やさしいあるじで

ぼくねえ、
前から人が歩いてきてるのに道いっぱいに広がって歩く酔っぱらいとか、
電車乗るとき並んでる列を無視して割り込んでくるサラリーマン・OLとか、
みんな平気でやるよね。別に怒りとかじゃないんだけど、
それを見てると、
何が日本ガンバローや、って思いますし、
何が社会人で 何が倫理で 何が大人やって思いますけどね。
 
だれかを助けたいって気持ちがほんとにあるなら
まず目の前の他人から 優しくするべきじゃないすか。
危なくなる前に何かできることあったんじゃないすか。
それができない奴が何を、人の窮地を、心配できるんすか。
まず目の前の自分を見直すべきじゃないすか。
 
善悪って、犯罪おかしたり 空気読めなかったり 人の輪の中で迷惑をかけずにうまくやること
よりもっと大事な基準があると思って、きたつもりで。
でもまあ自分がずっと正しいことをやれてるかって言ったらそんなことなくて
自分もことなかれ主義だし、迷惑かけへんから かけんとってくれって思ってると 思います。
 
だから何とゆわれると困るんですけど。
 
 
つたわるほうほう ってどういうものだろう、ってここ一年くらい考えている。
いあ、まだ実質半年くらいとかかもしんない。
うまくやる っていうのはなんか単純に誠実でないこともあるから苦手なんだけども
相手は なんとなくこっちの立場や お互いの関係で しぜんと壁やステレオタイプを築いてしまっているものだろうと思うし、私もそう。
 
でも言葉選びをひとつ変えるだけで 相手の壁をくずすこともできるし
自分の伝えたいことを、その扉をひらいたじょうたいで まっすぐ聞いてもらえることもできる。
と思う。
 
きみに出会って、いろんな人に出会って、いろんな出来事をとおして、
ぼくは本当にそう思うようになった。
そして、自分が本当にそういうことが苦手なんだ、ということにも、
いや、うすうす、気づいてたけれど、本格的に認識するようになったんだ。
 
うまくつたえる っていうことは、自分のメリットになるだけじゃなくて、
自分にいいことは 周りにもいい、っていうのと同じで
きっと、周りにも、いいです。
 
もちろん言葉でまるめこんで 相手をだますっていうんじゃないんです。
言葉は、ちからだとおもう。上手に使えるひとは、力をもってるひとで、
力をもってる人は、もってない人を、搾取しちゃいけないです。
守らなきゃいけないです。
 
これは言葉にかかわらず、「力」すべてに通じることだと思ってます。
 
力をもつひと、は、上にたつ人、です。
 
暴君のもとでは、人は育たない、だれかが必要ないことに多く苦しむ、と、私は思ってます。
そしてそれを倒すため、だれかが立ち上がらなければならなかったり、
べつの国をつくらなけりゃあいけなくなる、 のでしょう。
人と人の、歩く道が、べつべつになるんです。
必然だとしても、やっぱりそれは、さみしいです。
 
だからぼくは、君のことがすきです。
やさしいあるじでいてください。
いつまでも、自分のこころから、自分のからだから、自分の立場で、
でも人のことも、みていてください。
 
義務感からだけじゃなく、
きみを中心に、自然にできている気がするから、
ぼくも自然に、自分のために、君をささえたいと思う。
 
意思のちから、理想のちから、
力でおさえつけない、望まれたていこくを、
あなたとともに作りましょう。