生きられないのかなあと思うときがぼくには何度もあって、
それはやっぱり自分という存在に、
他人にとっては価値がないという空気をひしひしと感じるからであって
生きられない、
という言葉を映画のなかで言っていたひと(それは役者ではない)にあのときシンクロする そのまえも あとも 結局何もかも変わっとらんくて、
補正をかける ということについて考えている。
それはひとつの目のいちでなんにでも見えるっていうことで
ぼくにとって普通に自分のこころで見るとここは地獄のようなものなので、
どれだけ自分の目の位置を自分でかえれるかでやっとやってきたんだろーと思った。
たとえば聴こえない音を補完して弾き語りのむこうにバンドの音をきくことが
僕にとって呼吸とおなじぐらい 普通の生活で、
それと同じくらい
このはいいろの世界に感じ方ひとつ、アンテナひとつで
見えないものが見えるようになる魔法をぼくはいつの間にか知っていたのだろー、
だからクスリなんか必要ない。
酒もタバコも精神安定剤も必要ない。
ぼくが依存するのは ぼくのあいする人間だけだと思う。
けれどその魔法がどーしてもつかえないときが 僕にはある。
現実のかぜに吹きさらしになって どうしても立ってられなくなってしまうときが、僕にはある。
でも だから なに?
ぼくはつらい
つらいけど
それがあなたがたにとって は それがなに?ということなのだろうし
なんでもないことなのだろーなーと思う。
しにぞこないは今日もまたやりすごしてる、
布団にくるまり嵐が去るのをまってる、