マザーシップスタジオ 京都 烏丸十条
にて、京都の近所のスタジオ 初めて入りました。
すごいアットホーム、というか 家!!
しかし、設備とかとてもしっかりしていて、素敵。素敵すぎた。
ここ通いたい!!
ハァハァ
スタジオ一室だけどすごい綺麗で、ピアノとかキーボードとか、
あとなにより嬉しいのが ドラムの横にモニター(って呼ぶの?)置いてあって、
クリック音流せるやつが基本で備えられていました。
やってみた。私に必要なのはこれだと思う。
ハァハァ
最後の30分はなぜか ひたすらピアノ弾いてました。
少しだけ ピアノがわかったような。ほんの少しだけ。
メロディーが鳴るというのは 快感!
でもやっぱ、メロディー鳴らしているとどうしてもドラムの打撃音とかリズムが欲しくなったりするので、分身できないかなーって思うよね。みんな思ってるんだよね きっと。うん、そりゃそうだよね。
他人と音楽作るのってほんとに難しいんだなあ。
でもそれが うまく合ったときの喜びに繋がってるのか。と何となく想像。
自分の脳みその中身をうまく掴んで うまく外にだしてやらないと 思ったとおりの事なんてできないのかな
こういうことを考えているのは楽しいね!
で、なんと スタジオ終わったら、手作りデザート 一人一品 無料でいただける のです。何そのシステム!!ヤッベ。
そしてウマ!! 何種類かあるんだけど 今回食べたのは 紅茶のムースみたいなやつ。 ウマ!!
受付のおにいさん(経営してる方かしら)に、
「どなたが作ってらっしゃるんですか」 と聞いたら、
「うちのオフクロが作ってるんですよ」って。
何それ素敵!!!!
帰りに、そのオフクロさんが作ったらしい 手作り貯金箱を よかったらどうぞ、って 1個、もらいました。
みてくれ。激シブ。
そこはかとなく カート・コバーン似(友人談)
何がシブイって、ボディ部分の柄が 魚。
またいきます。おすすめです。近鉄ではなく 地下鉄のほうの 十条 駅前すぐ!ですー
マザーシップスタジオ 京都 烏丸十条
わけんのめーんどくせー
♪分別ゴミ 捨て めんどくせーえー
♪分別ゴミ くそ めんどくせーえー
と 聞こえる。 正確な歌詞ではないですが
ホーリーあーというバンドの
「ゴミ.C」という曲。なかなか好き。
さて、私の家、引っ越しておよそ2ヶ月が過ぎましたが、
いまだ、ゴミを出したことが 一回しかありません。
どういうことだ!!
そろそろ玄関がくさい。
♪分別ゴミ 捨て めんどくせーえー
♪分別ゴミ くそ めんどくせーえー
さて。
ホーリーあー
最近すっごく遠距離から(笑)関わりがあったこともあり、気になってるバンドです。
変ポップなかんじ! 名前がいい
個人的に、Myspace のほうにアップされてる、「バター犬」が一番好きです。
なんかグッとくる。
Myspace ホーリーあー
こちらから。興味のあるひとは聴いてみるとよい
もうちょっとライブ情報がわかりやすいといい!
ゆうげん つまりは
そうそう、つまりね
助けたい!って自分が思うのなら、そのぶん、やればいいのよね。
周りに合わせたり、思いやったりするのがアタリマエとか、日本人のそういうところ ほんとは、好き。すごい好き。俗っぽくて。
ただ、その気持ちが同じでない人を批判したり、無理矢理自分と同じようにすること、考える事を押し付けるところは、
それ、あなたも 違うんじゃないかなーって 思うだけ。
とはいっても私もつい数日前、自分ってものを 身近な人に押し付けまくったところなので、
言えませんね!言ってるけど!
えへへ
自粛って、自分でしよう!って思ってやるから 自粛なのよね きっと!
むかつくなら、ぶつかりあってくれればいいけど。
まあ、苦手。
私も、地震で困ってる人がいて、死にそうな人がいるって聞いて、
できることがあるなら 助けたいってそりゃあ、思う。
でも、目の前のゴミあさってるオッサンに たとえ偽善でも、言葉ひとつ、パンひとつ あげられないくらい、
私は自分のことしか考えていられないし 自分でつくった 安心・安全の枠のなかに いるだけ。です。でぶ。
雪が舞う京都。
復活した自転車に、大荷物を乗せて、40分ぐらいの道のりをキコキコ。汗だく。
スカートの中身(笑)が見えないように片手で押さえながら イケイケゴーゴー 上機嫌で走っていたら、
途中 道をふさいでいたオニイチャン達が 道をあけてくれて、
私はペコリと おじぎをして、通り過ぎ… た とき、
「みねーよ!」
って 後ろから言われた。
スカートを押さえていたことに対して、だと思う。
なんかすごい悲しい。血の気が引いた
私はこんなふうに、チャリで必死こいて走っている自分が好きだから、
別に何も 心の芯のぶぶんは痛まないのですが、(私はそういう人間です)
そとっかわに、傷が ガリッてかんじ。
ガリガリって
ずっと昔、中学校ぐらいの頃に すれ違いざまにこういうイヤなこと言われたことがあって
それを思い出しました。
私もきっとどこかで同じことをしているのでしょう。
他人なのにね。他人だからか? …他人、かあ。
こういうとき、とっさに言い返せない自分が もったいないなあと思うときもあれば、これでいいと思うときもあります
面と向かってまともにケンカできないから、ケンカをしたい と思うときもあれば、できなくてもいいと思うときもある。
怒鳴られるとどうしても頭が真っ赤になってしまって パンクして 何も考えられなくなって、言い返せなくて、
伝えたいこと、言いたいことすんごいあるのに、相手にそれを伝える言葉が全然出てこなくなって、
悲しくて、くやしくて、感情がぶわって溢れてもうて、ブワーって泣いちゃうから、ケンカにならないのです。
要するに頭を使ったスムーズな意見交換ができない。ずーん。
だから私は、メールや、文字の存在に、感謝します。
こういう日記ひとつ書くのにも、すごい時間がかかっている。スラスラーって書いて、やてまえ!って投稿しちゃう時もあるけど。何回も考えなおさないと、自分でわからなくなるし、この文章以上に読めたものじゃないです。
でも、まあ、文字で表記されただけの言葉にどれだけ人の温度が入ることができるのかって言われたら 難しいと思うし、伝わらないことだらけだと思う。
ほんとは、泣いてしまってもいいから 会って話したいし、感情が爆発してしまったなら 殴りあいたい。
本当はね。
離れていても言葉が伝わる この時代は、好きです。
大好きな人が悲しんでいたら、抱きしめたいよね。けど、離れていてそれができなくても、
少しでも、自分なりに選んだ言葉の力ぶんだけは 伝えることができるよね。
よくも悪くもそのぶんだけは 伝わる。
言葉の力を信じるよ
矛盾しているねってよく言われるけど
矛盾していない人間っていうのは 見たことがないので気持ち悪いと思います
スペイサー
JR京都駅前、かなり防寒して眠ってるホームレスのおっちゃんがいる。
去年の冬からいつも見かけるので、姿でわかる。
今日は意図せずして 一日フリーになってしまったので、
なんかひどく 不具者の気分で 駅前を、目的もなくフラフラ歩いてみて、
そのおっちゃんを探してみる。キョロキョロ見回してみるけど 見当たらない。
いつもおっちゃんが寝てる場所に、ぺたんと座り込んでみた。
京都タワーを眼前に見上げる。背中とおしりに、つめたい石の感触。少しずつ体温が奪われていく。
目の前を、足早に通り過ぎる人たち。横目に見える、ガラス越しのカフェのランチタイム。
誰も私に興味がない。誰も私と目を合わせない。
当たり前を守るだけ。 守るものだけ、守るだけ。
なあ人間、どんな気分だ?
誰にも気にとめられない 転がる石のようなことは?
私にはきっとわからないな、できればわからずに済みたい ともきっと、思っている。
悪意に殺される。偽善の二文字が心を蝕むから いつも見ないふりをするけど、きっと進行している。
兎にも角にも、私は恐ろしい。
薬局行ってシャンプーとコンディショナー買う。
私はここ最近あった大きな地震について 特に何も書いてきませんでした。
たまにこっち(関西)も揺れるからそれは 怖い。
東京に住んでる友達のことも 気になる。
駅前の大きな交差点前に出ると、どっかの高校生たちが、声を張り上げて
東日本大震災(と呼ぶのを初めて知った)の募金をつのっていた。
私はおそるおそる、その前を横切り、彼らに背中を向けて 信号待ちをしていた。
こわかった。何がかわからないけど、その間に背中から投げかけられるオネガイシマスの言葉が本当に、こわかった。
30秒くらい経ったとき、不意に何かの合図が、頭の中でひらめいた。
私は振り向き、サイフの中の小銭を募金箱につっこんだ。
募金箱を持ってる少年の顔が、どうしても、見られなかった。
こわかった。何がかわからないけど、その間に正面のほうから投げかけられるアリガトウゴザイマスの言葉が本当に、こわかった。
こわかった。
私はその声に 笑いかえしたつもりだったけど 本当はどんな顔をしていたのだろうか。
慌ててその場を離れて信号を渡った。
オネガイシマスの言葉が後ろから聞こえてくる、追いかけてくる。
急ぎ足で信号を渡りきったとき、そこに、
いつものおっちゃんが、ゴミ箱をあさっていた。
どうして。
どうして目の前のこんなに、一生懸命な、
苦しみが救えないのに、
遠くで起こった他人の苦しみなんて、救えるものか。
この人は生きようとしている、生きようとしているじゃないか。
こんなにはっきり、見えているのに、気づいているはずなのに。
何が違うんだ? お金が必要かもしれない。きれい事だけじゃ生きていけない。
みんな自分で頑張っている。そのうえで助けたいと思うから、助けあう。
じゃあ、この人がこんなふうにしていることの理由を、誰か聞いてやったのか?
本当は、そうやりたくてやってるだけかもしれない。寒そうに見えて、苦しそうに見えて、
ぜんぜん平気で、楽しいって思ってるのかもしれない。それならいいんだ。
それならいいけど、なら、どうしてみんな、目を合わせられないでいる?
苦しみの原因が天災であろうと人為的なものであろうと、そこに起こっている人間の困窮に、
違いなんてあるのか??
それを助けたいって思う人の気持ちが、どうして、
どうして、どうして。こんなにも。
違う。
こんなことが書きたかったんじゃない 気が する
悪意に殺される。
自分の中の無関心に殺される。
他人は他人だ。
それでも誰かを求め、それでも誰かに愛されたいと思うから、人間は社会のなかに生きる。
チャリ修理して帰る。
チャリ屋さんのおっちゃんがすごい優しくて、私は嬉しかった。
「あーあー、ゴムがはずれっちゃってるねえ。これじゃあ走れないからねえ。」
「これじゃ走れない」っていう言葉に、自転車への愛がみえた。
私は?
ああもうこのさい、私のことなんてどうでもいい
へ学祭
へが くさい!!
なにこれ!!
超不健康です。 でぶ。
確かに食に限らず、生活が乱れている。
食でいうと、
覚えている限りの最近の晩ご飯ラインナップ:
やっすい牛ホルモン、ソバメシ、すき家のねぎ玉牛丼、クリームパン
だめだなこりゃ。
昨日はチョコばっか食ってた気がするしなあ。野菜たべないと!
生活はもうね、洗濯物も山盛り状態だし、使った食器を洗わなすぎてもうお皿が無い。
めどい
ロングTシャツ(略さずに言うと急に認識しづらくなるね)のうえから、ぶかぶか大きめの黒いカーディガンだけ羽織って、
後輪が相変わらずぶっ壊れてる(空気抜けてるだけじゃなくてタイヤが外れました…)マイ チャリを横目に、
小走りであわてて家を出る。
私の家の近所に 大学があるっぽくて、
いかにも大学生!ってかんじの女子や男子が通学するのと一緒に、久しぶりにこんな薄着で歩いていると、
春のにおいと、少しだけ湿り気を帯びてきた独特の空気にのみこまれて、
フっと、大学に通ってたときのあの気持ちに 引き戻されました。
やっべ
はじまる
あー、今日日焼け止め塗ってくるの忘れた…
妄想も嘘 ピープル
自分の為に嘘をつくということに対して大義名分なんてくくりつけてはいけないから、私は困っている。
ぜんぶ私のもんだし、ぜんぶ返ってくる。
目がにごって 欲しいものすら見えなくならないといいけど、そうはいかないだろうな、
きっと、許されないだろうな。
兎にも角にも、私は恐ろしい。
街を歩くたび、ふわりと、あの人の香りが鼻をかすめるようで、
今日までうまく隠れて逃げきろうとしていた私が、表街道に無理矢理に引きずりだされてしまう、のがこの、交差点というやつです。
色んな噂話や、所謂(いわゆる)正しいと言われているものについて、
ああだこうだ考えたり ささくれても きりがないので、
私は私の好きだと思える何かを
望んでいられるなら、望んでいたい。
今は、その望みが叶う形が中途半端でもいいのかとか、形が違ってもいいのかとか、それを受け入れるべきかどうか、それで後悔しないのか、とか、
そういうことを考えている。
それが、最終的に望むものにいつか辿り着ける中途地点なのかどうか、だなんて、いったい誰に判断できるのでしょうか?
じゃあ、いくか ひくか なのか。
そうか。
答えがみえないね!
一番ほしいものから逃げていたって、見ないフリしたって、
もうそうもうそ。だよ。ピープル!
む つ
河原町塩小路。
帰り道にある、小さな個人商店に 初めて立ち寄ってみる。
置いてあるものは野菜や果物、お菓子など、食べ物。
おばちゃん二人が、世間話しながら店番をしていた。
店頭に並んだりんごが安かった。6個で250円。
6個も一人で食べきるかどうかわからなかったけど、
そのりんごは、真っ赤なりんごと違い、てっぺんから底にかけて、
ほんのり優しい赤色から青白くグラデーションがかかっていて、とても綺麗だった。
これおいしいですか って、聞いたら、
奥にいたおばちゃんは笑うて、「ちっとすっぱいかもな!」と言い、
手前のおばちゃんがそれを横目でチラと睨みつけつつ、「あたしぁ好きだけどね!」とフォローしてくれた。
そんな二人のリアクションがあってもなくても私はそのりんごを買うていたと思うけど、
二人が笑うもんだから、私も笑った。
でもそうだな、
ひびが、入って、入って、ぎりぎり何とか形を保っていただけの、うつわ に、
最後のやわらかい一撃が、放たれた気がした。
りんごの入った袋を提げて、ひとりその店を出たときに、
私の中の何かが、音をたてて崩れた ような気がした。
目の前に広がったのは、泣き出しそうな曇り空と、春のにおい、
薄い雲のむこうにぼやけた太陽が、オレンジ色に輝いて、私を責める。
私の大好きなあの街灯かりと全くおんなじ色で、私を、内側から、ゆっくり、ねじりッ切る。
空に押しつぶされるだとか、
太陽に焼き殺されるだとか、
何言ってんのかわかんなかったんだけど、
今は何となくわかる気がする。
この世界は、どこですか?私は一体、どこまで来てしまったのでしょうか?
走りつづけてもいなかった。
私の左肘に確かに感じる、この重みだけが 現実。
それは むつ という名前のりんごだった。
やわらかく やさしい味がする、りんごだった。
川を渡ろうと橋にのぼり、久しぶりにこの世界に出てきた、気がした。
灰色の世界。今まで、どこにいたんだっけか。思い出せない。
目がきかなくなっている。耳がとまってしまっている。
興味を持てないものに、興味を持つことは、本当に難しい。
もしもこの世界に興味が持てなくなったのなら、何にも美しさを感じ取ることができなくなったとしたら、
それは、人間といえるのだろうか?一体ぜんたいそれは、何になり得るのだろうか?
生きることは、願うことだと思う。それを私は、私にたいして、強く願う。
願うことを願うことを願うことを願うことを、願うことを、願うよ。
いらんない
「こういうときにみせる優しさって、相手を傷つけると同意義だったりするよ」
言葉が胸をうつ。
君が私にキツイ言葉を投げつけるのは、
君が傷ついているからなんだよね。
だから、ひるんでなんかいらんない
私に正面から関わってくれるあなたに、
応えないと!
…あっでもちょっとこわ…い な
満ちるときが、ひくとき
死ぬときはこう言われたい、
「あいつは一体何がしたかったのだろう?」
「あいつは本当は誰が好きだったのだろう?」
って。
それを一ヶ月前くらいから考えていたなあ
太陽の話 後編
「神様なんていないよ?」
そうやって口の端をゆがめて 困ったように笑うあなたに、
私は、太陽の話をしました。
太陽がのぼり、私をてらす。晴れた空と、澄んだ空気に触れる、
人と人が手をつなぐのも、触れ合うのも、同じ。
それだけで、無条件に心が明るくなるし、うれしくなる。
それが、愛であり、神様ってやつ だと思うんです。
そんな私の話を、あなたは何となくわかってくれたふうに聞いてくれました。
それがたとえ、私を安心させるための、優しい 嘘の振る舞いでも、
私には見抜けないし、嬉しいです。 騙されていたいとも思います。
人間はそうやって、仲良く、あたたかく、生きてゆきます。
それがたまに、とても悲しいです。
それで、暫くの間は騙されていたいと思っていた笑顔も、だんだんわからなくなります。
疑いの気持ちが膨らんでいけばいくほど、私も心から笑えなくなって、
あなたがしてくれたのと同じように あなたを騙して、笑ってあげたいと思うのですが、
どうもそれがうまくいきません。
あなたがそれに気づいて 悲しい顔をするのが怖かったので、
もっともらしい理由をつけて、私はその関わりをもとの場所に 戻すことにしたのでした。
そんな私は半端もん。ボンボンたにし。
あああ、いいなボンボンたにし。最近ずっと頭の中に出てくる単語です。っよ。
正確には「うるさいど ボンボンたにし。」です。
そんなことはともかく、
こんな暖かい悲劇に仕立て上げてまで思い出を美化していても何にもなりません
実際はもっと泥くさく、人間くさく、しぶい苦味の こびりついたような業をこそげ落とそうとする単調作業のような、
みじめでどうしようもない 二人の若者の話なのでした。