発をまた動かすというなら、だれを原発で働かせるんだい?
事故が起きる可能性が0でないなら、事故が起きたときには誰を生贄にささげて処理させるんだい?
動かそうぜっていってるやつらが自ら、原発内で働くか?
行くか?
あなたは、自分の子供を、原発で働かせたいと思うか?
原発のあるすぐそばで、暮らしたいと思うか?
 
「原発では働かないなあ、そういうのはそういう仕事の人に任せるよ。なるべく離れたとこ住むよ~」
うん、じゃあ同じ人類の中から、おまえは誰かを生贄に選んで殺すんだな?
自分のやりたくない危険なことのなかへ、お前が行け!って、ささげるんだな?
 
やってんの、そういうことだぞ!
めちゃくちゃだろ! ばかげてるよ!!
 
パソコン使って仕事してるし電気使ってライブもしてるけど、
もしエネルギー不足だから、仕事はできません解雇です、ライブも電力足りないんでだめです、とか、まわりのお店も減って、不便な生活をしろって言われたら、そりゃあ、そりゃあ私はいやだし苦しむけど、
 
そのために原発を動かして、廃棄物で海をめちゃくちゃにし続けて、また事故が起きたとしたら どこかの土地がずーっと長い期間放射能でだめになる、子供たちにも影響がのこる、
危険すぎる、無謀すぎる。あまりに無責任すぎる。
そんな可能性、せおってまで、したくないよ!当たり前だろ!
というか、とてもじゃないけど、できることじゃない。。選択権はない。そう思ってる。
 
だから、原発動かそうとしたい人の意見もききたいなあって思った。きょう。
 
 
長くなりました、長くなるとこの文章を読んで伝わってくれる人の数が大幅に減ることを私は経験上知ってます。
いいけど。いつもはいいと思ってるけど、
今日は誰かに伝えたかったから、Facebook上に書きました。
 
Facebookに書いたことに、リ・アクションくれたかた、ありがとう。
 
でもねえ、Facebookへ直接ではなく、メールで意見よこした人もいたんだよ。
Facebookへ書くのは怖いからって。
 
それ、なあに?
どうして怖いのだろうね。
誰かに怒られるの?
 
悪いことをしていないのに?
何もしていないのに?
誰に強制しているわけでもないのに?
むしろ自分たちの未来について、真剣に考えてるだけなのに?
 
その「いち意見」を 発言することを
恐れてしまう社会って、なあに?
 
それを言うことで誰かに嫌われるの?
それを言うことで、取り締まられるの?
はじまってんなあ、日本、
 
うん、ちょっと動揺してると思うのだ。
冷静に たのしく書きたかったのだけれど
どうも、むつかしー、
 
これは怒りなのだろうか、
どういう感情かわからないけど
何だか さびしいよ。
つらいのだ。
 
少なくてもいい、誰かに
すみっこで同じように、考えてる、
誰かに響けばいいと思う。
 
 
 
・・・

2013/01/04 ゆきのしもがも
自分の布団から、懐かしいにおいする。なんのにおいだろーかー
 
ゆーーーきーーー
 
今日はおでかける。
目的地、京都御所だと思ってたら、下鴨神社らしい。どこでまちがえたー
ほんで出町柳やと思って降りたらここは三条。ンッンー
 
・・・
 
年始なね。
 
ついにヒートテック買うた。さてどうやらどうやら。

であんいんでん

お昼
インデアンカレーに初めて行った。
写真はない。
私はカレーがすきだ。でも、あんまりこういう 普通の茶色いルーの欧風カレーってかんじのやつではなくって、すぱいすかれー タイカレーとか、スープっぽいやつとか、キーマカレーとかがすきだ。
音楽と同じでべつにカテゴリーがどう分かれていてどのカテゴリーが好きとかいうわけではないのだけれど。
かといってココイチでアルバイトしてたし毎日そのカレー食べても全く苦にならないくらいなので、嫌いというわけではけっしてない。むしろ食べ物全般の中では好き。
 
インデアンカレーは カレー好きということをまえに書いたら 友達が行ったことあると挙げてたお店のうちひとつで、ああいうチェーン系 しかも欧風カレー 行くことがないから、いちど食べてみよう、と思っていたのだった。
 
うん、ふつうにおいしかった。ご飯のかたさが好みだった。
ひとくちめ、甘いな~って思ったのに、思ったよりスパイシーだった。不思議。ココイチの普通のからさのカレーが辛いという人は無理だと思うくらいにはスパイシーだった。
量はふつうにしたけどちょっと多かった、そんなにいらなかった。食べたけども もっと具が色々のってたらいいのになあって思ってしまった、個人的な話、やっぱり欧風カレーだと、途中で飽きてしまうゆうか、お腹もふくれてくると、食べなくてもいいなって思ってしまうくらいには、いらなくなるのだった。量を減らせばいいだけのことかもしれないけど。
ルーだけだったら延々食べたかもしれない。ルーは足せるみたいだ、有料だった。
 
アイワナお野菜 もしくはきのこ!
 
牛すじが入っていてそれはおいしかったです!
 
 
よる
 
きっしーのラーメン写真みたらラーメンたべたなって、そしたらビルを見上げたら、「世界一暇なラーメン屋」「世界一閑古鳥の鳴くラーメン屋」とゆう文字が目にはいってしまって、気になって、気になって、、
そんなにラーメン好きとかではないはずなのに、ずるいや、´ `
 
〜一名様ごあんない〜
 
201404252001_IMG_4102
店内がおしゃれすぎてびっくりしました
でも居づらくはない にぎやかさが丁度いい具合に、店内ではap bank fes2012の映像と音がノリノリレベル音量で流れてて、スガシカオが櫻井さん?ミスチルのひと、といっしょに演奏してた。
 
プロ、とゆう存在について考えたりもする。
 
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あっラーメンすごいおいしかったす、しあわせー男性には物足りない量かもしれませんがちょうどよかったす。
 
そりゃあステージに立って見てくれる人がいればプロなのだが、私にとってステージとセッションは境目のなき日常でもあってほしいし口笛も鼻歌も音楽だしという気持ちもあってなんだか複雑です。
 
こりで、長年「暗い」と言われたガス止もりっぱなグルメブログですね
 
 
 
・・・

2013/01/03 実家じかんの実感
実家の、私がずっと処理せずの 山ほどの漫画たちとか、服とか、その他いろいろ、片付け中ですが、
幼稚園の写真やら 色々出てくるもんやからもう面白いやら恥ずかしいやらで すすまへん。あかんゲラ笑いとまらん
 
墓参りとお経読みおわってスーパーでおかいもん
おばーちゃんとお経読む時間好きだったなあ。
毎回思うのが、実家の水はやっぱり体にあう。風呂入るだけで全然ちゃう。
シャンプーなしでもいけるくらい。なーじーみー
 
朝からやりたいこと多すぎてわたわたする母とわたし。どちらもテンパる性格。危険
 
お母さんと一緒におせちを作ってみる。
我が家はおせちは作らないのだ、毎年。
お父さんがあんましおせち好きじゃないゆえに、作るのも大変だし。とのことだった。
あと、食べたければ本家のほうとかにおじゃましにいって食べさせてもらえるからかな。
 
でもおせち。ああ、おせち。
私は昔から味噌は白みそ派だったり、家族と食べ物の趣味が違うところがあってご面倒をおかけする娘さんでした。
おせちへのあこがれなりやまない とまらない
 
そして
 
お母さんにおねだりして、栗きんとん習うた!
ざっくりやりすぎで、栗二種類とパインいれる。でもうまい!
つぎ伊達巻き!
 
おかーさん、「さ…さむい! はひほんひ!!」て言う。
その言葉、私が教えましたのね。
おとーさんはひたすらテニスラケット素振りしながら色々お話してくれた。
レコードがいっぱいあったのでたずねたら、もう聴く機械はないが全部CDに焼いてあるとのこと。さすがITの申し子!!ほいで真面目ー
 
いつもどおりのまともな我が家で安心しました。
 
3歳ごろ、私がスピーカー前でリズムにのって踊っていたという、ナベサダさんのCDを借りた!そーだったのかー
お仕事でこないだナベサダさんのバンド見れたときは、たのしいことを たのしそーにやる人たちなんだなぁと羨ましく思ったものだけれど。
 
つながる。つづく。そしてそれは、面白い。
 
今年も お正月ちょっぱやだったけど、大阪に、
帰らせて
いただきます。