まいびょう3かいてんper0ど

にっきをいろいろ足す作業をした
やっと今日に追いついた。
 
どうして僕がこんなに必死かわかるかしら?
わかんないだろーね。
でもね僕もあなたのことがわかんないんだよー
なんでそんなに冷徹に、平然としていられるの?
ってききたいの
 

めをみてちょーだい、
おしえてちょーだい
こわいことなど
なんにもないって、
めをみてちょーだい、
きかせてちょーだい
わるいひとなど
どこにもいないって、
 
めをみてちょーだい、
おしえてちょーだい
かなしいことなど
なにもなかったと、
めをみてちょーだい、
きかせてちょーだい
やさしいめをした
あのこのことを、
 
(タイトル未定/なさげ)

 
雨があがったら日付変わった気がした、
どっかのおっさんのくしゃみがきこえて♪
 
良い子にするとゆう定義が難しいこんな世の中じゃ〜♪
おっおー
 
体調の悪さはまだ少しひきずっており
寝坊しました。むちゃくちゃなヘアースタイルで会社へいきました。でも遅刻。
しかも電車乗り過ごす。
反省
 
ぷりぷりおしごとー!
 
overflow: 秘伝、
もりさわふぉんと欲しい欲しい詐欺
 
会社の外へ出たらば
空気が、なんだかちがったんだー。
 
真冬のようにきんきんからからに乾いてつめたいわけではない、
でも、いつもと、ぜんぜんちがう。
そんなことをただ事実として突きつけられるようなかんじだった。
 
すこしさみしいかった。
きみは、いってしまうのね。
空をみあげて、しぜんとそうおもえた。
 
 
よるやあさがつたえてくれるヒントを
けっしてみのがさないで おくれ、
 
  
おうちに食材があるのはわかっていてもあまり何があったか思い出せず
まあ何があったとしてもカレーにぶちこむだけよと思ったのでひきにくだけ買うて帰宅。
ほいー!
 
 
なんちゃってパレードをくりかえす、
 
日々、毎日を振り返ってかみしめる時間とゆうのが僕には必要で
忙しいと、積み重なったものを取り戻すのに ものすごく ものすごく時間がかかるけれど、
それでも 少しずつ、やれば、おわる。
これは、すごいことだと僕は思っている。
人間は日々のあたりまえに慣れる生き物で、忘れる生き物で、
怠けてしまいがちだから、なかなかできないことだと思うんだー。
 
生活を愛している

もとくらしー

同じよな曲ばっかかきやがって、とぼくはぼくにゆー
 
ライブというものが音楽体験のなかでCDを聴くよりも特別で貴重で贅沢な体験であるということをふまえると、
ライブを聴く、空間すべてをまるごとプロデュースする・される必要があると思う気がしてきた。
 
借り物のPA、借り物のハコ、そこで演奏される30分40分のブッキングライブ(対バンも自分が選んでないわけだから借り物といえよう)で、つくられる音と空間、人、それに対してすべての来客が、2000円だか3000円(ライブハウスの一般的な最低価格はこのぐらいかなと思う)の価値がある、と思えるものを提供しつづけなければ、と思う。
一度来てもらえたとしても、はーこの内容にしては高かったなーとか、はーこれなら来なきゃよかったなーって思われたら、むしろ後々かんがえたらマイナスなわけなのだーがっかり。
 
まあ一般的なライブ好きやその世界の人にはこれが相場だからしょうがない、といって諦めがつく価格なのかもせえへんけど、
相場??
相場なんてかんけいないだろ、とぼくは思うのだ。
 
たとえば矯正下着や浄水器の訪問販売が家にきたとしましょう、
うん万円しますと言われて、相場はこのぐらいですとか、それよりかは安いです!って言われたとして、
あなたがそれを買うかどうか、とは関係なくないですか。
たとえ「あればいいなあ、ほしいなあ」と思えたとしても、むちゃ高かったら、支払い能力があったとしても、「そのものに、それほどのお金を支払う価値を見出せるか」かどうかじゃないですか?
 
「自分にとって必要ないもの、あるいはそのぐらいの価値を見い出せないものにお金は支払いたくもない」でしょう。
なんならその話を聞く時間すら、もったいない、営業行為されていい迷惑だ、とさえ思うでしょう。
 
もう一つたとえると、宗教の勧誘訪問がやってきたとしましょう。
なんとこっちは、お金はいらない、タダだというのです。
「タダで、振る舞いのお菓子も出て、ありがたーいお話が聞ける、無理な勧誘はしないし一度くるだけでいいから」
なのに、あなたは行きたいと思うだろーか??
 
ぼくは、そういうことと、同じだと思ってる。
 
タダでも、価値のないことに足を運んだり時間をついやすのは、
たとえ誘う側がものすごくオススメしたとしたって、どんだけ熱心に説明したとしたって、
すごく利己的で すごくいや  なのだ、、
 
お客さん一人一人が、たいせつな時間、体力、お金、他の予定、
などなど、この一夜に、それ相応の価値を見出してくれて支払ってもらえるというハードルはぼくが想像するに、思った以上にむちゃくちゃ高いんじゃないかと思ってる。
 
もちろんこれはライブハウスへの批判でもなんでもなくって、
ライブというものの価格は最低限そのぐらい取るべき、あるいはそのぐらい単価とらなきゃ運営できないとゆう、営業目標、信念をもってやっていることなのだと思うから、
 
つまり僕が言いたいのは、
この高級品、内容はさまざま。
それを選ぶ選ばないは、あとはお客さんの自由なだけでしょう!
なのだ。
 
そして、その自由なだけ! の部分について、
こんだけライブ好きな私ですら、リアルにハードルたけえよ、と考えるからこそ、
ぼくはやり方を変えたい、変えなければ未来がないのでは、と思っている。
 
ちなみにライブハウスが値段を下げろみたいな話ではけっしてないのです。
それは持続不可能だ。だれかが無理をしてはいけない。
 
ぼくは好きなことがやれればそれでいい、
そしてその方法をずっと探しているだけなんだ。