きみが好きです

家へ帰るまでにたこ焼きを買った、
いそいで食べたから口の中ちょっとやけどでひりひりさせながら
ギターとたいこをもって、ガラガラと家を出た。
 
 
ぼくは空気なんか読めない そんな見えんもんが読めるわけがないと思ってるぐらい。
 
だからもしもぼくが、きみに対して  そんなふうに 寄り添うことができているときがあるのだとすれば、
それは単に私が、きみのことをとても好きだから、だと思う。
 
好きだから、自然に「わかろう」とできるし、
好きだから、自然に「ともに歩幅をあわせよう」としたいんだと思う。
「したい」というのは、本当に全ての原動力の要だと思っている。
自分がしたかったら、実際どんな大義名分よりも、まず、やるだろうからね。
それが自分の思う「願い」だと思う。
 
好きってだけで全部やってるし、
好きってだけで、義務感とかそういう余計な力の干渉も少なく、自然にやれるでしょう。と思う。
 
そんな立派にできてないからね。
でも、だから証明できることがあるよ。

欲しがり合う骨だけのフラッグ

いっつのま~にかもっくよ~び~!ヤベー!はえー!
コーディングとデザインと企画書書いてる脳みそがなんかぜんぜん違いすぎて、どれかに集中してめっちゃノッてる時にもう一個の作業やろうとするとまったく切替えができない!
 
 
納豆とネギってものすごいエクストリームリーなケミストリーやと思う。
組み合わせることで、あまりにもすさまじすぎる相乗効果を生んでいる。
納豆だけ、ネギだけじゃ全くもってたどり着けない境地に、ただ和えて組み合わせるだけでこの莫大なぱうわーを手にするわけやねな。
ぱうわー
 
 
死んだ人の分まで一生懸命に生きる とかっていう 言葉の意味がわからなくて。
か。
 
わたしもよ。死ぬ前にだいじにしてたらいーおもう。
みんな死んじゃうひとやから。
 
でもそれは、死んだから終わりとか、死んだから忘れて前だけみてすすめとか、そういういみじゃないよ。
終わったことが、はじまりなのだ。 ここからはじまる夢もまた、なのだ。
 
死んだきみを、ずっと抱えてぼくは生きるよ。ときどき泣く時間も、さびしいきもちも、それはそれでいいと思ってるよ。 人間のほんとうの死は、心臓や呼吸がとまることじゃないと思う。 いいうたを作ったら、永遠にいきられるとさえぼくは思っている。
 
でもやっぱ一番は、
莫大なかずの他人よりも、好きなひとの時間のなかに、たいせつに入れてもらえることだと思うよ。
 
 
会いたいと思ったらなんとなく会いに行っちゃうものだし、どうしてもいまって思ったら走り出してるものだと思うし、好きっていうのはことばや行動に出るものだと思うし、情熱はきっと約束を守ると思うよ。
 
僕は、好きだから頑張るんだろうな。
それしかできない。
そんなに綺麗にできてない。
そんなに複雑にできてないんだ。
わかりやすいよ。
 
 
部屋が羽虫だらけなるぬ´ `つらいぬ
かとりせんこうでも防ぎきれないものがあるぬなむ´ `
あっ部屋の羽虫たちは外からのおきゃくさんね。 換気扇さくせんに切替よーそろー

僕をだましてもいいけど

京橋で乗り換えなんすけど、あいにくウッカリかばんの持ち手を開かない側のドアにやられちまったもんでい´ `
もーちょっくら先までいってくらあ! アバヨ!!!!
 
・・・
 
枚方市でドアにはさまれたカバンを救出後、むかしのくせで交野線にふつうに乗り換えようとしてた。
染み付いたものはなかなかとれないんだね。このままゆこう。
 
 
個人情報、個人情報、個人情報て、
個人情報のなにがそんなにこわいんだろ?こわいって言ってる人の話をちゃんと話きいたことないけど。
 
目の前にいる人間ひとり、どうとでもできる目の前の存在ひとり、
それが一番こわいし 大事なものに思えるから
たとえ個人情報流出してなくたって 目の前に詐欺師がいたらダマされるもんじゃない?
 
だなんてな おかどちがいのことかな。
詐欺師に電話番号や家がばれたら本当に怖いっていうそういう話か。
 
でも何でもかんでも個人情報だから、あまり発言しないようにしようとか
その情報を誰が何にどう使うとあなたは騙されたり 不利益をこうむるのだろう。。
 
そもそもFacebookやら実名で登録して顔写真を公開している時点で
Facebookは絶対安全なセキュリティシステムではないし たぶん責任も負わないように規約とか作ってるだろうし
個人情報を晒すことが危険とゆうなら既にめちゃくちゃ危険だと思うがね。
 
自分も多分、まわりに流されやすいのでそうなのだろうけれど
「なぜヤバいか」「なぜ安心か」「なぜ選んだか」「なぜこういうしくみか」
なぜ?を持つことすらない人があまりに多い気がしている。
 
くちをそろえてこういうんだ。
「このぐらい、みんなやってるよ」
 
 
これは私はずっと思ってるんですけど、
お金さえ払えばなーんでもやってくれる サービスとゆうものの蔓延と、
必ず何かお金が動いていて放送されている目的意識にかためられてるはずの テレビ・メディアを ぼーっと鵜呑みにしてしまう テレビ社会的なものの影響はかなりでかいと思ってます。
 
テレビみてれば何でも教えてくれるもんね、ひとりぼっちにならない程度には。
 
今の社会で、一番怖いのが、ひとりぼっちになること、迫害されること、
とおもいますがどうですか。
 
 
孤独はやまいだと思うよ。
自分もだいぶこじらせてる方だと思う、
(そばにいてくれる人たちのお陰でなんとかなってるけれど)
 
「でもそれは本当にあなたにとってそうなのか?」というのをといたいし
大事なのは
「あなたにとって」というところなのです。
それを持ってるのと持ってないのとは全然違うと思う。
 
久しぶりにポテトティップスとゆうものを食べました。
みくちでお腹いっぱいになりました。
こいつあすげえや。。
 
 
ぼくの目的はちょう個人的であり、自分自身の望みをかなえるためだけに進むとおもう。
そのなかにもちろん他人もいる、というだけ。一緒に戦うチームがあるだけ。
 
 
つまらないと思う。
でも別にそれを正当化してるつもりはなくて 単に、わたしが、つまらないと思ってるだけだ。
ようするにわがままだ。
でもさあ。
ほんとにあなたも、それで、いいの?
楽がしたかった、だけなの?
夢の続きはどうしたの。
 
なあ、ステージへあがってこいよ!
外から言うてるだけじゃなくてぼくも戦う、
けれどぼくは主役にはならない。ぼくの役割は、そういうことだから。
 
君にもできるよ、
だからもう、逃げんなよ!

うたがないてる、

あけがたまでギターをひいてた

ズッキーニとゆう食材を初めてスーパーで買いました。(と思う)
 
近年はアボカドに、あとなんだっけか、とりあえず使ったことない食材を使うようになってきて面白いです。どれだけ食べ物に関心がなく、どれだけ大学卒業後も貧乏だったかがこれで計り知れますね。
 
いやでもこれは本当にそうで、別に料理が嫌いとかそういうわけでなかったんですがむしろ料理してる時間は好きなんですが、才能ない具合がすごく、それ以外のものへの関心と比較してあまりにも意識が低いということが原因だと思います。
 
最近、居酒屋いったり おいしいお店をおしえてもらたり 料理のうまい人の飯を食べさせてもろうたり、
まあ私の興味のきっかけなんて ほんとに人の影響なんすけど
そういうので食材とか、食べ物とかに興味は前よりあるとおもいます。
 
 
寝なきゃいかん時間になっても、なんかさっぱりねつけなかった。
とうとう無理に寝ることもなかろうか、と思えてきて、
そっから 気になってたやんなきゃいけないこととかを済ませたり片付けたりしはじめ、
最終的になんとなーくギターをもってしまって朝になりました。
 
ひのでふぁー!
 
コピーむっちゃむずいです
ぜんぶDとかAにきこえるんすけどもっと複雑だしニュアンスちがいまくるしでもその音にきこえてコピーでけん。。
コードのわかるような課題曲やったほうがええのだろうとは思うがー!うーんうーん。
 
まあいいか。
 
コピーを少しはじめて、少し曲をうたえた時の感動は何にたとえられましょう。
じーん

めいわく

迷惑かける、ってそんなにいけないことなのかな。
と最近おもえるようになってきた。
 
自分の汚い感情に素直になろうと思ったからだ。
これは欲望を全て正当化しようだなんていう ろくでなしのつもりはなくって。
 
みんな誰かに迷惑かけて生きてるでしょう。
「迷惑かけないこと」だけ気にしすぎる人すげーおおいけど ずるくってきらいよ、絶対迷惑かけとるもん。。
 
動かないイズザベスト、目立たないイズザベスト、ことなかれイズザベストの思想ってきらいよーーー間違えたらごめんなさいってちゃんと言えばいいし直せばいいーーーーウオーーー
 
 
三年ぐらいかけて自分がわかったことがあってね、
ひとの言葉の受け売りなのだけれど、
 
他人を変えることはとっても難しい。一生かけても不可能な場合だってある。
自分が、動くんだよ。自分が、変わるしかないんだよ。
 
誰かの意見とか集団の多数決とか別に結果とかどうでもええんです、
「あなた」はどう思うんすか?
 
目の前の、「あなた」の意見がききたい。
 
 
営業うまいかもしれないけれど、自分の意見いわないやつに最近、会った。
全然面白くないし何も伝わってこなかった。
世界が違うし言葉が通じないんだなーっていうことしか。
 
 
これは社会全体につうじているなにか不穏な空気すべてについてだと僕は思ってるんだけれど、
これまで他人づらして、何もしてこなかったことも、
わたしの、あなたの、選択なんだと思う。
 
人を殺すのは、悪意じゃない。
 
悪意を悪意とも感じない、不感症のにんげんたちだし、
そいうにんげんたちの無関心、だよ。
 
わたしもね。