うわー!きれえー
雨すげーいい!
大気とゆうものについて考えています。
almost of point of no return,
Burn baby burn,
Look into my tired eyes, see someone make me recognize.
原点へもどりたいと考えています。
ぼくは、まあ長いととらえるか短いととらえるかはわかりませんが、この二年ほど、
タワーレコードやツタヤ、その他CDを取り扱っている好きなお店へほとんど足を運んでいません。
別にそうしたくなかったわけではなくて そうもしたかったけれど
おもにいる場所、使うお金、使う時間が違っていたんだろうなーって今は振り返るとおもいます。
バンドをやって、バンドをみにいって、そこで欲しいCDを買って。
そしてそれが、僕の活動限界でした。資金という意味でも時間という意味でも。
それ以上の余裕がありませんでした、
CDを売っているお店へ遊びにいき、気になるジャケットだけでCDを衝動買いしてみたり、名前だけ知ってるアーティストの音源をかたっぱしから視聴して借りまくる、とゆうことに、時間とお金を使えませんでした。
それだけの余裕がなかったから。
これは自分のバンド活動のためのお金と時間が大きな比重を持って行ったために起きたこと、という部分を除いたとしても完全に使い方の自由なのでもちろん自分が望んで選んだことなのですが、
まあ近日、色々かんがえました。
いい音楽にであいたい、
ぼくの知らない世界にであいたい、
その原点を、バンドマンとして、ライブハウスの客として過ごしてきた二年間をかえりみて、
もう一度自分のリソース、キャパシティを見直して、なににお金と時間を使うか、どういった社会モデルや企業や個人のありかたに一票を投じるかを、
僕ていどの身分から 身の丈から 考え直したいと思いました。
ぼくの収入は一般的なこの年齢の方々が稼ぐ平均よりかなり低いんじゃあないかなと思っていますが、
でも、ライブハウスへ行ってほしいなとぼくら音楽をやる側が(おそらく)考える、音楽好きの若者たちの収入よりかは、少しは多いか、あるいは同程度ではないかなと考えます。
実家ぐらしではないのでその点自由になるお金というのは少ないかもしれませんが、まあ正社員として働けているので、アルバイトや派遣で働く若者よりかは収入としては多いのではないかと想定しています。
この話が何を意味しているかといいますと、
ぼく程度に音楽が好きで、ライブハウスが好きで、新しいアーティストをどんどん聴きたくて応援したくて、ライブハウスへいける時間があって、
かつその中で出会ったアーティストのライブ、ライブハウスで出会った友達のバンドマンのライブ、ライブハウスのスタッフと話して得たこういうアーティストがいいんだよっていう情報、それらをそれなりに追いかけ、実際にお金を払って、通い続けられる人間が
どれぐらいいるんだろうなあって
考えたわけなんです。
そしてぼくにはもう、ライブハウスへ通いつづけることは、贅沢な遊びですのでできないなあと思いました。
ぼくはバンドマンですので、
ライブをやりたいです。
ライブをやるには、お客さんがいないといけません。
ライブハウスでライブをやるには、お金が必要です。
ぼくはリスナーですので、
無料でもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
レンタルでもいい音楽にたくさん出会えることは知っています。
ぼくにはわからなくなりました、、
ぼくはバンドマンです、
自分が「高い」と思ってしまうものに対して、
・・・だれかを、気軽に誘うことが、もうできません。
たとえ自分がチャージを全ておごってあげたとしても、
果たして聴いたことのないアーティストを「一度見てみる」ために足を運ぶ人は、多いでしょうか?
そしてそのように聴いてもらうことっていうのは、その人にとって、果たして いい体験でしょうか?
また、自分が納得して支払えないお金を、
誰かに支払えといえるでしょうか。
いいたくないです、
ぼくにはわからなくなりました、
大気とゆうものについて考えています、
エアーです、
呼吸をさせてくれるやつです、あと全ての変化の源としてのエアー、
全生物酸化型えーあー
なにをうしなったのだろー
なにももたずにうまれてきたのに
おとはなくひがしずむ
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