だらしのなさ

改めてちゃんと聴いているオワリカラのCD音源がとても良くってびっくりしている。
こないだ何のアーティストかわからないで流したときは、一曲二曲は好きなやつあるかもな、ぐらいだったねんけど

別にライブも見たことないし音源も初めて聴くねんけど
ぐっとくる曲多いなー
そおか私が今こういう気分なのかなあ と、思うた

最近予定をはっきり決められることがなんか面倒で
あまり決めないでいたい

でも好きなひとにもっと会いたいし、自分の行きたい場所も、できれば誰かと一緒に遊びにいけたらなあと
一回考える
ただあまりに、予定をはっきり決めるのがいやで いやすぎて
そういうのに付き合ってくれそうなゆるい人というと難しいようなあれなのか、

いや、おれが面倒がってるだけなのか、
誘われたら全力で行くような気もするし
うーん

かばんの中でイヤーリングはよんでた。ここにおるのよ、わすれてるよって。

耳にイヤリング一日中つけててもあんまり痛くなくなった。慣れたのだろう。
耳元でぱりぱりいう、揺れるやつが 私は気に入っている

おなかがぐー
冷蔵庫が空なので買い出し
すごく家を出たくないけど振り絞り出る
なんだかすごくしんどい

驚くほどに、何もしとうない、
びっくりした
やることもやりたいことも山ほどあるはずだ。

でも何もしない  が永遠に足りないような、
三日ぐらいはこのまま何もしない  をすべき、ぐらいの途方のない無気力感におそわれている。
 
東の空はー

スペツナズー
 
あのころ、息もできなかったあの頃、
もっぺんならな でけへんか、自分、でくのぼうやな。
 
 
 
・・・

2012年11月23日
ほかの誰にもなりたくない。
ただ最高の自分でいたいだけなんだ。
 
でもそれじゃあ、生きられないことを知った。
たくさんの自分の声をあきらめて、今ここにいるけれど、
もうこれが誰の人生なのかわからないでいる。
 
お医者に行ったけれど、薬が全然効かない。咳がおさまらない。
 
部屋の鏡が割れたんで、トイレに立ったときに鏡にうつった自分の姿を久しぶりに見る。
 
死にかけとる。
でも、確かにそれは、私の顔なのだ。
 
私は自分の生まれたこの出で立ちを、とても自分で気に入っている。
自分にぴったりだな、と思う。
もちろん満足がいくほど一番美しい状態には とてもじゃないが辿りつけていない のだけれど。
 
かわいい人、美しい人なら捨てるほどいる。
でも自分は、自分しかおらんのやろう。
私は、自分の生まれたこの姿を気に入っている。
 
朽ちてゆくのはみんな順番だからねえ。
口癖のように繰り返す。
 
発作を繰り返す。
呼吸をゆるされないのだろうか。
そんなことも考える。
 
まだ、生きられるのか。
まだ、耐えられるのか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください