めいち

自転車やさんで自転車の空気をいれ、商店街へゆき、とり肉やさんでとり肉を買い、八百屋さんで野菜を買うてきました。卸でないとり肉やさんはあるのか?想像します
とり肉やさんでは端数の40えんぐらいをおまけしてくれたし八百屋さんではおまけでねぎをつけてくれました。貧乏そうなのでしょうか。
 
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かしわさん  ていねいにおじさんがお話しながら売ってくれたから、大事にいただこう、とおもえた
目の前の「あなた」から、今日のじぶんの糧を、対価を支払って得る、
そういう意識がほしいのです、とりあえずこれは個人的な実験あるいは証明フェーズのようなもので
そのお肉がどこで生まれてどう育てられていつシメられてどういう手段で運ばれてどうやって保管されて今あなたの食卓に並んでいるか、これは想像力の問題でもあり、どう生きるかという信念のはなしなのです。
 
この商品がどうやってここに並んでるのか知ってる人が、それを販売している現場にいない、知れない、というのはやっぱりほんとうは不自然に思えるんだな。
それがいけない気がしているんです。
だからみんな他人事になる、鶏をしめたことがない、だけど鶏は安価で手に入るのは当たり前でそれほど価値のあるものに思っていない。ただ単純に安ければそれでいいか?高ければそれで安心か?自分に事故がおきなければそれでいい?
ちがう、
これは、なにをえらんで生きるか、どういった社会に一票を投じてどういった信念を持ってあなたが生きるか、そういうはなしなんです、
 
物々交換や石器時代にもどれといっているのではないのです。
ただ知ること、自分から知ること。そして自分の自由と責任で、選ぶこと。
自分を守るために、他人を金で動かす時代は終わろうとしている気がするんです。