きみが好きです

家へ帰るまでにたこ焼きを買った、
いそいで食べたから口の中ちょっとやけどでひりひりさせながら
ギターとたいこをもって、ガラガラと家を出た。
 
 
ぼくは空気なんか読めない そんな見えんもんが読めるわけがないと思ってるぐらい。
 
だからもしもぼくが、きみに対して  そんなふうに 寄り添うことができているときがあるのだとすれば、
それは単に私が、きみのことをとても好きだから、だと思う。
 
好きだから、自然に「わかろう」とできるし、
好きだから、自然に「ともに歩幅をあわせよう」としたいんだと思う。
「したい」というのは、本当に全ての原動力の要だと思っている。
自分がしたかったら、実際どんな大義名分よりも、まず、やるだろうからね。
それが自分の思う「願い」だと思う。
 
好きってだけで全部やってるし、
好きってだけで、義務感とかそういう余計な力の干渉も少なく、自然にやれるでしょう。と思う。
 
そんな立派にできてないからね。
でも、だから証明できることがあるよ。

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