あさおきて、あたまのなかをながれたの、OnionsのDDD。
そのあと下山、瘡蓋と爆撃機。
いきすって、大声でうたった。
窓のあいた大阪のあさ、
だれにきかせるわけでもないうた、
WCどうだったのかなーっておもっとお。
とどきそうに見えて 手を伸ばす。
たどり着いたのは
夢の途中みち
終わりが見たいけど
見たくない
見たくない
過去をたばねる
今週末も京都だった。ゲストハウスへ泊まった。
そのつもりで準備もしてきていたから。
友達と遊んだ昨日のひきつづきで、
四条大宮から、出町柳までてくてく歩いた。
会いたいひと。けれど。
しましまの日も 水玉の日も
キラキラの日も トゲトゲの日も
君がいればいいのに 君がいればいいのに
僕の所へ来ればいいのに。
ゲストハウスへ着いたころには、夜があけようとしてた。
気絶するぐらいねむかったけれど、いろいろ考えたいことがあって、
暫くぐるぐるしたあと、ねむった。
ご飯を食べた。
好きなひととご飯を食べるのは やっぱりうれしい。
うれしい時間はすぐ終わってしまう、
もっといたかったな。
かなわんかったらどうするの。
なんて、もう何度もかんがえたさ。
逃げたこともあった。というか逃げ続けてきたのかもしれない。
でも、
苦しくなっても、何度ぶれても、
僕がやらなくちゃ。
もう守られてるだけはいやだから。
たくさんのことばが、
こだまのように、おいかけてくる。
ここ数ヶ月。
新しく、やっと、自分を理解できたことがあった。
自分にとって、内部の、劇的変化のときだった。
2014/06/09
なんだか、とてもつらい、
めちゃくちゃにつらい、
時期的なものだろうか、
何でなんだろうか、
ひさびさに、急にきた、
わからなくなったのだ、
正しいと思っていたことが、
自分の望みだと思っていたことが、
わからなくなった、
それだけで、一気にきた、
正直、何がこんなにつらいのかわからない、
わかることは、
戻ってきては消え、戻ってきては消える景色が、たくさんある。
わからなくなった、
がんばろう、でも、
なにを、がんばろうと思ったんだっけ。
思い出せない、
いや、つまり、何がつらいのか、本当は僕あわかっているのだろうか。
僕は続ける。僕は覚えている。
大切に大切に大切に思っていたこと。
すさまじい速さで、流れていく人のこと、他人ごとのうそ、簡単な利害一致、駆け引き、
変わって行ったのはわたしのほうか?
ずっといきづらかった。
かなしかった。
それがまた風がふいたように、訪れただけだ。
息がしづらいと、ずっと思っていた。
ああ、息がしづらい。
胃が痛い。
胸がくるしい。
仕事をしながら、パソコンのディスプレーを眺めているはずなのに、
目の前に走馬灯がいくつもいくつも流れては消える。
思い出したくないこと。
思い出なんか僕はほしくなかった。
何もかも、何もかも、
ずっとずっといたかった。
思い出になんか、ならないでほしかったんだ。
何を今も、耐え続けているんだろう、
何のために、
どうして、
何を頑張ればいいのだろう、
僕にはわからなくなった。
進んでいる、川はながれて もどらないけれど、流れていった先でまた会いましょう、なのだ。
とても疲れた、
何がこんなにつらいのだろ。
やっぱりぼかあそんな純粋な気持ちでやってないのか。
やってることがやりたいことだ、
感じることだけがすべて、感じたことがすべて、
でもやっぱりぼくああーだこーだ言うて、
認められたかっただけなのかもしれない。
好きなことをたとえ実らなくても続けたいと思ってやってきたつもりで、
それを永遠に証明し続けてきたつもりで、
でも、なんか、だめかもしれない。
と思った。
微笑ましくありたいけれど
なら どうして つらいと思うのだろうか、
みんなはどうやって生きてるのだろうか。
やりたいことも見つかっていて、
そのために色々なものを削ぎ落したつもりで、
報われなくても大丈夫だ、
自分が選んだことなんだから、
そして幸せなはずなのに、
それはとても幸せなはずなのに、
でも つらいのはどうしてだろう。
スネアとペダルのはいったかばんをガラガラとひいて、終電にのって、歩く帰り道におもった。
ぼくの好きな景色をうつくしいと一緒にいってながめてくれる人がいれば、
どんなにいいだろうって。
散歩がしたかった。
ぼくは、散歩がしたかった。
多くは選べないと自分に思った。
自分の大したことない能力加減に、長いことかけてようやく悟った。
そしてそれは真実だと思うから、
「生きてやりたいこと」のために
僕は多くを捨てようと思った。
そうすることで、頑張ろうと思ったのだ。
持てる力をなるべく散漫にさせず、
まっすぐゆけると思ったのだ。
色々なことを多く、うまくやろうとすれば、疲れてしまうから。
全部うまくゆかなくなるなと、思ったから。
ほしいものも、自分にはそんなに無いと思えた。
けれど、気づいたのだ。
それはつまり、
「多くを捨てるから、このくらいは見返りがあってもいいのではないだろうか」
なんていう甘い利益主義だったかもしれないって。
いつだってひとつの景色にもどってくる。
僕はこんにち、もしかして、と思った。
ついに思った。
僕はバンドなんて、音楽なんてやらなくてもよかったのかもしれない。
あの景色さえ、ずっと手に入っていれば。
他に、何もいらなかったのかもしれない。
何もせずに、幸せだったかもしれない。
ぼくは、みんなのように、楽しく、微笑ましくありたいと願う。
自分があることで、誰かを幸せにしたいとも願う。
やさしくなりたいなあと願う。
だけども、僕にはそれがとてもとても難しい。
たださびしい。
ずっとずっと、さびしかった。
叶うから、やるんじゃないよ。
やりたいから、やるんだ。
でも、本当の望みはなんなんだろ?
本当にやりたいことは?
あの景色さえ手に入っていれば?
僕の望みは、ただそれだけだったのかもしれない。
君がずっと、そばにいてくれさえすれば。
ねえ、望みって、叶わなかったらダメなのか?
ねえ、望みって、叶わなかったらダメなのか?
明日はライブがある。
僕は全力でやる。
いつだってどんなミスをしたときだって僕は何のことも、全力でやってきたつもりだった。
音楽も、仕事も、自分のちからをぜんぶ使うことだと思って、やってきたつもりだった。
求めても手に入らん物はたくさんあるよ
生きていていいことなんて半分もないよ
生きるか死ぬかの選択肢は
自分が最善を尽くしたあとに決めな。
うすうすずっと気づいてきた、読み返せば日記にもなんどか書いてきていたこと、
ぼくは、報われたい。
ぼくは、認められたい。
ぼくは、褒められたいんだ。
それは誰かじゃない。君がいいのだ。
気付いたらやっぱりいつも笑ってしまっている。
音楽のなかにいる間、自分って、どこにもいないんだよね。
おれ、音楽そのものなんだわ。
ぼくらは、褒めてもらうためや、儲けのため、にやってるわけじゃない。
そうか、簡単な幸せならすぐ、手に入るものなのかもしれない。
でも違うんだな。
楽しいも苦しいも強く、坂の多いみちを選んだだけなのかもしれない。
僕が望むのは、実際は、めちゃくちゃにいじ汚くて、みにくい欲望かもしれない。
でもそれを踏まえたうえで、僕が望むのは、やっぱり、手に入る範囲の合理的な幸せじゃなくて、
ほほえましい理想 なのだ。
たとえ叶わなくたって、願いたいのだ。
僕にとって、バンドも、仕事も、好きなひとのことも、
やっぱり全部、そうなのだ。
正直、勝てるかわからんです。
ぼくはこわい。
こんな汚い感情は、認めたくないのだ。
それに自分で、勝てるかわからない。
ただ、強くならねばならない。
汚い感情すら、すべて自分のものであるということ、
それを見つめたうえで、きみと同じ土俵で戦いたい。
きみと同じ場所で、ステージで、ともに戦いたい。
いつまでも、泣いてばかりじゃいけない、
守られてばっかりじゃいけないということ。
とりあえず目の前のことを。
弱い自分に負けないように。
「目の前のことできん奴に、先のことなん できんよ」と、
親のような友達は、あのころのぼくに言ったのだ。
くるしいな。どうあってもくるしいだろう。
でも、僕は思うのだ。
たぶん、君がそばにいてくれさえすれば。
同じ時間を過ごして、同じ方向を目指して、一緒に、笑っていられれば。
きっと何があっても、平気なよ。
そのうえで、けれど僕は、
それだけじゃやなんだなー
ぼくはつようなりたい。
守られてばっかりやったらだめだから、
同じ目線で同じところに立って、力を合わせて、戦えますよう。
何に勝つでもない、でも、君がいれば、けして何にも負けやしない。
きみとともに成長し、ときにきみを守れますよう。
これは僕の、当たり前の理想だ。
知らないところへいこうと思う。
そのあとまた、きみのもとへ、かえってこよーと思う。
パレードしたいし きみといたいし げらげらしてたいわ。
ランナーがはしりつづけるためのように、努力って ひつよう。
自分をいつわるのは、やめた。
他人をいつわるのも、やめた。
当たり前を当たり前とするのも、やめた。
見返りを求めることも、やめた。
理想をあきらめることも、やめた。
そうやってやってきて、こんにち、
欲しいと思うことを、諦めることを、やめたいと思う。
目をとじて、かぜの音をきいた。
だいじょうぶ。まだはしれるよ。
君がいてくれたから。
もう少し、さきへいってみよう。
もう少しさきを、みにゆこう。
先回りはできぬ、いつかまた。
流れたさきでも、きみといたい。
会いたいと思ったらなんとなく会いに行っちゃうものだし、
どうしてもいまって思ったら走り出してるものだと思うし、
好きっていうのはことばや行動に出るものだと思うし、
情熱はきっと約束を守ると思うよ。
僕は、好きだから頑張るんだろうな。
それしかできない。
そんなに綺麗にできてない。
そんなに複雑にできてないんだ。
わかりやすいよ。
きみがいい
あー、友達がいてよかったなあ。
本当にそー思って。
目の前のひとが 愛おしくてしかたがなかった。
離れてもだいじょうぶ。
どうか自分を、からだとこころごと、たいせつに。
かわをみつめてぼくはゆく。
あとはかえって、ねむるだけ。
知らない人に声をかけられる。
どうも街のなかはそういうムードだ。
誰かじゃない、
きみに会いたかったな。
ぜんぶが大事で
ぜんぶが正しくないとしても
きたなくても
自分の気持ちにうそはついちゃだめだ。
とはいっても会いたいのひとことが言えないなんて、
そりゃあ現実的に明日のためもあるのだけれど、
ぼくはまだまだだなあ思う。
そりゃあ、思いやりはべつだし。必要でしょう、、
なんてね。
でもなんか、いいよ。
今日はこれで、いいよ。
少しのことが幸せだった。
きみの言葉が、かかわりが、うれしかった。
今日はそれでいいよ。
それだけで、にこにこしちゃうくらいには、ぼくはうれしかったから。
いい日なよ。
わらってたよ。
きみのこえはまるで。
ぼくの力はぼくが使う。
何度ぶれてもそのとき選んできた。
好きなことしかできない。
好きだから、やりたい。
好きだから、頑張れる。
ぼくは、君といたい。
もっともっと、
ずっとずっと、
君のとなりで、いっしょにいたい。
やさしいあるじで
ぼくねえ、
前から人が歩いてきてるのに道いっぱいに広がって歩く酔っぱらいとか、
電車乗るとき並んでる列を無視して割り込んでくるサラリーマン・OLとか、
みんな平気でやるよね。別に怒りとかじゃないんだけど、
それを見てると、
何が日本ガンバローや、って思いますし、
何が社会人で 何が倫理で 何が大人やって思いますけどね。
だれかを助けたいって気持ちがほんとにあるなら
まず目の前の他人から 優しくするべきじゃないすか。
危なくなる前に何かできることあったんじゃないすか。
それができない奴が何を、人の窮地を、心配できるんすか。
まず目の前の自分を見直すべきじゃないすか。
善悪って、犯罪おかしたり 空気読めなかったり 人の輪の中で迷惑をかけずにうまくやること
よりもっと大事な基準があると思って、きたつもりで。
でもまあ自分がずっと正しいことをやれてるかって言ったらそんなことなくて
自分もことなかれ主義だし、迷惑かけへんから かけんとってくれって思ってると 思います。
だから何とゆわれると困るんですけど。
つたわるほうほう ってどういうものだろう、ってここ一年くらい考えている。
いあ、まだ実質半年くらいとかかもしんない。
うまくやる っていうのはなんか単純に誠実でないこともあるから苦手なんだけども
相手は なんとなくこっちの立場や お互いの関係で しぜんと壁やステレオタイプを築いてしまっているものだろうと思うし、私もそう。
でも言葉選びをひとつ変えるだけで 相手の壁をくずすこともできるし
自分の伝えたいことを、その扉をひらいたじょうたいで まっすぐ聞いてもらえることもできる。
と思う。
きみに出会って、いろんな人に出会って、いろんな出来事をとおして、
ぼくは本当にそう思うようになった。
そして、自分が本当にそういうことが苦手なんだ、ということにも、
いや、うすうす、気づいてたけれど、本格的に認識するようになったんだ。
うまくつたえる っていうことは、自分のメリットになるだけじゃなくて、
自分にいいことは 周りにもいい、っていうのと同じで
きっと、周りにも、いいです。
もちろん言葉でまるめこんで 相手をだますっていうんじゃないんです。
言葉は、ちからだとおもう。上手に使えるひとは、力をもってるひとで、
力をもってる人は、もってない人を、搾取しちゃいけないです。
守らなきゃいけないです。
これは言葉にかかわらず、「力」すべてに通じることだと思ってます。
力をもつひと、は、上にたつ人、です。
暴君のもとでは、人は育たない、だれかが必要ないことに多く苦しむ、と、私は思ってます。
そしてそれを倒すため、だれかが立ち上がらなければならなかったり、
べつの国をつくらなけりゃあいけなくなる、 のでしょう。
人と人の、歩く道が、べつべつになるんです。
必然だとしても、やっぱりそれは、さみしいです。
だからぼくは、君のことがすきです。
やさしいあるじでいてください。
いつまでも、自分のこころから、自分のからだから、自分の立場で、
でも人のことも、みていてください。
義務感からだけじゃなく、
きみを中心に、自然にできている気がするから、
ぼくも自然に、自分のために、君をささえたいと思う。
意思のちから、理想のちから、
力でおさえつけない、望まれたていこくを、
あなたとともに作りましょう。
もしも願いがかなうなら
hiyokoの「つづきを」が定期的にあたまながれる。
どこか遠くまで
君をのせて
つづきを見にゆこう
明日も放っておいて、
つづきを つづきを
僕らは見たいだけ
つづきを つづきを
あのノートに書きつらねて
笑う
ちょっと自分に素直になれた。
んじゃないかと思う。
ライブを見て勇気をもらえるのは
最高の影響力、だと思う。
ぼくもそんなおんがくかでありたい。そんなメンバーでありたい。
ぼくはずっと君といたい。
そう願う。
でも、「いま」がいつまで続くかなんて、どこにも保証はない。
もうわかってる。
「あのころ」、大切に思っていたこと、
「あのころ」、ただそこにあったこと、
今はもうないこと、
もしも願いがかなうなら、
もしも願いがかなうなら、、
頭痛
あたまいたい われる
くるしいのは体調くずしているからなのだろうかどーだろーか、
折れそうんなった
くやしい
自分のこのすぐ折れるよな よわさ なよさ
ださいし くやしいし はらがたつ、
でも、君といられるなら、
君とともに同じ理想のなかにいれるなら、
ぼくはもう、その時間を少しでも取りこぼしたくない。
ぼくはもう、逃げたりしない。
あわよくば、の見返りを求めているだけの原動力でも
しかたない、
汚いじぶんを認めるしかない、
それでもぼくは、今、まだ、
ここにいたい、
きみといたい、
疲弊
知らない人に声をかけられて少し話したけどやっぱり全然興味がもてなかった
目の前にいる人間に、私は何の価値があると思われているのだろー。
不思議でしかたない
価値とかそんなふうに思いたくないんだけれど、相手から、価値、目的以外を受け取ることができなかった。
勘違いなよ。
わたし、あなたの欲しいものあげられない。
とてもつらくなった
目の前にいるのが君だったらなあなんて何度もおもった。
好きになれる人間なんて そうそういないとおもった。
どうすればいいかわかんなくなった。
でも もう泣いてるだけも 守られるだけもいやだった。
疲れていることがまだ救いだと思った、
体調よくないしきっとそのせいかなあ。
少しねむって、元気になればきっともう少し。
まえも来た場所、たおれこんで眠る、
きれいなシーツ あたたかいお布団でねむれることを、
だれかの寝息がきこえる場所でねむれるということを、
目の前のだれかの笑顔を、
愛するために、自分でありたい、
願いとれきし
こないだの土曜日、パレード練習までの時間、一乗寺の路地を思うがままにぷらーぷらーとしてたら、前から場所わかんなくて気になってたAOWとゆうカフェを偶然発見できてね。
チャイをのんでね。リズムのこと考えていた。
そしたら店内に こないだみかんマルシェできけた 安藤明子さんのうたが流れたんだ。
しましまの日も 水玉の日も
キラキラの日も トゲトゲの日も
君がいればいいのに 君がいればいいのに
僕の所へ来ればいいのに。
すいてたから店主さんとお話できてね。
ここへはイーリャのメンバーもよく来てくれますよーって。
ああ なんか ぜんぶ、ぜーんぶ つながっとうね。
そう思った。
僕は因果とか運命とかそんな言葉はつかわんし信じてない つもりなんだけど、
人と人のそういうなんていうかな、
「やがてたどりつく」感じ。
奇跡みたいな神がかり的な意味じゃなくって、もっと実質的なことで、ちゃんと存在していると思ってる。
人間だからできる、と思ってる。
本能的な意味でいうと、動物にもふつうにあるとは思うけれど。
これは理屈でも説明できるのかもしれないけれど、
私にはもっとなんていうか、流れ、というか、
空気感とか第六感的なものも半分ぐらいは関わってると思っていて、
そういうことを、大事にしたいなあとねがう。
できてるかは、わかんないけれど。
メリット・デメリットじゃなくって、
一人一人が、願うこと、動きつづけることで、
繋がった細い糸を、ちゃんとたいせつにすることで、
けっきょくひとつの場所に集まってゆく。
つながってゆく。
いつかやがて、たどりつく。
そういうことなんだって思ってる。
まどか★マギカの後編 永遠の物語をおさらい終わった。
願い、
そして願ったぶんだけ呪いをうむ、ということについて正座しながら考えている。
七夕だし。(というのは別にこのタイミングには関係ないのだけど)
叶えたい願いがあるんだ。
どうしても、と思うのだけれど、
それは叶うとは限らない。
でも絶望したら死んでしまうのは人間も魔法少女も同じだと思うんだよね。
呪いをうむのも。
願いって、叶わなかったらだめなのか。
っていうのは、私の人生においてすべてがとても大事な作品「ヤサシイワタシ/ひぐちアサ」の漫画のなかの言葉なのだけれど
どうだろうね。
願いつづけることができれば、と思う。
でも。
ううん、そゆうの考えてしまうけれど、
そゆうの考えるより先に、僕にはやることがある。
苦しくなっても、何度ぶれても、
僕がやらなくちゃ。
もう守られてるだけはいやだから。
電車で寝過ごした。。
というか寝るつもりなくてちょっと目を閉じただけのつもりだたのに。おそろしい。
睡眠たりなさすぎて色々まずいす。
家から駅までもダッシュしたし、おなかすいてるし、なんだか朝からなさけなさで泣きそうになった、
すいせいのガルガンティア みた。
生姜紅茶やってみたけど生姜ってやっぱすげーなとなった。いっしゅんで全身ぽかぽかー!
でもうわさによると生生姜は根本的に温めつづけるという効果ではなく、身体の中心の熱を末端へ届ける効果で、中心部が結局冷えてしまう効果もあるのだとかいうのを読んだ。ほんとかはわかんないが。粉末生姜がよいらしい。
自分の身体がいちばんすなおだので試せたら試してみたいな。
でもあんま気にしすぎてきをつかいすぎたり、完璧目指す生活なんてぜったいできへんしそもそもよくないだろうから適度にたーまにひきしめてゆきたいぐらいで
自然に、素直にいきられりゃ、
どんなにいいだろう!
雨にち
きのうはともだちと飲んで、辛いお鍋たべれて、おしゃべりできて、お泊りした。
あとぅみたんは、、あとぅみたんはハッピーです、、ビニールかなにかで封をしておきたい。ゴミ袋をかぶりたい
生きてると思う。
からの午後テクテク
川とともにながれ、川とともにぼくはゆく。
ごくあさーい川の、かすかなながれの、水面になるべく近い目線のところに、じぶんはいつも、いる気がしている。
いつもそこに川があった、自分は川のそばで生きるのが、一番いいだろうなあと思っている。
最近はっきりと気づいたことだけれど。
堀川 ってえいよね。なにせ語感がえいよね。
めっちゃ色々見つけたり 行ったり とかく雨の中、歩いて、
色んなときの過去の自分を あらゆるまちかどにみつけたし、
もやもやと空模様にひきずられるようにして いろんなことも考えたけれど、
まあ、しかたないかな。
ちょっと体調が悪いのもある。これはまあ、このままにしておこう。
京都は鬼門か?
・・・ううん。
色々いってみたいとこ寄りがてら、新大宮商店街まであるいてきました。
けっこう場所わかんなくて迷ったな。
噂通り、なかなかロングなストリートでした。わくわく。
商店街にたどり着くまでの北上中に、気になってたハーブティーのお店に寄った。
というのも、うんちがしたすぎて、どこかでおトイレ借りがてら休めないだろうかと思ったのだった。
ナイス。
でもあまりに店内がおしゃれすぎて、ハーブティーも上品すぎて、うんちのことを考えながら注文を考えるのがとても背徳的な気分であった。
うそです。
昨日から持っていたので、パレードのフライヤーを、置いてもろてきました!
エンペラーめだかやってるんすって言いました話題のうちにて、店主さんは暫くネガポジいってないですね~って言っていた。にこにこ。
雨がどしゃ降りになったので、途中から折り畳み傘が、布が撥水能力の限界に到達したのか、
傘の内側から水が滴るようになってきて 傘さしてんのにポタポタおでこがぬれるという状況になってマズイなーってなりました。
ところで思ったのだけれど
「接客」やってるひとと、「作業」やってるひとって、いるよね。
作業は効率化。パターン化。機械でもできること。
自分がどっちかはわかんないけど。作業人だとも思う。
もちろん、悪いとはいってないすよ。どちらも必要なことはある。
そのあと、やぼよう済ませに大阪。
イズミヤのような建物を久しぶりに歩いて、イズミヤでよかったのになーなんて思ってしまった。
あまりの「多さ」に、気持ち悪くなったのだった。
外の世界なんてね、知らなくてよかったと思うよ。
もっともっと、なんて望んでなかったのに。
お決まりのアジアン雑貨やさん。お決まりの外ごはん。お決まりのスーパーマーケット、
私は、あの世界が全部で、足りてたんだよ。
それも、確かに私の願いだった。
不思議だなあと思う。
やっぱり、叶えつづけるっていうのは、けっこうむつかしいのかもしれない。
疲れていたのもあって、まあそれ以上考えるのはやめて、バスへのり、目を閉じた。
帰宅。長い一日のおわり。でも大体ぼーっと歩いていただけだし、体は疲れているけれどそれほど多くの何かをした気分とかはない、かもしれない。
むしろ短すぎて物足りないきもちなのに体が疲れていてなんだか情けないくらい。
部屋ってなんですぐ散らかるん。ホタルなんですぐしんでしまうん(ことし会えなんだ、くやしい、来年のカレンダーにいれとく)
エミ・マイヤー
誰かのおすすめで(けっこう最近のはず、だれだろうー)聴いてみようとレンタルしたらDVDついてて、PVはいってて、むっちゃかわいい、、きれえなひと、、
そしてPVがおもくそ京都でキャッキャした。かもがわー
そいで今日は京都から、先週に運命のであいを果たしたカエルを とうとう連れて帰りました。
傘立てのとなりにカエルを置く計画をずっと考えていたのだけれど
なかなかベストなカエルに出会わなかったのだ。出会った。ベスト。
むたくそにかわええので、うち来た人には自慢しよー思う
トレル!!
so suisui
かわいい人の話を聞いてかわいいなと思うしうらやましいなと思うし。
急ぎ目で 支度をすませて 家を出た。
京都で、いつもの整骨院いってから、
ぷらぷら、お昼過ぎ、カフェこち というところへ行った。
前も来ようとはしたのだけれど並んでいて諦めたところ。
二年前ほどになるんだろうか、いや三年前?
深草enhair(エンヘアー)とゆう、とこや(美容室ですが私はとこやとゆう響きがすきです)さんの ユニーク店長さん・蒲田さんにおしえてもらったときから、とんと熟成されたお店情報でした。笑
どれだけ私がグルメラー(?)でないかがわかりますね。
やっとおすすめのラザニアたべれた。
ちょうチーズやった。
チーズさいきん特にすきっす。
うん、ありがとう。
のちの しばらく時間があったので、
琵琶湖疏水博物館へいった。
いろいろと基本情報をあたまにいれる。
とはいっても私はあまり知識自体に興味がないのでたぶん説明はできない。
けど、琵琶湖から水を引いてくるという考えマジでスゲーナとは思う。
特に昔の時代は交通の便ないし距離感はんぱないのに。金持ちの発想はいかれてんのか的なことは一般大衆は思わなかったでしょうか。
そんなもんかな。
そのあと、こないだ来た蹴上インクラインの史跡をもう一度トライしましたが、明るい時間帯やしほかの人もいて気配もあるしだいじょぶやろと思おうとしたけど、やっぱり途中までいきましたが途中から怖すぎていけませんでした。
あの恐怖、違和感、
人でないもの、人の領域にいないもの、もしくは「もと人だったもの」。
あの感じはなんなんやろか。
ぼかあ大きすぎる重機のたぐいにもそういった恐怖をおぼえるので、たんに怖がりなだけかもしれないす。
でも周囲施設を色々眺めてみていても、なんというか、
「ここは終わっている」感とゆうか、
でも、何か、動き続けているものがある。息をひそめている何かがある。
・・・感じが、たぶん、にがて。
機械類と、作業員らしき人が何か水をくんだりしていたのを見たけれど。
なんだろね。
私は、川とともに生きる人間なのだろうと自分について思っているのだけれど、
この川がどうも異質なのは、異世界のもののように思えるのは、人工物だから、なんだろうか。
うーんでも大体の川なんて人の手が加わってることを思うとうーん。
でもダムこわい。。そういうことかしらね。
のち、打楽器パレードの練習@一乗寺。
二回目の練習。ハラハラ
わたし、
7/18金曜、エンペラーめだかN.S.G. Officeライブ@京都ネガポジ のあとは、
7/26、土曜日、京都のおまつりでパレードするのです。
「北区 新大宮商店街夏まつり」というやつです。
イーリャダスタルタルーガスゆう打楽器集団にまぜてもらいやす。
むっちゃかっこええです。がんばります。
うまれたてぐらいの汗だくなりますのでみてくだタイ。