呼ばれたきがした

・・・うん、けっこう動きに限界がきている。
「何も予定のない休み」がここ三ヶ月ぐらい、無い気がしている。実際あるんだろうけど。
そろそろ限界だ。
 
まあ家に帰ってからの毎日の積み重ねで何とかまわせるようにはなりたいし、ならないとこの後もっともっと時間なくなるからやばいんすけどね!しゃー
 
ああ、スパーマーケットでビーフジャーキーとチューハイだけ買ってお外でなゆなゆ飲みたい、
つまみが好きだな。これだけ酒飲みの素質あるのにぼくはアルコールが消化できないので缶いっぱいもいらない、
お酒は上から3cmぐらいの量が限界だしちょうどいい、はかり売って〜!
ふつうのグラスの量の1/3でいいので、1/3の価格で売って〜!
 
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なにか見つけたら〜ここにおいでよ〜
 
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くだらないあそび〜いっしょにしよう〜
 
しごときりあーげ、今日は岡崎体育いきたかったなーむ。
ノーチャージならば4月、1くらいいっても良い!思うのに時間ねぇー!ひゅうー
 
さてはて「こんないい夜があるのになんで皆こないの?」ってつぶやきとかたまに見るけど、
時間とお金と体力つかうって結構ハードル高いでしょ。それをみんな、自分にとっては大切な、別のところに使っているだけなんだよな。
 
ぼくは、何回考えてもやっぱ「お金や時間をいただいてのライブ」というものは、本当は、やっぱ、「ある程度その人のきょくを好きなひと、つまりファンがいたうえでの、とくべつな最終ステージ」
だと、思っちゃうんですよね。。お金を先にもらう活動ならば、どう考えても、音源や無料ライブがさきで、
 
あんなええ音響用意してもらって、場所も用意してもらって、お客呼ぶのに必死とか、おかしいと思うんです。
ライブハウスはすばらしいはずです、いい設備が揃っていてそのために作られている。音がいいです!
好きなアーティストを、好きなきょくを、なんと!いい音で、生でみれちゃう場所!なんです、ライブハウスのステージって。
 
だから、順番がやっぱぎゃくにおもうかな、
もちろん、曲芸師とかサーカスとかとおなじで、ライブこそ売り!!ってバンドならライブつづけるしかないです、そのあとにDVDとか出したらいつでも見れるし喜ばれるね!!!
 
お客さんあっての有料ライブです、ライブハウスです、、うーんうーん、
でもぼくはお客さん一人だけでも、対バンのひとたちにだけでも、みせたいし、ライブしたいし、ステージたちたい、
→エレクトリックなバンドって、どうしてもライブハウスでしかライブできないですか??
いまここです、
 
しきいをこえたいし、ぼくはリスナーとしてもっと、知らない、いい音楽にであいたい、のみの市にふらっとでかけ、出会った雑貨を手にとって、買うか買わないかは自由で、すきだなーって思った作家さんのことをチェックしファンになる。作家はお客に先払いのお金を要求なんかしない、出店料をはらう、
 
ぬぬー!
ぬーぬぬー!
 
とりあえずぼくは腹が減った、
めし作って食う!しんぷるだ!
 
ばんめしはソバヤキになりました。うま
いいことを、いいって言って、
やり始めるしかないです。
 
そういえば人間の肉体は海よりかは陸寄りに特化されているのかな、泳ぐよりかあ走るに向いている、そうじゃないかな?
でもあらゆる方向に特性が分散されているようにも感じる、網羅するようにつくられているというか…いや、ぼく全然そういう知識ないですけど。
 
さる と同じだけれど指先の特化はすごいよね。これは画期的だと思うんです。ほかと違う特化はこのへんにみられる、では劣化は?
体毛がないこと、水かきがないこと、スピードもさして速くないだろうつまり筋力はそれほど特化はされてない気がする、防御も弱い、
嗅覚も退化しているよね。全体的に肉体的危機感が薄い生き方をできるつくりの気がする、そうか、かわりに特化されているものは、やはりのうみそで、言語で、知恵、そこから、ものをつくる技術、考える、集団で行動、身体能力が薄いことをはるかにカヴァーして、道具と作戦で自分たちをまもる、…か…
 
ふしぎだ…身体能力のほうが、ずいぶん生物として、強い気がする…
だのに動物たちは武力で逆らってきたりはしない、ぼくらを淘汰しようとはしていない、気がする、弱肉強食は、ただ生きるための純粋な切磋琢磨だ、ぼくらはやっぱり、はっきり違う、
ものっそい邪悪!どうしよう!
 
 
最近のぼくは、人の目をずいぶんうかがうようになったなあと思います。
じょうずになりました。昔よりはるかにずっと。
でも、自分の姿がちょっと、わからなくなりました、
仕事は簡単です、いや、難しいけれど、りくつとして、全くもってシンプルに簡単に理解できる事象です。
相手が望んでいることをせいいっぱい想像し、合理的に理論的にそれを行い、対価をいただくのがぼくの仕事です。
 
言いたいことを誰かのことを想って我慢するのは自由意思です。ぼくの自己責任です。
場をうまく収めるために黙るのも、ぼくの選択です。自己責任です。
ぼくは人間をたくさん見て、自分なりに関わり、その経験則から、だいたいの相手がどうすれば嫌がるか、喜ぶか、推測するのだと思います。
 
ただ…まったく表の自分と、裏の自分がかみ合わないことばかりでした、
なんだかそれに慣れすぎてしもうて、最近わかんなくなっちゃったですね、
向いてないなーって思う時、
この苦行をみずから選びつづける人間はやはりすごいと思いました、強いですね。
 
仕事じゃなくて自由にしていいはずのときに、こうすればまあ相手は納得してくれるだろうなとか、こういうのは多分いやがるだろうかとか、そういう観点で自分の振る舞いを決めている気がするのです、そしてそれは、ぼくの素の行動ではないのでしょう、でもなんだかそれが最近、わかんないのです、
それがなんかセッションとかに出てるなーとか、思いました、一例だけどね。
難しいですね、団体行動。
向いてないですね、
 
やべー、時間がどんどんなくなっていくー、やべー!
 

遠いところから
よばれたきがして、
ちがっていたなら
こっちのもんさ!

 
多分なんか今こう、いいことばっか言ってるやってる奴、信用ならねーみたいな疑いを自分に持ってしまってるので、いっかい空気とかぶちこわしまくってバランスとりますね。よーしオ●コ、オ●コ

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