です

きみと過ごす時間、
きみのみせるひとつずつの表情すべてが
何よりいとしい
 
生きるとはベクトルのあることやとおもいます、嬉しいも悲しいもベクトルです。
死ぬとは心臓がとまることではないと思います。忘れ去られ、誰ともつながりがなくなり、ベクトルがなくなり、きえる、その時が本当の人間の死やと思うてます。
 
だから音楽をのこせるひとは幸せです。
 
めちゃめちゃ生きてる  ゆうのは、安定や平穏とは離れたものであったりします。
強いベクトルはいつでも死と隣り合わせと思えます。
だからあのころ私は、
常に死というものと隣り合わせていながら、ものすごく、生きていたんだなあと、
思いました。
 
死んだように生きるならいっそ
しんだまんまでいきたい、
 
ああ、腑に落ちた。
なぜこの歌詞がこんなにしっくりきたのか、きょう理解できた。
 
 
身体を切り裂いても、血をだすことしかできやしやせん。
 
 

ASAYAKE01「Summer’s Dead」いっきょくめから さいせいかいし。
・・・一曲目「SEIRON」がおわったら なぜだか次に尾島隆英「ジャム」が流れたのでなんか笑っちゃって なんとなく また明日にしよって思って、やめた。明日を楽しみにしよう
 
 
 
望みのかなわなさ、絶望が希望をのみこんで、望むことがつらすぎて、
諦めてもういいや、ってなることも
多いです。
 
けれど、それでだめなら、それでいーと思いました。
自分の直感の、いちばん好き、を、
やっぱりいちばん大事にしてゆこうと思います。
 
いろいろ真似てみたりもしたし  いろいろやり方を変えてみたりもしたけれど、
やっぱりその芯だけは、きもちひとつだけは、曲げらすことができませんでした。
 
あきらめるより、おのれの一番、理想を望みつづけて、
頑張って、がんばって、がんばって、
耐えて耐えて、耐えてみて、
 
だめだったら手を
はなしちゃえばいいやって思います。
 
死にゆくいのちを、無理やり機械やら薬やらの力をつかってつなぎとめて生きながらえさせることは、はたして自然なことでしょうか?
 
「我がまま、他がまま」を
貫き通そうと思います。
 
なんどでも言いましょう、
ぼくは、きみが好きです。

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