名前をもらったうた

名前をもらったうたは、どんなふうに変わるだらーと思った。
私はあたらしい名前をもらって、やっぱりその名前をもらうということで何かしらの影響がうまれただろうなあと思ったから。
 
あと、名前をもらった・もらわないにかかわらず、
作られたまま、忘れ去られたうたというのは、
どんな気持ちだらー と思った。
 
生まれたのに、うたわれない気持ちは?
 
飾られてるだけの楽器とおなじだろうか。
 
なぜそんなことを?
センチメンタルに考えがちな、くせのようなものか、
もちろんべつだん大して深刻には思っていないはずなのだけれど、
心のどこかでつながっとう気がするのは、なぜ、
 
おひる、
鉄板焼きもののおいしいお店をみつけた。
 
掲げられている、よるのメニューをみていて思ったのだけれど、産地や素材やその扱い方にオリジナリティとこだわりを持ってる店ってすごい好きだし、それはメニューの名前にも自然とあらわれるんでないかな、と思った。
押しどころがおおくつくられているよいものは、無理せんでもなんとでもアピールできるってことかしら。
 
極端なはなし、単にふつうの食材でふつうの料理であれば、近所のスーパーで買ってかえれちゃうのだ。
 
こないだ田舎の地方の地域活性化で、農家と研究者と料理人が協力して、オリジナル加工品をつくることで、ナマの野菜だけであったらどんなにいいものでも、安くしないとなかなか買ってもらえないところを、オリジナル製品としての付加価値を付けて、全国から注文がくるぐらいの人気商品にすることができる、ていうのをやってる人たちのことを見た。
ここでしか食べれない、ここだからつくれる、あの産地からの組み合わせ、というオリジナルの付加価値があってこそ、私のような金のないもんくいいのお客さんも、納得して、一品料理に700えんとかを投じるわけなのだ。
「ささみ炙り」よりも、「丹波味鶏 ささみちょい炙り」なのだ。※かなり個人の趣味
 
笑い
 
でも、これってかなり色々なことに通じると思う。
 
ところで、お仕事で、お金ぜんぜんもろてないけどお世話になっているからしぶしぶ短時間でやったバナー作成が、一発でOKでて、しかもすばらしい出来栄えと言ってもらえてうれしかばい。
しかしまだまだ確信が持てないところがある、もっと色々な案は出せるだろうけれど、ズバっと「これしかない!」という確信が、きっともっと出るような経験をつめるんじゃないかと想像する。
まー勘違いかもしれないけど。
どんなデザイナーも、およその仕事は、案をさまざま出して、最も「らしい」ものを選定して提出しているだけなのかもしれない。
 
笑い
 
とりあえず褒められてうれしかったし、やってきたことが速度アップしてるのもうれしい、ということなのでした。
ただ、私、かんぜんに理屈じゃなくてテンションでデザインしてしまっていることがかなり多いので(後付で理由はつけたりできることあるけど)、調子悪いときにうまくできるかシンパイではあるのだった。
じっさいちょっと調子の悪いときに、時間がかかる。

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