がっかりすることに慣れました。
ぜつぼーすることに飽きました。
わがままやってわかってます。
でも、やっぱ一番かなえたいことが かなわないことが 1 つらかったら、
その他の かなう100 で打ち消せるかゆうたら、ぼくには打ち消せないです。
もちろんそれが人生のすべてではありません。
ぼくはこの世界で色々なことを好きになったのですから 1がかなわなくても それ以外の色々なことをまずやります。
なにをするのもいのちひとつ、きもちひとつ、
僕は生きていられることをとてもありがたいと思っています。
でも、他のことでいくら楽しいきもちになれても、
やっぱ一番かなえたいことが かなわないことが 1 つらかったら、
その他の かなう100 で打ち消せるかゆうたら、ぼくには打ち消せない
んです。
その波が何度も何度もおそってきます。
なにしてても どこにいても。
それにながされぬよう 歯をくいしばって その他もろもろの色々なことに必死でつかまり、ようやく耐え忍びます。
そんな日々をおくりつづけるうち、楽しくてやっているはずの その他いろいろが、だんだん それから逃れるためにやっている逃げ道にみえてくるのです。
そうするともう何をやっているのも楽しくなくなります。
そして、なぜやっているのか全てわからなくなるので、いっぺん全てから手を離します。何も考えなくなります。
そして波がようやく去ったそのあとに、どうしてもまたやりたい、と思ったらもう一度はじめます。
とても無駄なエネルギーを使っていると自分でも思います。
この繰り返しに 単純につかれてしまい 耐えられなくなってきているというのが実のところです。
そしてこの波はまたそのうちやってくるでしょう。
それにずっとビクビクしていて、次にやってくるこの波を、また運よくやりすごせるのだろうかどうかと思うし
ここまでわかってしまっているともう自分にはこのプロセスにさえ 飽き飽きしてきそうでおそろしいのです。
(略)
これはだれをせめたいわけでもないです。生まれ持った業です。
他責的でない、実直な気持ちのつもりです。
そしてこれだけはわかってほしいのが
ぼくは自分を不幸だとはおもわないし 愛されなかった ともぜったい思いません。
ただ自分が強欲ながために ぼくはプライドを保てずに 望む姿に対しあまりに自分がみっともなくみじめで 生きていてもつらい気持ちのほうがちょっとばかりつよくなったことに耐えられなくなって死すのです。
そーとーな自爆です。
でもぼくはそれでも自分の気持ちにうそはつけない、と思うんです。
病院で機械につながれて身動きもとれなくなってやりたいこともできなくなったとしましょう、
ふつうに健康な身体をもって生きているときとはわけがちがって、なにもかもの範囲がとても狭い世界だけになります。
ただそのうごける以内の範囲で 自分の幸せをみつけられればそれは幸せなことだと思います。
でも たとえばスポーツ選手になることがあなたの夢だったりしたならば、
ただその範囲でみつけられる幸せ以外を心から求めてしまったら、
やっぱり 健康な肉体でなければ意味がないと思うときは何度もやってくるし
やっぱり ほんとうに幸せとおもえないまま つらいきもちのほうが大きいまま ずっと生きることになります。
そしてそれに耐えられるかどうかは、運です。
生きていればいいことがあります。誰にでも必ずとは絶対いいません
でも私にはあったので経験則からいうと、きっと たぶんあります。
それにたまに出会うことで この自爆を少しずつ 少しずつでも先へ延ばし、耐えおおせたらいいなと思います。
本当に、そう思っています。
(略)