今日は君のお葬式、
はじめてきたよ、君のギターが
君がいないのに、あるところ、
そんな歌があります、
うたいながら。桜がきれえかった
夕暮れ
春のおとずれ
少し立ち止まって、ふりかえる、
私のライブを
本当に楽しそうだと言った人がいる
水を得た魚のようだと言った人がいる
変わったリズムを叩くひとだと言われたこともあるし
ドラマーらしからぬドラマーだ、と言った人もいた、
ここ一週間ぐらい、
メンバーがとても 私の存在を喜んでくれていた、その瞬間について
ときどき思い出している。
でもなんだか、いいか。いいのだ。
私も楽しいことをやるし、
楽しくなくなったら、
やめたらいいし、
やってることが、
やりたいこと、なのだ。
キャバーンクラブの先輩の、お葬式だった。
キャバーンクラブというのは私が大学時代にとても好きだったサークルで私の大学生活というのはほぼそれであった。
私にとって、ひとつの人生でもあったくらい。
今はちょっと違うけど、現役の世代というのは、その世界というのは引き継がれていて、そういうのを嬉しくも思い、いいなと思う。
私は、実のおばあちゃんのお葬式のときも通夜のときもさっぱり悲しくなかった人なんですが、
いろんな人のかおをながめて、
自分の命のなかで この人とほんの少し、関われたことは、
すごいことだったんだ、
そう思いました。
おばあちゃんのときは、亡くなったあと、何度か夢で見たあとに、もういないんだ、会えないんだ、ってことに気がついてやっと悲しくなって泣きました。
去年に亡くなった会社の同僚の子のことも、まだ、乗り換えの電車のホームで、そっくりな人を見つけて何度か見てしまうくらい、
そういう、途中で、
でも、それは、本質を言うと、悲しいだけじゃなくて、
忘れるが正しいじゃなくて、
引きずるのもたぶん違っていて、
そういうものだと、思っていて、
よくわかんないけど
大事なことです。
先輩・ロックちゃんとは飲み会で二回しかあったことなくて、
病気で亡くなったのですが、
お見舞いに行かせてもらいました。
そのとき、かれのお母さんが、
何度も繰り返し言いました、
「健康でいることがね、一番の親孝行やからね。あなたたちも、まずは健康でいてね。それだけでいいから。」
わたしは今日、ロックちゃんと、そう言ってくれた、そのおかあさんに、会いたかった、そんな気持ちでした。
ありがとうございます。
お顔が見れてよかったです。
メッセージを、棺の帯?に書けるやつがあってね。
ロックつづけます、って
そう書いてきてしまったのだった。
式の終わった会場で、ロックちゃんが好きだったCD、陽気な洋楽のナンバーが流れてた。
そのなかで泣いているひとたちと。
なんにも言えない
でもそれでいいと、思う、
自分のなかで、生きれたら、
うんやっぱり、なんにも言えない、
きのう、自分の(笑)お母さんと電話した。
あんたこんな遅くまで、大丈夫なの、だとか、まあ大体毎月のようにお野菜を送ってくれるお母さん。
昔は色々と要求がすごくて(とわたしは反抗期なので思てましたが)喧嘩ばっかりだったけど
最近は、体調のこととか病気のこととかばっか心配して、
忌野清志郎が大好きで笑、かれが亡くなってから、
むかしバンドやるって言ったときは最初モーレツに反対されてたけど今はともかく好きなことをおやりなさいというし、
なんかやっぱお母さんてすごいなーと思います。
なんとかまあ、大丈夫です。
なんか何が言いたいとかじゃないんですけど。
おわり。
・・・
2012年11月18日
腫れた目 こじあけながら 紅葉の嵐山へむかった。
世界が美しくて、一生懸命になっている間は
なにもかも忘れて いられた。
感謝しましょう。与えられた役割に。
今日のテーマは、戦場カメラマンです。
髪の毛を切り、もんぺのようなおズボンを履いた私はさながら
あだ名がせつこです。
うるさいよ!!!
現場がなるべく燃え広がりませんように。
祈りこめて しゅぱつー。
朝7時の嵐山駅は さむうかった。
でも人がいない様子が嬉しかったのだ。
さしこむ朝日がとても美しかった。
頑張ってる人に会うと
きっと それって伝染するのだろうな。
頑張ろうって思えるのだろうな。
頑張らなくちゃ。
頑張らなくちゃなあ。