朝6時、お母さんからメールが来た。
こんな時間に何だろうと思ったら、
さっき私の夢を見た、という。
内容は以下のとおり。
私が実家の廊下に立っている。笑っていて 幸せそうに見える。
お母さんはそんな私を、ぎゅうっと抱きしめる。
が、その感触がとつぜん、ゴツゴツして固く、冷たいものに感ぜられて、
ハッとして離れると、そこには私の代わりに一本の エレキギターがあった。
以上。
お母さんは、何か不安なものを感じたそうで、
「何か事故や病気にあってないか?」ってメールをくれた。
ああ、運命。 お母さんは「そんな夢をみる人ではない」。と私が思うがゆえに。
私も何か、そら恐ろしいものを感じている。
大きな魔物に取り憑かれている、もう、もがいても、もがいても、逃れられない。
「決まっているんだ」とあいつが囁いたら、それが終わりの合図。
それを心のどこかで、喜んでいる私がいる。無条件に顔がにやけるような自然な悦びなので 戸惑いは無いといえば無い。
「私は外道の生まれらしいのです」あの娘は言うた 私はそんな 頭ヌけた いいものではないが、
たとえ全てが間違いなく、完膚なきまでに決定づけられていて、”終了”しているとしても、
渦の流れに逆らおうともがくこと それ自体が人間。人間。人間。
…音楽、
聴く気にどうしてもなれなくて 昨日の今日の 今日の終わり。
心臓というか 胸部全体がつぶされそうに痛い。
雨の京橋、私の身を守るものは、最低限の身幅ぶんの 小さなグリーンの折りたたみ傘。
小雨に紛れて、痛みの言葉が降ってくる。
全てを予測することも 全てを防ぐことも できない。
えーと何だっけ そう そう
世の為 人の為というのがいまいち、ようわかりません。
答えは自分の中に見えてくるものでしょう って 思うんだけども、
その判断を下すべく必要な 愛 というやつが、私にはあんまり理解できてないみたい。
まあ、色々試してやってみてはいる けれども!
何か指針になる考えをご存知の方はアドバイスくれたら うれしい。です。
病んではいないとは思うが 病んでいる人ほど病んでいないと言うのでしょうか??
実は mixi以外にちゃんとしたブログを作りかけていて、あんまり人が見て心配しそうな内容はコッソリそっちに書いているのですが。もちろん完成したら公開するつもりで!
ですがですが。
この夢の話は 何となく人に知っておいてほしかったので書くよ。
けっこう普段からこういう文章書くから、心配しすぎないよー にー
ニー。
“ギターみたいな女の子” への1件の返信