川がながれておいてゆく

ああ、堀川か。
 
と僕は口に出さないまでにしても、頭の中央にくっきりとその言葉は浮かべて意識した。
 
「清く柔く」ふうにいうと、今生なんどめかの
どこ連れてくんのよ感である。
 
二年前のなつ、貴船までひとりで行ってほたるを探したな、さんざん歩いて帰り道に2ひきだけ見つけた記憶があるけど、
一番強烈だったのは、人のいない、街頭もない、音もない。山の夜のまっくらやみの体感のことで、
 
 
進んでいる、川はながれて もどらないけれど、流れていった先でまた会いましょう、なのだ。
 
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晴れたし、すこしうたってかえりたいな。ところでここはどこ?迷子率
でも迷子とゆうのはたどり着くべき場所を見失ってるひとのことをゆうだろうと仮定すると、ぼくはどこへ向かうわけでもないわけで迷子ではないということになる!タル
 
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今日だけで既に10は記憶と向き合っている。
正直、厄介なのは場所ではないのだが場所というフィジカルな条件に確実に影響を受けるのは当然のことであって、結局はようするに、厄介だ。
 
家に帰ってからもその戦いはつづいた。
戦い?
正直、記憶しかないのに、それは思い出せない。
 
いったいどうしていたんだろう。
全然、思い出せない。
少しの言葉、嬉しかった言葉、ちゃんと覚えているけれど、
ここにない以上、
 
 
きみは、どうして、
あなたの頭の中は、どういうわけで、
 
わかろうと思わない、わかるはずがない。
でも、どうしたらいいかわかんなかった。
そのままで今もいる。
 
目がはなせぬほどのはやさで、川がながれて、おいてゆく。
おいてゆかれる僕は、それを、じっと眺めている気がしている。
 
 
終電なるまで鴨川でギター弾いていた。
外人さんがひとり、隣へやってきてそれを聴いてくれた。
かたことで かなり言葉は通じなかったけれど
聴いてくれて、うれしかった。
 
あなたのおなまえは?
かれが聞くのでわたしはこたえた、
なさげ。です。
 
 
 
・・・

2013/03/09 中之島公園ニテ
 
朝から寝坊で安定のちこく。
梅田で待ち合わせていて
その間、聴いてたhiyokoのむかしのスタジオ音源と花粉にやられて、
体ゆらして、泣いていた。
 
一日のはじまり
 
中之島公園のはじっこでセッション。
 
天気がいー。ギターをひいた。
まだまだ音色を作れないし不自由でもどかしく、
ギターをたとく。
 
お金を払われなくたって、誰だって音楽家になれる。
楽器を買うことができなくたって、うたうことできるし、
足でつちを踏めば、手を叩けば、リズムがうまれるのだし、
走れば、耳元をきる風のおとはうつくしい。
 
うまいとかへたとかどーでもいい
売れてるとか売れてないとかどーでもいい
みんな知ってるとか一般教養とか ほんとーに、どーでもいい。
結局、心がすきって言えばそれがすき、なのだ。
 
なんて散々いうけれど
集めたいものを集めておいきなさい。
私はとめないよ。
だから私をとめないでおくれ。

おむかれ

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よる。ともだちと待ち合わせてごはんをたべた。雨がふっていた。傘はひとつだった。

だいたい全部お祝いみたいにしたい

十三番目の金曜日。
 
つらい、って、この国の言葉ではなんていうのかしらと思う。
ときが ある。
 
僕は大体定期的に死にそうになったりしているんですけど今はどきどきしている。自分のバンドのおとを聴いている。死ぬのも生きるのもベクトルのあるいのちそのものではないのだろかと思える。アルコール一滴も入ってないけど酔っ払いのきもちもこういうときはすげえわかる、気が、する
 
最近、個人練習で練習したい部分が多すぎてぜんぜん時間がたらない。
トータルでそうとう時間がかかるのだ、ぼくは、、
でもこれを言い訳にはしたくはないと思う。
つべこべ言わずできるかぎり、やるだけだ。
 
たたかいにでるのだろうか、安心安全なばしょを出て、たたかいにゆかなければ、ならんのだろうか。昨年はわからなかったことが、今の自分にはとてもしっくりきてわかる。気が、する。
 
ぼくねえ、こんなちゃんと長いこと ひとつのバンド続けたの、はじめてなよね。
こんなにきちんと コンスタントに、ライブもつづけてっていう形。
たとえいつか終わってしまうことだとしても、
それをこわがらず、全力でいくわ。
 
ずっとそうしてきたつもりだけれど。
どうしても怖くなる、ときはある。
 
でも、全てのことがらが、自分がどれだけ望んでも永遠でないことはもう、わかっているから、
わかっているから。
 
あいや、本当かなあ。
 
 
とりあえずあさって15日は父の日だからね!
その三日後18日はエンペラーめだかのライブで、その5日後の23日はお父さんの誕生日だからだいたい全部お祝いみたいなものだよ。
 
ゆきましょうか。
だって、ぼくにあそれしかできないから。
 
 
 
・・・

2013/03/07 無知は罪なりや
無知な人を相手にした、悪意を悪意とも思わない悪意がおおすぎるよ。
 
ルールにのっとってさえいれば、それでいいのか?
夢をかなえるために、誰にもとがめられない理由つけさえすりゃ、
なにを利用したっていいのか。
 
ぼくはきっと誰のことも心配なんかしちゃいない。
ただただ自分が傷ついている

思ってるだけ
 
 
ださいとか、そういうもんじゃない。みっともない。わたしは、そうとうお恥ずかしー
 
そう認めることができたならばきっと
かわる かわれる
 
 
時間がすすむってこと、
人がその時間ぶん、つながって、関係もその時間ぶん、かわっていくってこと。
一人のあいだも、おなじ。自分とゆうものは変わっていく。
笑いながら、きっと成長していく。
それを続けていくことが、積み重なって人生になる。
 
それをそのまま、愛せたらなあ。

わかりかけていたこと

自分にとって価値があるかどうかとか、
他人がいいと言っても自分に思えないものがどうとか、
 
つまりメリット、デメリットをいちばん気にしてんのって
自分じゃないのか?
 
 
 
・・・

2013/03/06 すすむ
時間がすすんでる。ほっといても、なんかやっててもすすんでる。
変なかんじだ。前はこんな気持ちにはならなかった。
自分も頑張ってると思ってたけど、みんなえらいなあ。
 
思ってただけであって、ある日、頭うったのであった。私は生きてすらなかったぞって。
そのままでも暮らしてゆける、でも、それじゃあ私は、だめなのだ。
安全なここから、出て、戦いにゆかねばならん。うつくしー人をみて、そう思った。それはそれは衝撃やった。
 
しかし自分のペースがおそい!しぬる!
みんな平気でこなせることをこなせぬ!
なのでバランスとって、上手にやすまなきゃあなー
 

夢を抱いて、重たくって、
君の前では降ろさせて。

忘れないで。いつだって君のこと、
大好きさ!
(さよならのキスをしよう/広沢タダシ)
 
・・・
 
今日は馬車馬もエンペラーめだかも、大阪でライブだそうでめでたい!
似てるゆうと怒られるのでゆわなーい(誰もおこりませんすんません)
 
 
でもさ、じっしつ、怒られたいよね!(上のはなしとは関係ありません)
なんだか、謝るのもへんなのだ。
 

かれの歌をうたう、遠くの街でうたう。
どうにかならないのかよ。
きらわれのうた
(きらわれの歌/Young より)
 
 
わたしが嫌いなら嫌いでええかなって思う。うまくやるつもりも、何もないです。でも人はそれを隠すでしょう。それ、すげー怖いですなあ。
考えが一周した。考えるな。
やれることをやるだけです。好きだから、頑張れるでしょう。
 
 
昨日、健康診断のとき診察室でした、トラウマのにおいのことを思い出した。けしてくさいとかじゃない。そのにおいは、私、一生むりやわ。
普通のひとがかいだら、普通にいいにおい。なんだろー。あー。ひさしぶりに嗅いでしまって、今朝ちょっとそれがフラッシュバックして鼻をかすめたときの、鳥肌。
 
・・・
 
音楽やってるやつが多すぎる。って言葉、今はわかるんだよ。だあってお客に専念したって、好きなバンドたち見に行ききれないもんなあ。
たくさんの夜がある。好きなことは、自分でわかる。
それゆえに、なんとなくで、ごくふつうに、ごくしぜんに、ゆきたい。

明日またでんわする

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いぬカレーじまん
 
よるおそくに いぬさん宅おじゃまして まどかマギカをみた。
やぱあすごかった
 
うれしかった
カレーをもろうた
うれしかった

かわらぬやさしさ

どーしてあなたは
そんなにやさしのだろー。
 
うれしい。
 
 
さてきのう、ふと馬車馬もーれつに見たくなって情報探したら今日エレバティむっちゃアツくって即きめた。いってよかった、ちょーよかった、、ぜんぶ見たいやつってすげー珍しい。
 
ヒョットコ、馬車馬、バイセーシ、BLONDnewHALF、星の王子さまたち。
ああ、おどった、おどった。。さいこうである
 
たいむりーにぺろきゅんにも会えた。。今日はほんとに嬉しかったんなよ。
 


 
噂をききつけたんだ。
チケット予約先のメールアドレス見て、とびあがりそうにうれしかった。
ぺろきゅん。。たのしみだ。。
 
チケット500えん、くみあわせ、企画者の思いがながれてくるなあって思う。
チケット代ドリンク代がはらえなくて見たいアーティストみにいけなかった悔しさ、っていう君の思い、
バンドを好きであればあるほど、ライブが好きであればあるほど、お金って、「一人が」「足を運べる回数」に影響する。
そうでしょ。
 
私は、極端な話、可能ならばライブ代なんてぜんぶ無料だったらなあ、って思ってるんだ。
そしてそのぶん、好きになったアーティストのCDを買うよ。
そして好きになったやつはまた惜しまずに、見に行くし、
新しいバンドをもっともっと見つけようと思って、ライブハウスへもっと行く。
 
まあでも、お金を払ったからこそ価値を感じやすい  って 人が言うのも わかるよ。
 
でもぼかあ無料配布CDとかネット上の無料試聴デモ音源から好きな音楽ってふつうに探せる時代だと思うんだけどなー、
大学のときから、thePillowsとかのCD出してるレーベルの、トップページで新作のCDの曲がちょっとずつ聴けてね、
そこで好きなやつがないか常にチェックして探すのがすきだったな。
 
あのね、「探してる時間」、って、すごくぜいたくじゃない?
私、本屋さんで、好きな本ないかなーって あと気になった本の背表紙の色や タイトルだけや 挿絵だけで 本を見つけたりするのも好きだし、CDとか音楽もそういう、好きなものを探してる時間ってすごく、好きなんだなあ。
 
インターネットで何か買ったりしてると、「あなたにおすすめ」とか出てくるけど、
自分の好みそうなものを、まっさきに目の前につきつけられてくるだなんて、そんなんいらんのすわー。
見つけるのも楽しみの大部分でしょう。と思う。
 
まあ僕は文句いいなだけかもしれない。
でもあの、文句じゃなくってね! 探す時間いいよね!ってことを言いたくってね!
 
はなしそれぞう
 
 
あー、ちょっと元気をもらった。色々楽しかった。会いたいひとたちに会えた。
やっぱり音楽のよるは最高だ。だからライブハウスって、大好きだ。
誰にも会えない日もそりゃああるけど、それはそれで純粋で楽しいわ。
 
 
のもうよ!と誘ってもらえて うれしくってうれしくって
ぜひもっと仲良くなりたい!とも思ったのだけれど、
いぬさんちでまどかマギカ(おとなアニメ むっちゃおもろいっす)の新しいやつを見る!
 
いぬさん会いたかった、
お互いライブいってて夜遅くなっちゃったうえに
まどかマギカがすごすぎて あまり喋れないうちにいぬさんスヤスヤでしまった!ってなった
 
いぬカリーを食べさせてもろたことを自慢したい
うなるほど自慢したい
ともだち、、と、、ともだち、、おおおお、
ともだちをさがす!
 
僕はなんだか最近よくないなと思う。
それとも、「あのころ」がちょっと ハイってやつだったのかな。今おもうと変だよね。
あんな極限状態 ・・・ないなあ。
 
 
いつも一緒にいてくれて、ありがとお。
 
 
 
・・・

2013/03/06 とんでゆくよ
会いにゆくよ、今すぐ行くよ、とんで行くよ。
でもどこへ!
 
・・・
 
「君じゃない」って蓋されちゃったらどうしよーか、考えている。
 
その先を、その先をたのむよ。

つづきを

誰かに頼ることで誰かから頼られることもできる、
という言葉を思い出したりもしているけれど
それはいったいどうすれば?
 
昨日から、自分のやってきたバンドの曲と、自分のつくった曲だけが、ゆっくり頭をローテーションしていてそれ以外はながれないんだ。
 
ゆっくりと、ただゆっくりと、一つずつの記憶が、そこにあるみたいに蘇ってくる。
 
火影のさのさんと話してる。音楽をやってる自分にちゃんと誇りを持ってくれ。ということば。
ながれる三条河原町の景色。人のざわめき。
高速道路のわきみちをあるいた深夜のしめった空気。
雨の中、傘さして出町柳を歩きながら食べたアイスクリーム。
がらんどうの自分の部屋だったもの、のなか。通りをながれてゆく車の音。
夜の道を車ではしってゆく。まっくらな、滝のみち。
 
 
 
うん、もとより、やるべきことは決まっている。だって誰に言われたからやってるわけじゃないもの、見返りのためにやってないもの、
そりゃあやるからには頑張るしやったこと、褒めてもらえたら嬉しいし、無視されたらそりゃさびしいけど、
順番。だいじやと思うわ。
 
いつだって、そー、
気持ちひとつだよ。
 
さきに待つのが無意味と絶望でも、ぼかあまだやってないことがあるのだ、
成功する保証があるからやりたいんじゃない、
そのさきが見たいから、やってみたいのだ、
 
そのために何ができるか頑張ろうじゃないかと思う。
でも多分、一人じゃできない。
ぼくの言葉はとどくのだろうか、気持ちはつたわるのだろうか、
どうもいつもそれが苦手すぎて、まっすぐゆかないけん、しんぱいだあな´ `
 
 
なにもなくって死にそうなとき、友達が言うた。

「求めても手に入らん物はたくさんあるよ、
生きてていいことなんか半分もないよ。
生きるかどうかの選択肢は
自分が最善を尽くしたあとに決めな」
 
 
ぜんぶ持ってゆくよ、
いまはもうないもの、
それでも大事なこと、忘れないで持ってゆくよ。
 
 
「どこか遠くまで、
 君をのせて」
 
つづきを/hiyoko
https://www.youtube.com/watch?v=CL8wQKgwjME

 
 
 
・・・

2013/03/04 りきむといけない
りきむからいけない。
 
hiyoko初期、シャチの解体ショー …とゆう曲があった。今はお蔵入り。でもけっこう気に入っている。しよく聴く。何か、もっともっとかっこうよく できそうで できない。私から作りだした曲で、タイトルも勝手に私がつけたやつだからちょっと思い入れある。なぜそんなタイトルなったんやろうとも思うが、まあただの曲の雰囲気から思いついた単語ぐんでてきとうなので
 
・・・
 
言葉はまっすぐじゃないなー。。もっとまっすぐ、じゃなくてもわかりやすく、あなたが言いたいことを言ってくれたらいいのに、といつもいつも、思うけど。
最近、それをやっと、実用段階に早めに持ってこれてる、かんじです、時間かかりまくるせいでまだまだ。やけど。
ああ、人間ややこしいな。
 
まっすぐじゃないから奥までとどくこともあるし、つよく響くこともあるってのは、わかるけど、
そういういいことじゃなくてーえ
 
大きな声で歌ってても、遠すぎるよ、まるで!
 
変なものがいっぱい見えるし聞こえる。
おやすみなさい。

一年

汗拭きタオルわすれた。。あづい。。
 
なんだか、とてもつらい、
めちゃくちゃにつらい、
時期的なものだろうか、
何でなんだろうか、
ひさびさに、急にきた、
 
わからなくなったのだ、
正しいと思っていたことが、
自分の望みだと思っていたことが、
わからなくなった、
それだけで、一気にきた、
 
正直、何がこんなにつらいのかわからない、
わかることは、
戻ってきては消え、戻ってきては消える景色が、たくさんある。
 
今日は一日、何をしていたって、走馬灯のように流れる過去のかがやきと、後悔があった。
ああ色々なことがあった。色々な人があった。
なつかしいな。
 
でももうだめなのだ。
それはナシなのだ。
みんなみんな変わって行った?
みんなみんな立ち去っていった。
 
でも大丈夫、
当たり前のことだから。
ひとはそういう。
ひとって誰だ?
 
わからなくなった、
 
がんばろう、でも、
なにを、がんばろうと思ったんだっけ。
思い出せない、
いや、つまり、何がつらいのか、本当は僕あわかっているのだろうか。
 
何を僕は、まだ耐えてるんだろう、
と思うときがたまにあって、
よくわからないけれどどうしようもなくなって、まえに歩いた道を
何度でも何度でも、ぽつぽつゆくのだ。
 
それをずっと繰り返している。
 
誰もその道は二度とゆかないものだという。
 
僕は続ける。僕は覚えている。
大切に大切に大切に思っていたこと。
すさまじい速さで、流れていく人のこと、他人ごとのうそ、簡単な利害一致、駆け引き、
変わって行ったのはわたしのほうか?
 
ずっといきづらかった。
かなしかった。
 
それがまた風がふいたように、訪れただけだ。
 
息がしづらいと、ずっと思っていた。
 
ああ、息がしづらい。
胃が痛い。
胸がくるしい。
 
仕事をしながら、パソコンのディスプレーを眺めているはずなのに、
目の前に走馬灯がいくつもいくつも流れては消える。
思い出したくないこと。
思い出なんか僕はほしくなかった。
何もかも、何もかも、
ずっとずっといたかった。
思い出になんか、ならないでほしかったんだ。
 
 
何を今も、耐え続けているんだろう、
何のために、
どうして、
何を頑張ればいいのだろう、
 
僕にはわからなくなった。
 
 
 
・・・

2013/03/02 追いコンのちのマルヤマエキスポ(初)


ゔぃ
 
これが人生
やっと面白くなってきたんだ!
 
 
キャバーンクラブ(大学の軽音サークル名)後輩たちのライブみにいっている、もう三日目。
 
・・・
 
こんなライブが、ドリンク代500円だけで、いっぱいー、見れるのだから、先輩はほんまに幸せものです。ありがとう。
 
・・・
 
昨日も今日も、入学したときはあんなピヨピヨだった後輩たちが、すっかり格好良くなっていて、わたしはとても感動した。音楽で涙が出るぐらい感動した。
大学の4年、もしくは短大の2年はあっという間。でも、やったことは、一緒になにかを成し遂げて頑張ったことは、絶対なくならない。
楽しんで。
 
・・・
 
ちょっとずつでいいのだ。なんとかしよう。
はなから自信持ってるやつなんていない。自信なんてもんは、やってたら後から勝手についてくるんだよ。
って、これ、とある後輩のことば。
わたし、駄目な先輩代表、かつ幸せ者ねー

らぶりー!(最近口癖)
好き、って、なんとなくで すっごいのだ。
 
・・・
 
ところでしかし、自分をあらわすとき、ドラマーという響きにじゃっかん違和感。私は、太鼓専門家になりたいわけではない、という変にあまのじゃくな気持ちが沸いてしまう。なんと言っていいのか、おとのなかみ一部ゆうか… うん、やっぱ、「ビート」あすみやな。へりくつか。
 
 
そいで、キャバーン追いコンからの移動。京都 木屋町DEWEYとゆうライブハウスにて、まるやまEXPOとゆうのにいってきた。
telephoniaはアイドルバンドやな。アイドルバンドと言っとけばぜんぶ収まると思うなよ!(自分へ)
 
名前がかわいくて気になってた、「まるやまはんとかもがわカルテット」、よかった。想像よりずっと、格好いい女性バンドやった。しびれた。キーボードとサックスに、しびれた。あんなキーボード、はじめて。。はんそく。。
 
・・・
 
気絶しそうなぐらい眠い(これいつも思うし言うけど、ほんまだろうか)
 
・・・
 
そんで 好きなバンド・ネズミハナビが全国つあーという噂で
わくわくする。わくわくすること、たくさんある。
 
痛みを体に刻むように 恋をして!失って!また、恋をして!/
そんな自分に終わりを告げることを、決めたんだ!/
大切な人が見つかったんだ。
 
(クラッシュ/ネズミハナビ)
 
ネズミハナビで、いま一番よく聴く。

ゆーめ

ながいながい夢を見た。
ここ数年、あるいはもっとかも、でもけして遠い昔ではない、そんなすべての、総集編だった。
走馬灯とはこんな感じだろか。

僕はどこへも属したいわけじゃないし
自分や誰かを殺してまで生きていたいわけじゃないと思う。
でも  その思想が誰かべつの思想よりも勝っているとは、
けして思わない。

むしろ僕がいつだって感じてきたのは、
僕は誰よりも劣っているらしいということであった。

雨上がりの京都御所がめっちゃえかったです、写真にうつせないすごみ。
どしゃぶりにやられてカッパキャラは喜ばなければならなかったのにつめがあまかった

ゆっくりと電車は進み、
僕は新しい自分の町へかえる。

これじゃあだめなのだろうか、うーんうーんと、いろいろ考える、
でも一人じゃだめだし考えとるだけでもだめだしやるだけでもだめだ。
うーんうーん。

理想、理想、、このやり方じゃだめだ、、方法はともかく発想がこのやり方じゃだめだ、、

僕は人気者でもないしお金持ちでもない。そんなやつが、出しゃばるのが、逆効果なのだろおか。というちょっとした葛藤。
でも全くもって何かに対する不満や文句じゃないんです。そこはわかってほしい。
ただ、どうすればいいか相談したい、でも、どう相談したいか自分でもまだあまりまとまってないし、そのあたりに際して取り付く島も無いように今は思える。

いい夜はどこにだってある。毎日あらゆるところである。
イワン・カムチャツキーと、アカネイロヒキ、めっちゃよかった。

何がしたいの?
何がしたい、何がしたい、何がしたいのだろう。。

どうしてそんなこと聞かれちゃうのかしらん。私というやつはね。

わからなくなった。

帰りの電車で泣き出すのはなんとかこらえた。でも帰ってから1時間ぐらいずっと泣いていた、情けない話だけどいつだって率直に泣いてしまうから泣いている、「泣きたい」と思ったことは僕にはない。泣くのをこらえることはあっても。
なぜだか、はっきりとわからない、
どうすればいいか、わからなくなったんだ。

ただ自分の立場で考えてきた、理想を実現したかった。
音楽が、ライブが大好きな、自分の立場で体験してきたことから、実現したい理想。
やりたいことをやりたいだけだ。
そのために人を動かすお金が必要ならぼくは、対価を支払う。
でも、夜についてくる結果は、だれもの自由意思であってほしい。
そのために努力はするけど、
何かちがう。
何か根本的に、違う。。

そしていくつもいくつも考えた。

すこし気づいたことは、
ぼくは、自分に分不相応と思うものにお金は出せないと思う。
でも、大金持ちでない限り、誰もがそうやって取捨選択をして、自分に合ったものを選んでいると思う。

例えば20万円で絶対綺麗で健康になれるエステやマッサージがあるとする。
絶対綺麗で健康になれるのであれば、やれるならやったほうがいいよね。間違いない、早いほうがいい。
でも、そのためにそのお金を支払えるか?
それほどの対価を支払う価値が、「あなたにとって」あるのか?
つまり、そういうことじゃないかな。

僕にとって、
「一般女性と同じくらいにみだしなみをととのえるための化粧品」にかけるお金は3000円でも高いと思うし、
「どーしても好きなアーティストを見に行くチケット代金」は4000円でもその価値はあると思う。
「一杯のドリンク」に支払う500円はやっぱりどこ行っても高いと思うし、
「どうしても見せたいアーティストを呼ぶために三万円のギャラを支払う」ことはその対価としてべつに正当だと思う。

それだけだ。

その基準は、人それぞれでいいと思う。
つまり、納得できないことに、お金は払いたくない。それは共通であるべきじゃないかなと思ってる。

「1バンド、ちょっと気になってるバンドが今日は出るんだけど、チケット普通に高いしなあ、行くと交通費もかかるしドリンク代もご飯代もかかっちゃうなあ。今月は他にも好きなバンドのライブもあるし、むりだな。やめとこ。。」

どんなに「ライブ」「バンド」が好きな人でも、その「対価」を乗り越えて気軽に、知らないアーティストを発掘できる身分の人が、どれだけいるのだろう。

と、ぼくは自分の身分で、立場で、思ったのだ。

たとえばぼくは、この壁を、壊したい。
それがどういう手段を取るものかは思いついてないけど、たとえばこの壁を壊すために僕ができることが「自分で負債を負ってでもチケット代を安くする」ことなのであれば、ぼくはそのためにお金を払いたいと思う。
価格という敷居を下げて、音楽好きのお客さんが新しいアーティストを一度でも見に来てくれるのなら、ぼくがそのぶん自腹を切ることは、対価を支払う価値のあることだと思う。

自分でもはっきりわかってると思うことは、僕がやりたいのは金儲けではないということだ。
いや、ライブに関わる仕事をするかたなんて、ほとんどがそうなのではないかと思うけど。どうかな??

ただ、
ブッキングというのはライブハウスの毎日やってる「企画」であると私は思うのだけど、もしかして違うのだろうか?
企画者はお客さん集めるために宣伝をする。お客を呼ぶために努力をする。
あたりまえだ。いい夜にしたいから。

でもライブハウスはそのブッキングの日のお客を呼ぶために、努力してるのだろうか?
たとえばフライヤーをつくったり、他のライブハウスへまきにいったり、ネットでそれぞれのアーティストのおすすめポイントとかを紹介したり、その夜の組み合わせのこだわりを説明したり、広告を出したり、
してるのだろうか??その夜に人を呼ぶための最善の努力はしてるのだろうか??
してないのなら、それは、なぜ?

これは、特定のライブハウスや、こういった姿勢で運営しているところ全てに対する批判ではまったくなく、
疑問なのだ。
僕はお客としてライブにふれる、その人間の立場として、理想を追いかけたい。自分の求める最高のものを、だれかに提供してみたい。ともに味わいたい。
それにあたって疑問にぶちあたったわけだ。教えて欲しいのだ。

ノルマってなんだ?

正直、根本的な話、アーティストは、いい曲をやる、つくる、のが仕事だと私はおもう。
マーケティングや企画やお客集めの脳みそをかれらが持ってるべきとは、そもそもぼくは全然思えない。。使う脳、能力がぜんぜん違うとさえ思ってる。。個人的な意見だけど。
そりゃあ自分というものを押し出すために努力、アピールはいるだろう。
でも、その夜のお客を呼ぶ責任を、なんで「ぜーんぶ」アーティストに負担させるんでしょうか??

そしてそれが、「企画者」が、外部の人間となったとたん、集客については「企画者の責任」となる。
なぜなのだろう。どういった倫理で?

箱を貸す、PA技術を貸す、それだけがライブハウスの仕事だったら、今後、土地代も人件費も技術費も機材代もかかる、ライブハウスの未来がむしろ、ない気がしてるのだ。
何度も言うけど私はライブハウスが好きだ。だから責めたいわけじゃない。何も責めたくない。
ただ、心配してる。

アーティストは、どうすれば自分の曲をもっと聴いてもらえるか、しりたい。
どうすればもっと良いみちをゆけるか、それぞれの目指す目標の違いはあるだろうけれど、しりたいのだと思う。

その「マーケティング」のノウハウを持ってアーティストを指導し、先導し、いいところを伸ばし、お客にはそれを見せつけ、こんなにいい歌を歌うひとがいるよ!こんなに面白いのもいるよ!一度みにおいで!
そうやってブッキングし、たくさんのアーティストを見てきたノウハウで集客をしていく・アドバイスをしてあげる、のが、本来、ブッキングをやるライブハウスの仕事じゃないのか?

ぼくは文句をいってるだけだろうか??
でも、平日のライブハウスがさっぱり儲かってないときく。
そもそも、儲けが必ず必要ならば、
なぜ平日、お客がさっぱり入らなくて儲けも出ないこともわかっていながら、「毎日」店をあけてライブを行うのだろう?
じゃあもう、毎日やんなくていいのでは?  …とも思ってしまうのだ。
それよりひとつひとつのブッキングにもっと力を注いで、「ほんとに見なきゃ損だよ!!」っていう日、いいライブだけを、力と心をこめて、アーティストたちを支援して、作ったらいいのに。
いいアーティストを知らないなら、よそのライブハウスへ見に行って、探しにいけばいいのに!
そして最高の日をつくっていって、「あのライブハウス行ったらいい日しかないよ!」っていうネームバリューを、作ったらいいのに。

しかし家賃もかかる、維持費もかかる、スタッフの月給もかかる…なら仕方ないのかなあ。
そんならもう収入のため、アーティストからノルマとって、毎日ライブハウスをまわせば、毎日収入は入るもんね。

でも、それで今後もずっとやっていけるのかしら?

カフェや屋外、ノルマをとらない場所はどんどん増えてると思うし、
アーティストが足りなくてブッキングに困ってるマネージャーがたくさんいるようだよね。

このままでいいの?

「企業」と同じことかと思うんだけど、
どんなに会社が見た目立派でも、人がいなきゃ、仕事はまわせない。
仕事をできるやつをどんどん育てていかなきゃ、いい仕事はまわってこない。
そしてできる奴には相応の対価を払って評価してあげなきゃ、会社に人は残らない。

当たり前のことだけど、目先の利益、目先の損ばかり重視していくと、コンセプトも理念も何もない、流されてばかりの企業ができる。それでは潰れるのも当たり前だよね。放っておいても、時間は経っていく、物もヒトも滅びるのだから。

アーティストがいなきゃ、ライブハウスは成り立たない。
いいアーティストを育てなきゃ、音楽に未来はない。

支えなきゃ。
もちろん音楽には好き嫌いがある、人によって好みというのはわかれるとおもうけど、
せめて、あなたの大好きなアーティストを見つけて、心からプッシュしなきゃ。支えなきゃ。お客さんに教えてあげなきゃ!
そうでしょう。

ぼくはそれをやりたい。

ごく自然に、ごくあたりまえに、超個人的に、ふつーに、それをやっていきたい。

ライブハウス、音楽業界関係者、アーティスト、お客さん、リスナー。
その壁を、壊したい。

でも、何ができる?

ぼくは人気者でもカリスマでもなければ、人脈が多いわけでもなければ頭もわりい、お金持ちでもない。。

できることしかできないだろう。
でも、できることを、やりたいと思った。

誰のためでもないし音楽のためとか言うつもりもさらさらなくって、
自分が、そうしたいから。それだけ。
それが自分の思い描く理想だから。

音楽を、そこにかかわる世界を、ぼくはこの人生でとても好きになったから。

誰にとっても、もっといい形をさがしたい。そしてそれは、ある気がする、
なんとなくする。

だれか。
ああ、だれか、

ぼくはわからないのだ、
わかんなくなったのだ。
ただただ無力だ、

そしてとてもこれは自分の完全に個人的な感覚になってしまうけれど、
とても孤独だ、と思った。

もとより独りのつもりだった、
独りでも戦って、なにかをずっと好きでいられればそれでいいんじゃないかと思ってた。

襲ってくるその感覚は、どうあがいても深刻に深まってゆく一方で、
私は少し前の、何も考えずに頑張ろう、としていた自分のことがさっぱり思い出せなくなった。

わたしの命のつかいかた、
見つけたと思った、望み、
最後の望みだった、
でも、わからなくなった。
どうすればいいか、

どうすれば助かるのか、
だなんて そんな方向から考えたくないのに、なぜだか切羽詰まっているのだ。
情けないとおもう。

たぶん僕は本当は、
報われたかったし、
褒められたかったし、
愛されたかったし、
仲間が欲しかったんだ。

でもそれは、自分らしく生きるすがたでこそ意味のあることだと思った。
それがぼくには、とてもとてもとても難しかったんだ。

おのれの信じることを、つづければ、
行動をしつづければ、
叶うかもしれないし、
きっと誰かが見ていてくれるんじゃないか、と思っていたんだろう。

間に合うのか、わからない。
やるだけだ。
間に合わなければ、そこまでだ。
ぼくにはもう、何も失うことを恐れるものなどないのだから。
 
 
 
・・・

2013/03/02 香り
汚れたマフラーと、ボタンのとれたコートを床に放り出した。
ニットのワンピースを頭からすぽんと脱いだら
ついでに下に着ていたボーダーのタンクトップも脱げた。
えんじ色のタイツと、重ね履きの靴下をまとめて脱ぎ捨てる。
残った下着をぐちゃぐちゃっと取り外す。
染み付いた、たばこのにおい。
今日の自分を、自分たらしめていたもの、
それを全て落としたあとに、私は何のにおいだろか?
 
そんなふうに、ひとつずつ、何もかもなくしていっても、
ぼくはぼくなのやろか。
 
 
今日も平和で幸せです。
明日もこれが続く保証はないと思うので、
大事にかみしめときます。
 
何の前触れもなく
明日死んでしまうとしても
悲しむことはないよ。
 
覚えておいて。
あなた、しあわせだよ。

残りのひび

キョート。
すばい路地裏にであってしまって30ぷんほど舐めるように眺めまわし練り歩いたのち、おしゃれすぎるカフェ屋さんに濃厚チーズケーキの文字があったからつい入って、メニューに「マッキャート」って書いてあってなんかかわゆかったので
笑顔でそれとセットで注文して、いただいた。
でもまだまだ夏本番ではなく常温生活をこのむ私は(ようするにそこまで金持ちな生活に慣れていないとゆうわけかなと思っているのだが)、電車も、大体の飲食店内も、クーラーついてるのがさぶくて結構すぐに店を出る。

そして吸い寄せられるように高瀬ちゃん(高瀬川)を心ゆくまでたんのうし、
気づいたらまあ だいたいいつものコースをあるき、七条鴨川にしゅぽっと  でた。

陽が落ちるまえの青い夕暮れ。
歩いたり走ったりして流れてゆくひとと、かわ、くも、せかい、じかん、をながめていた。
すると今日まで気づかなかった、鴨川のメインの人通りとは逆側の川べり、すこしだけある河川敷へ、降りられるちいさな階段があった。

ああギターを持ってくればよかったなと、ぼくは京都へもどって来るたびにけっこう思うのだ。
だから明日はきっとギターをかついで来るだろう。

たくさんのことが、
あるたびにここへ来たっけか。

別段、こようと思ったわけじゃないんだ、
ただその通り道にここがいつもあっただけなんだ。
でも、会いたくてふるえるようなやわさより
会いにいってしまうわがままや、なぜだか会ってしまう必然性、を、
ぼくも信じたいと思う。

一日中、ご飯を食べたいと思わなかった、この季節はどうもだめなのかもしれない。
食べなきゃなと思っていろいろ探したけれど、食べたいものがどーしても見つからなかったのだ。
不思議と、お腹が減ってぐー、というあのせつない気持ちにもさっぱりならなかったから余計困った。

なんだかそんな日はべつに無理してご飯とか食べてもしょーがない気もした。
食べたいと思ったときにまた食べればいいのかなと。まあ戻し方には気をつけつつ、水分はちゃんと補給しといて、とかさ。
(まあそのあとチーズケーキとか食べましたが)

夜に歩いて銭湯へ行きました。
率直に言って、なんだかとても  さみしかった。

でも僕にはもう、それをどうにかする手段が、手元に残されていないのだった。
 
 
 
・・・

2013/03/01 おとへ
(書き始め2013/2/13)
 
 
頭んなか、鳴り止まないうたがある。声をはりあげて、辿らずにいられない、うたがある。
 
ぼくはいつから、こんなに君のことが好きになっていたのだろう。
こんなに近くに、ずっとずっと君がいた。君なしでは、生きててもつまらないって思うくらいになってしまってた。
 
三歳ぐらいの頃、家のスピーカーの前で踊ってた時からだろうか。
夜のトイレが怖くて、おばけなんかないさーって歌いながら、勇気をもらって廊下を歩いた時からだろうか。
合唱のテストの時、無意識に持ってた楽譜をめいっぱい左右にふって、リズムにのりすぎてた時からだろうか。
初めてのカラオケでジュディマリの「そばかす」を、何回も聴いてめちゃめちゃ練習して歌った時からだろうか。
音楽の時間、リコーダーがめちゃくちゃ楽しくて、クラスの中で一人だけ一番難しい曲を選んで、テストでSもらった時からだろうか。
吹奏楽部でいろんな打楽器を触って、それがみんなの音とまじわって一つになった時に、震えるぐらい嬉しかった時からだろうか。
失恋した時に、夕暮れの高架下を泣きながら聴いた別れの曲に、どうしようもなく救われた時からだろうか。
浪人中に、友達から借りたコーネリアスの左右にふれるヘッドフォンミュージックに目ん玉食らった時からだろうか。
大学に入って、なんとなーくで選んだバンドサークルで、たくさんの人と、音楽に出会った時からだろうか。
就活の、最終面接のとき、「夢はバンドをやり続けることです」って言い切って、「二足のわらじを履くのはむずかしいぞ?」って面接官に言われて、「それでもやってみます」って言って、唯一内定をもらった時だろうか。
本気で音楽をやってる人らに、バンドやりなよ、ぜったい音楽、すきじゃん。って言われた時からだろうか。
何もかもなくして、死にそうにつらい時、希望がもう見つからなかった時、とてもとても優しいうたに、出会った時からだろうか。
咳がで続けて息ができないくらいの気管支炎にかかった時、ロックンロールのあいだだけ、呼吸が自由にできら時からだろうか。
君のうたに触れた時からだろうか。
君とあの部屋でうたった時からだろうか。
どうしようもない気分のとき、川でピアニカをふいた時からだろうか。
河原でみんなで楽器持ち寄って太鼓をたたいて遊んで喜ばれたときからだろうか。
 
スタジオから出たらもう日付が変わってて、切るように冷たい空のした、スネアとペダルをかかえたチャリで坂登って坂下って走るたばこくさい帰り道がなによりなにより、大好きだった!!
 
おとよ。
初めてバンドをはじめたあの頃、怖いものなんて なにもないと思っていたよ。
 
おとよ。いつしか君のつなぐ全部に、その美しさに、もうしんでもいいって思えるくらいの瞬間に、出会い続けたぼくはもう、麻薬みたいに、中毒になっているんだろうか。
 
おとよ、時間の芸術よ。
僕はずっとずっと、きみと一緒にいたい。もっともっと近くへゆきたい。
君しかいらない、なんて思わない。それは私の望みではない。
ただ、わたしのこの命をけずって、けずって、けずって生まれる、おとよ。
楽しいばかりじゃなく、
苦しいばかりでもない。
ただ、きみとともにいたい。
私の残った寿命のなかで、
許されるかぎり多く、
許されるかぎり自然に、
きみのなかにいたい。