よる、エレファントカシマシむっちゃきいてギラギラしながら帰宅した。ハロー人生。
化ケモノ青年の意味が、すこしだけ自分のなかで解けたきがした、
ぼくの好きんなるひとは大抵こゆうものすばらしーユーモアのもちぬしだなあと思った。
大学時代、コピーやるときずっと書いてた自己流耳コピどらむスコアーでてきました。
スコアー書かずにやろうとし始めたのは卒業間際ぐらいだったと思う
あと一回生んときにたんたんがギター初心者練習曲としてスコアー書いてくれたやつ原紙もでてきた
theCHICKENmastersのと一部だけ残してあとはすてた、なぜこんなものを残しただろうねともいまは思うけど、見返しててたのしかった。
「こここうかな?」みたいな疑問までメモしてあって、
そうだな、
ぼくは、ぼくのことでさえ、覚えちゃいられないんだ、ということを知った。
まあ知ってたから残してるんだけれど、そうだなあ、
明日、ぼくはぼくなのだろうか?
本当にそれは、ぼくだろうか?
それを証明できることはできない気がしているから、
少しの神経のつながり ぎりぎり途切れただけで、ある/ないが切り替わるこんな不完全な肉体。あしたと今日はちがう。ぼくらあ儚いね。
ことしもなつが、おわる、
ベアーズにあすみが二人いるらしー、おおーすでにそこでドッペルしているのに、いそいそ
ん、いつも、ありがとね。
かぞくこうせい
チチ!ハハ!オレ!オトウト!!
週末まとめ。
チチのくらす 新潟県妙高山 へ、ハハとすごしてきました。
弟も一緒の予定だったのだけど、連絡のゆきちがいでお仕事だそーで ゆけませんでした。どっひゃー
でもあとで会えました。
チチはりっぱに畑をたがやしはじめの1ねんせいをやっておりました。
チチはたけー!家のすぐとなり。
りっぱなおねぎなね。たっぷり大根もあったよ。
夢のばしょにはからずも来てしまいました。ふと窓の外を見るという直感、この旅で発揮されまくってました。センキュー
おそばたべて温泉いってアイスたべて豚汁たべておー
チチが おいしいあめを買ってくれました。半沢直樹で出てきたらしく上戸彩上戸彩とうるさかったのできっと上戸彩が出演していたのだな、と理解する。お料理にもつかえるおいしいあめでした!わーい!
わかりやすさ、だいじなことです。
最終日は午前中に山を出て、山を出る前に忘れ物とかしてたらその隙に集まってくる近所のひとたちに次々囲まれ 野菜をしこたまもらい、
すげーと思いました。すげーと。
父はなかようやっているようです。よかよかー
日暮れごろ、三重県の実家へすこしだけ帰り、お休みのおとうととごうりゅー。
おっひさー
家でしばらく、自分の記録をぶっ片付けました。
ダンボールに詰まっている、いつかまた振り返るときがきたら開けよう、と思ってとっておいたものたちを、
3箱ばかりあけてきました。
だいたい捨てました。
記録として残したいものは写真に撮ることにした。
ぼくの人生と、ぼくの好きなひとがたくさんそこに詰まってました。
物はただでさえ自然と増えてしまうので、生活をたたんでゆこうと思います。きちんと自分のなかで消化して、ぜんぶ、ひきずってゆきます。
どうやってこんなに音楽を好きになっていったかも、すこし思い出せたりもしました。
ずいぶんとまあ遠くへきたような気もしなくもないな、
うん、
かえろっか。
そんな回帰のきもち
大阪へ、かえります。
きじたし
たー。
なかなかおいつきませんが
たー
・2014/11/08 おきなわ二日目 残波ジャム!
・2014/11/09 おきなわ三日目 残波JAM最終日
音楽とのきょり 2にちめ
わたし、音楽との距離をかえよーとおもいます。ここ数日とゆうかここ二ヶ月ほどずっと自分のなかで違和感がありました、リスナーとしての自分、音楽好き、ライブ好きとしての自分の、音楽は生活のあしもとにあってほしいとゆう考えのもと、何をどう信じて選択していくかを決めたいと思いました。
音楽は最終的に、くちずさまれるものであってほしいです。誰でも演者になれるし、だれでも仲間になれるし、誰でも敷居なく聞ける自由なものであってほしい。ぼくはこの壁をこわしたい、でも誰にそうあってほしいというわけじゃないです、自分が、そういう距離で音楽とともにありたいと思いました、
何を支持し何を信じどう世界をつくっていくかは、個人ひとりひとりの行動だとおもいます、ぼくは自分が望む理想を自分の行動で実現、表現しよーと思い、選んでゆこーと、思いました。
考えてるあいだ、とても苦しーかったし、何回も、ハテさっぱりわかんなくなりました。
なぜライブハウスへ行くのか?
ぼくは、ただライブがみたいだけなんです。
人に会えるのもうれしいです。
ぼくはライブハウスでよるをつくるのがすきです。
それにはとてもお金がかかりました。
でもぼくにはお金がないでした。
でも音楽ってお金がなきゃできないことなのか?お金がなきゃ触れられないものなのか?と言われると
絶対にぼくの中では、「そうあってはなりません」でした。
音楽は生活のなかにあってほしいものでした。
どんな貧乏なひとでも、どんなライブハウスから遠いひとでも、
音だけでたのしめるものであってほしいものでした。
じゃあ僕のやっているライブ活動というのは、なんなのか??
僕は何がやりたいのか??
根本的にどうありたいのか??
わかんなくなりました。
音で稼いでる人たちと、ぼくの間、そして更に純粋な、ただいい音楽にであいたいだけの、お客さん との間に、いつも壁がある気がしました。
それはとても難しいことだと思いました。
音を鳴らしているあいだ、音のなかにいられるあいだ、ぼくはそれだけでよかった、晴れた日に大好きな曲をくちずさむ、本当はそれだけでよかった、
余計な、知識や社会やコミュニティや思想やルールや利益、それがからんでくるたびに全部投げ出したくなってた。ほんとしんどかった。
純粋に音楽だけがほしいのに、うただけがほしいのにと思いました。
自然に自分がやっていけるほうへ、ちからを注げたらいいなー思います。
願わくばその生活のあしもとへ。
どこでだって、誰のまえでだって、ただ自分で、いたいです。
音楽が好きです。そのために、ぼくは選択します。
ぼくはこれから、ライブハウスへライブを見に行くとゆうことはほとんどなくなると思います。単純にライブというものがものすごく高価で贅沢な遊びだということに自分では思ったからです。まーようするに金がそこまで贅沢できるほど、ない。
ですので一ヶ月に1くらいにとりあえず絞るか悩むくらいだったら行かないかでいこうと思ってます。月1のぜいたくだね!
TSUTAYAやタワーレコードとかで視聴しまくったり 無料の野外サーキットイベントとかで出かけてみたり そいう感じで音楽をさがしていいCDを買ってという形で、アーティストに貢献したいと思います。した。
まーどう変わるかわかりませんが。
ライブをやる ということも贅沢な機会でいいのではないかなと思います。やりたきゃやりたいやつがやればいいし僕もたくさんやりたいほうだけど。お金やノルマのことはもー、考えたくないなと思っています。
努力は必要。だけど、そういうのに無理にプレッシャーかけられるぐらいなら、お金ためてから、ハコ代ぐらいいくらでも支払う気持ちで自由にライブをやりたい、企画もそう。そうやっていったらー、といつも思ってきました。
だって選ぶのはお客さんだから。
その日の天気で、音楽を聴く聴かないがかわるように、聴きたい内容もかわるように、
ライブ行く行かないも、お客さんの最後まで自由であってほしい、それが理想だとぼくは思っています。
ライブハウスは、ライブをやりたい、と思ってるやつに場所を提供してくれるすばらしい場所です。
それがなければ、無名なぼくが、ライブなんてできやしないんだから。
場所やスタッフや機材を贅沢に使う贅沢な場でいいのではないかな、と思います。
ライブのために、音楽活動をしていいんじゃないか、と思いました。
むしろ音楽活動の集大成として、ライブがゴールであってほしいなと僕は思いました。
おとはふだん贅沢品ではなく、ぼくはもっと、生活のそばへもってきておきたい。深夜の枚方TSUTAYAでえんえん視聴していたあの頃のスッゲーワクワクするきもちをたいせつにしたい。ききまくって、ききまくって、そんなかから借りたいCD5枚だけ探すあのきもち。
言葉とか足りてないだろうけど ライブはただただやりたいです。やりたいしやっていくと思います。
でもライブをやるということは、場所や人員を動かしてまで、夜をつくるということだと思います。ぼくにはそのへんがどうもむつかしい。とてもつかれてしまう、ライブがやりたいから、やりたい、
とゆうわけで ぬるっと 今ある土壌で考えるのはやめました、つもり、
すこし頭を1から シフトさせれたらいいな思います。
ぼくはどこにも属さない、属して立場上なにも言えなくなるぐらいなら属してたまるもんか、
(お金もらってやってたらまた別なんだろーけどね! だからぼくあ、音楽や絵を職業にはできないと思った・・・・)
これからは基本的に、CD音源聴く → どうしても見たいと思ったときに、ライブ情報を調べて行く ぐらいの絞り方をしていきたいと個人的にはおもうとりますが、ライブみるのはすきだし ライブのお知らせもらうのも元々うれしいので 私に見て欲しい!ゆう人はまたこれからもさそってくださーいな。
こんごともどーぞよろしく。